第38話 チェルシーは暴走する
腹が減っては戦は出来ぬ。というわけでまず食事と相成ったわけだが、チェルシーが感涙する一方で、ユーフィリアにとって魚の味は普通であった。美味い不味いで言えば美味いよりであったが、人は結構先入観に左右されるものである。リズベットやライネルのように割り切れないと、先入観を引きずったままとなり、美味しさも半減となるのだ。
人の味覚とは繊細なようで、例え安い食事であっても、食器が良いというだけで美味しく感じるくらい、いい加減なものでしかない。ユーフィリアが魚に慣れるには今しばし時間が必要なようであった。なお毒見役であったアシュリーは孤児院出身からか、忌避感はさほどなく、魚の味をいたく気に入った様子であった。
一番フィーバーしていたのはもちろんチェルシーである。チェルシーは転生して以来の魚を何度もおかわりし、十分に楽しんだわけだが、いきなり席を立ちあがると彼女は言い放った。
「とりあえず聖女は導者、確定ですね! 間違いないです!!」
「えっと……何で断言出来るんです?」
満足したチェルシーがいきなりぶっこんで来た事に困惑するユーフィリア、流石にこれは予想外だったようでリズベットも目を丸くしていた。
「魚を生で食べるっていうだけで黒なのに、タコですよタコ! 味を知っていなければあれを食べるなんて発想は出てくるわけがないです! あんなの最初に食べたのはタチバナリツカに決まってます!」
リズベットはパルフェの絵に描かれた海の悪魔を思い返す。絵でもあれだけおぞましいのだから実際はもっとすごい見た目なのだろう。そんなタコを食べるには確かに勇気がいる。というか勇気だけでも足りない。何かもっと危機が迫っていて、これを食べなければ死んでしまうくらいのシチュエーションじゃないと。
「リズベット、先ほども話に上がってましたけど、そのタコって一体何なのですか?」
しかしその場にいなかったユーフィリアはタコの見た目を知らない。初めてその名を聞いた時はチェルシーのテンション爆上がりすぎて聞くに聞けなかったのだ。
「凄く気持ちの悪い見た目の生き物なんだけども……あの見た目、言葉で説明しにくいのよね。アシュリー、悪いんだけど紙とペンお願いできるかしら?」
「かしこまりました」
リズベットはアシュリーから紙とペンを受け取ると、さらさらっとパルフェの描いたタコを模倣する。リズベットの絵心は並であるが、それでもタコという生き物の奇妙さは描くには十分で、それを見たユーフィリアは言葉を失った。
「これは……」
「別に脅かそうとかしてあえて怖く描いたとかそういうわけじゃないわよ。本当にこんな感じらしいの」
「……」
ちょっとユーフィリアの顔が青くなっているのは気のせいだろうか。リズベットはそんな顔みもなるだろうなと思いつつ、チェルシーに尋ねる。
「こんな気持ち悪いものを何でわざわざ聖女は食べたのかしら?」
「そんなの美味しいからに決まっているじゃないですか!!」
「美味しいんだ、あれが……」
「はい、めっちゃくちゃ美味しいです!」
チェルシーのタコに対する情熱に引き気味のリズベットであった。いくら美味しくてもあの見た目はリズベットでもきつい。
「もしもグレイシア国との友好が実現されたら、タコを是非仕入れましょう! 私が腕を振るってあげます」
「「え゛っ!?」」
ユーフィリアとリズベットの声がそろった瞬間であった。
「絶対美味しいと言わせて見せますからね!」
地獄の未来が確定した二人は戦々恐々となった。慌てて何とか未来を替えようとしたリズベット達であったが、チェルシーの迸る情熱を鎮火させることは叶わず、なおもチェルシー主導で話が進む。
「タコが証拠ってふざけているかと思うかもしれませんが、タコによって聖女が導者である可能性がほぼ確定したって話は間違いじゃありませんよ。実は私の元の世界でもタコを食べるなんてありえないって国も多かったんわけで。私達の口では比較的早くからタコの魅力を知っていたようですが。それが徐々に他国にも味が知られるようになって、変わっていった歴史があるんです」
