第30話 その頃のユーフィリアとチェルシー

 時間を遡って、ちょうどリズベットがグレイシア国へ入国した頃、ユーフィリアはチェルシーから詳しく事情を聞いていた。

「なるほど。それでリズベットはそのままパルフェ商会について、グレイシア国へ行ってしまったわけですね」

「そうなりますね」

 チェルシーが肯定すると、ユーフィリアは頭を抱えた。一体止めるべきはずのライネルはどうしたというのか。ストッパーが機能しないという緊急事態である。だが行ってしまったからにはもうどうしようもない。下手に動けばそれこそ国際問題だ。

 大人しくしている事こそリズベットに対しる最大の援護になるであろう。それでユーフィリアが納得出来るかは別であるが。ユーフィリアは深いため息をついた。

「本当にリズベットったら自由過ぎます。チェルシーさんも災難でしたね」

「力及ばず申し訳ないです」

「いいえ、リズベットは行動力の化身ですからしょうがないです。しかし豪運とでも言えばいいのかしら。何でちょうどグレイシア人の商会の子に出くわすのでしょうか」

「持っている人ってそういうもんですよ」

「持っている人? それってどういう意味かしら?」

 ユーフィリアの疑問にチェルシーははっとした。

「あ、これも現代用語か。えっとですね。それこそユーフィリア様の言う豪運に近い意味なんですが、普段起こらないような奇跡的な出来事にやたらと遭遇する人の事を言うんですよ」

「それはあなたの元の世界の言い回しなのかしら」

「ええ。ただこの持っている人は幸運だけでなく、ありえないくらい不幸の場合にも使いますが」

 世にはやたらと運の良い人がいれば、やたらと不幸をおびき寄せる人もいるのである。

「持っている人ですか……なかなか面白い言い回しですね」

 チェルシーは元がえらく緊張していたのもあって、とりあえず王妃であるユーフィリアと会話出来ている事に安心するが、その中でも気づいた事があった。それはユーフィリアがちゃんとグレイシア国、グレイシア人と言っている事である。リズベットが特殊なだけであって、ほとんどのフローディア人は未だにグレイシア国を獣人の国という蔑称を使う。

 チェルシー自身、獣人という言葉自体はマイナスの要素は感じないが、相手の取り方がどうかは分からないし、国名をあえて呼ばないという行為には差別意識を感じるのは確かである。

 言葉を直しているという事はユーフィリアはきっと本気なのだろう。だがそこでチェルシーが気がかりなのが、フローディア国としてはどう思っているのかだ。グレイシア国との友好を本当に願っているのか。チェルシーは庭でユーフィリアの子供達と遊んでいるアシュリーを見る。彼女はかつて偽聖女として担ぎ上げられた者で、裏で暗躍していたのはグレイシア人だったという。

 もしもそれが本当だとしたら、フローディア国内で友好に対して反対意見があってもおかしくはない。チェルシーとしてもパルフェなど個人単位ではやっていけると感じているが、国という大きな規模では直接携わっていないので判断しようがない。

 故にチェルシーはグレイシア国は、国として信用出来るのか、ユーフィリア個人ではなくフローディア国としての見解を聞きたかった。

「グレイシア国と友好を結ぶためにリズベット様を新たな役職に就けたという事ですが、フローディア国としてはどこまで本気なのですか?」

「言いたい事は分かります。もちろんフローディア国も一枚岩ではありません。というかそれでは困ります」

 確かにとチェルシーは頷く。皆が同じ方向を向いていると動きやすくはあるだろうが、もし失敗した時に修正が効かなくなる。一気に全滅なんて事は避けたいところだ。

「ただ友好否定派であっても、攻めて滅ぼしてしまえまでは思ってませんの。政治っぽく言えばやりたくても出来ないと言うべきですかね」

 チェルシーはその意味を考える。戦いがないのが理想ではあるが、政治とは理想では成り立たない。己の危機ともなれば戦う覚悟は必要だ。黙っていればただ蹂躙されるだけなのだから。だから穏健なレナードとユーフィリアであっても、フローディア国としては備えとして、グレイシア国と戦う可能性を考えはしたはずだ。

 やりたくても出来ない、そこからチェルシーが推測できる事は三つ。一つ目、戦争をしたら勝てない。二つ目、勝てるけどフローディア国が受ける被害も甚大。三つ目、そもそも勝ち負けの予測が全くつかない。いずれにせよ戦うという選択はリスクが大きい。

 仮に大した損害もなく勝てたとしても、今のフローディア国ではグレイシア国を管理出来るほど余力はない。これも大きな理由の一つだろう。そしてそれはきっとグレイシア国も一緒のはず。お互い戦いに耐えられる程裕福ではないのだ。だからと言ってやけっぱちになるほど愚かでもない。チェルシーは二国の冷静さに感謝した。

「ちょっと考えてみましたが、確かに戦ってもあまりメリット有りませんね。塩が手に入るのは良いですが、うまく運用できる気がしません」

「そうなんです。私達は肝心なノウハウがないですから」

 何も知らないフローディア国は、ゼロから塩づくりを学ばなければならない。例え戦争に勝ったとしても、塩はグレイシア国にとって生命線であるからして、早々に教えてはくれないだろうから。

 海という資源は唯一無二であるが、肝心な技術が得られなければ宝のもち腐れだ。きっとグレイシア国が敗北しそうになった時、わざと製塩所を壊すなんて事も。そして塩の製法を教えるから我々を生かせ、と。そういう選択を取る可能性は十分にありうる。