「で、でもタコがパルフェの絵のとおりなら食べたいとは思わないわよ。魚は大丈夫だったけど、あの見た目はそれこそ私だって……」
「解体さえしてしまえば見た目なんて気にならなくなりますよ。色んな調理法知っているので何も心配しないで私に任せてください! それこそ私がグレイシア国に魚やタコのレシピを売り込んであげます!」
「そ、そう」
頑張って抵抗してもこの始末である。リズベットは思った。チェルシーにタコの話をしなければ良かったと。だが後の祭りである。
「リズベット、そこで引かないでくださいよ!」
「ユーフィリア、覚悟を決めましょう。きっとタコは和平への試練なのよ」
もはや静観を決めたリズベットである。今のチェルシーはどうあっても止められないし、彼女が勢いで言ったグレイシア国へのレシピ販売が何気に有効そうなのも、外交を担当するリズベットとしては見逃せない。それにリズベットには一つ大きな成功体験がある。
「ユーフィリア、私がグレイシア国に行った時、魚を食べたらグレイシアの人々は喜んでくれたわ。同じ卓を囲んで同じ食事を取る事はとても効果的だわ」
知ってしまっているからには無視できない。そう、その国ならではの食べ物を食べるという事は、相手の文化を受け入れるという事でもある。国レベルだと政治がかかわるため何とも言えないが、一方で庶民の心を掴むのにはこれ以上の手はない。仮にユーフィリアがグレイシア国の食べ物を食べて美味しいと言ったと広まれば、グレイシアの民衆は好意的に受け取るだろうし、フローディア国の方だって王女が食べた物を食べてみたいと思うであろう。
「リズベット言わないでください。頭では分かってるんです。でもこのタコは……これだけは……」
チェルシーの案が有効なのを理解しているからこそ、ユーフィリアは悩む。
「私が食べたという事にしておいて、情報だけ流すわけには行きませんかね?」
「最初はそれで誤魔化せるかもしれないけれど、いずれどこかのタイミングで必ず食べさせられるわよ? 祝賀会とかそういった集まりで手渡されたらどうするつもり?」
「そ、それは……」
「無理そうでも一度試してみるべきね。後本当に駄目だった場合は素直にそう答えた方が良いわ。バレた時のリスクの方が大きいでしょうし、一度でも試したというのはなかなかに心証良いはずよ」
リズベットが味方に付いた事でチェルシーはにんまりと笑う。タコ欲が私利私欲にまみれているのはチェルシー自身認めるが、リズベットの言う通り食の繋がりは有用なのである。国のためにもなるのは間違いないのだ。
「くうぅぅ」
リズベットは唸り声をあげるユーフィリアの肩を叩いた。
「……美味しいというチェルシーを信じましょう」
リズベット達にとって幸いだった事が一つある。それはパルフェがタコの現物を持っていなかった事である。もしもリズベットがタコを魚と一緒に持ち込んでしまっていた場合、早速チェルシーの腕が振るわれていたであろう。
いずれ食べなければならないが今この時ではない。それがリズベットに多少なりとも冷静さを取り戻させたのであった。
「しかし複雑な心境ね」
「と言いますと?」
チェルシーが聞き返す。
「いや、私、わざわざ聖女の文字の読み方をも情報として提示して、グレイシアの偉そうな人に聖女と導者が同じ証拠を探してって言ってあるのよね。具体的にはグレイシア国内でタチバナリツカの名を探してって言ったんだけど……」
「なるほど、確かにグレイシア国内でその名前が見つかれば確実になりますね」
「ええ、でもまさか食べ物の方が証拠となるとは思ってなくて」
リズベットはチェルシーのタコによる聖女=導者説に関して肯定寄りであった。魚だけであればグレイシア人が独自に見つけたと言ってもおかしくないが、タコは好き好んで食べようという見た目ではない。流石に100%とまで言わないが、十中八九当たってるのではくらいにはリズベットも思ってしまっていた。
そうなるとベオウルフに導者の痕跡を探してもらうのは蛇足になってしまう。まあ食べ物が証拠とされるよりかは、れっきとした文献で見つかった方がより良いのは間違いないわけであるが、どうにも先に答えを知ってしまっているような気まずさがある。
だからこそのリズベットのため息であった。
「まあ、証拠が複数あるってのも悪い事じゃないかと」
「それもそうなんだけどね」
チェルシーの言う事ももっともだし、後は本人の納得の問題でしかない。これ以上悩んでもしょうがないとリズベットが面を上げると、ユーフィリアが疑問を口にした。
「ところでリズベット、さっきグレイシアの偉そうな人って言いましたよね? それってどんな人でした? 名前とかは?」
「本名かは不明だけれどベオウルフよ。知ってる?」
「ベオウルフですか。私の記憶違いでなければ公の場で見た事ないと思います」
「そうなの? 私の推測では彼は王族の類と思っていたのだけれど」
ユーフィリアは怪訝な表情を浮かべる。何せ今のグレイシア国の王であるシグムントに兄弟がいたという話は聞いていない。だがそれはリズベットのみならず誰もが知っている情報である。それでも王族と言うのは何か理由があるに違いない。
「……その根拠は?」
「一言で言うと雰囲気。何て言ったらいいかしら? 個としての強さがある人なのよ。強く記憶に残ったのは私の提案をその場で飲んだ事ね。友好に向けての会議についても、ベオウルフは前向きに検討するよう進言しようと言ったけれど、『前向きに』と己の意見を入れられる時点で相当の地位にあると察するわ。導者の調査については私が強引に進めたのもあるけど、ベオウルフはやると決めた。ただの有力貴族にしては思い切りが良すぎるなと」
「……それがただの口約束の可能性は?」
「ないわね。自分自身に誇りがあるタイプだもの。自分の発言を曲げてその誇りを穢すような事はしないわ」
「つまり腹芸が出来ない感じですか。だから政治の場に出てこなかったのかしら?」
身も蓋もない言い方であった。しかし政治の世界では、どちらかというと好印象になりやすい即決は確かに諸刃の剣だ。何分考えなければならない範囲が多いのだ。もしも隅々まで考えが至っていない段階で何か決めた際、後で後悔するなんて事になりかねない。己の国だけならまだしも、これが二国間での条約になると早々に変える事は出来なくなるわけで。
故にのらりくらりで時間を引き延ばしたり、逆に相手に不利な事を言って反応を伺ったり等して、お互いの腹の探り合いをしたりする。政治の世界である程度の狡さは必要だ。
ユーフィリアのベオウルフ評に苦笑しつつも、リズベットは話を続ける。
「民衆からの支持はかなりありそうね。市井に紛れ込むのも上手かったし。あれは民衆との付き合いがなければ出来ない芸当よ」
「民と近い距離にいる王族、ですか。シンプルではありますが支持を得るのに実に有用ですね」
要は適材適所である。リズベットの話を受け、己の中でベオウルフがどういった人物は作り上げていくユーフィリアであったが、どこか釈然としない様子であった。
「……王族であるのなら生まれた時に公表されていてもおかしくないのだけれど」
世継ぎの誕生を知らしめる事は基本的にメリットしかない。自国民には今後も政治が安定するというアピールになるし、他国に対しては牽制になる。例え第二子であったとしても、それは変わらない。だからわざわざ隠すような事は普通しないのである。
「可能性があるとすれば、直系じゃなくて前王の兄弟の子とかかしら? これでも隠す意義が見当たらないわけですけれど。王位継承による内乱が起こっていたという話もないですし」
「いずれ分かるわよ。再会の約束はしてあるんだし、その時にでも聞いてみるわ」
あくまで前向きなリズベットに対し、ユーフィリアは目を丸くすると、笑った。
「ふふ、その方が下手に探るよりも良いかもしれませんね。その時は頼みますよリズベット」
「ええ!」
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