 なお元日本人であるチェルシーは海水からどうやって塩を取り出すかの知識はある。だがチェルシーはそれをユーフィリアには告げなかった。万一にも戦争へと進む可能性を摘み取るために。チェルシー自身、ユーフィリアは信用できると思っているが、他がどうかは分からない。余計な情報は隠しておく方が得策であった。

「グレイシア人だってノウハウがないのは同じ。土地を得ても農耕に詳しくないのだから一からやるはめになります。もし仮に我が国が負けそうになったら……そうですね。畑の物を全てを刈り取り、種を隠すかしら。種がなければそもそも農耕なんてできませんしね。私達を生かさないのであれば、隠している種を燃やすとでも言えば流石に止まるでしょう」

「なるほど」

 こういう案をさらっと言ってのけるあたり、ユーフィリアも知恵が回る。

「戦争後に他の国からしばらく介入がないという保証があれば、一から新たに始めてもいいのですけれど」

「100%そんな悠長にしている時間はありませんよね」

「そういう事です」

 周りの国が戦争の起きた国の情勢を調べないなんて、ありえないのだから。攻めるにしろ守るにしろ情報は絶対必要である。

 ここまでの情報を整理し、チェルシーは納得の意を示した。国として戦うメリットがないと認識しているのは追い風だ。フローディア国としては安定して塩が欲しいのは事実であるし、グレイシアが穀物不足である事は需要と供給もかみ合っている。リズベット程の熱はないが、フローディア国も本気度はそれなりと伺えた。

 悪くない、そう思ったところでチェルシーははっとした。

「……リズベット様が疑うわけだ」

「それは先ほど話していた聖女様と導者様が同一人物ではないかという話の事?」

「ええ、ちょっと上から目線の発言になるんですけど許してもらえますか?」

 ユーフィリアは察した。これからチェルシーが話そうとしているのは、異世界人としての知識の事であると。これから大事な話になるとユーフィリアは居住まいを正す。

「かまいませんわ。ここには私とあなたしかおりません」

 それではとチェルシーは己の考察を語った。

「私達の世界での歴史では、今のフローディア国とグレイシア国は、中世と呼ばれる時代にあった国々と似ています。ですがその時代はどちらかというと、平和意識というのはそこまで高くはありませんでした」

「戦乱の世でしたのね」

「ええ、領土の拡大こそが国力と信じられていた時代です。全ての土地を統一するのが真の王であると。ですがそれが成される事は一度たりともありませんでした。凄い人はいたんです。圧倒的なカリスマと武力で広大な土地を支配し、世界に名を馳せるような人が。ですがそのような突出した人には代わりがいません」

「……才能は血ではないという事ですね」

「ええ、どれ程優れた王であろうと、寿命には勝てないんですよ。そして王の築き上げた遺産を託された次代は、大きすぎる領土を上手く扱う事は出来ず、見る見るうちに落ちぶれていく」

 ふとユーフィリアが思い出したのはリズベットの父の事であった。領主の息子であるからこそ、次の領主をやらなければならない。それは正しい事なのか。妨害されていたユーフィリアからすれば信じられなかったが、リズベットにとってシュタイン伯爵は良き父であったらしい。重すぎる立場が彼を破滅させたのであれば、世襲制が本当に優れているのか分からなくなる。

「結局大国というのはどこかで歯止めがかかり、カリスマが治める国は凡人が治める相応なものへと変わっていきました。突出した才能は後には続かない。これは歴史的必然です。だから私が生きていた時代では覇道を目指すものは少なくなり、自国を安定させる事こそが優れた王とされていました。あちらの世界ではただの平民であった私が言うのもなんですけど、身の程を知ったんだと思います」

「身の程を知る……ですか」

「私達の世界では過去の争いの歴史から学んで、戦わないという選択肢も選べるようになったんです。もちろん完全になくなったわけではありませんが、それでもただひたすら領土を広げようとする人はほとんどいません。ですがフローディア国とグレイシア国はそうした過去の経験が十分にないにもかかわらず、冷静な判断が出来ています」

 チェルシーは暗に言っていた。フローディア国とグレイシア国はまだ若い国であると。何からの介入がないと、今の二国の現状はありえないと。

「それが聖女フローディア様のおかげだと?」

「もしも導者が聖女と同一人物であればのお話ですが……」

「その根拠はなんなのかしら?」

「フローディア国とグレイシア国が拮抗状態にあるからです。優劣つかない対等な関係は、戦いを避けるのに一番の方法ですよ。そしてそれは友好を結ぶにしても、です」

 チェルシーの言葉は不思議と説得力があった。ユーフィリアがリズベットに感じていた友情は二人が対等であったからだ。自分の全力が出せる相手だからこそリズベットと競うのは楽しかった。対等こそが一番気兼ねないというのは国同士でも当てはまるのだろう。

「理解出来てしまうのがかえって苦しいなんて、あまりない経験ですね」

 そう言ってユーフィリアは失笑した。否定するにも今が絶妙な拮抗にあるのは確かである。塩についてはまだはっきりしていないが、フローディア国の穀物に関しては聖女の日記で、彼女が成した事であるのは確定している。個人的な予測が入るには入るが、ユーフィリアはすでに聖女=導者説は、八割がたは正しいと思ってしまっていた。

「リズベットについては分かっているつもりでしたが、こうも先に行かれてはついていくのも大変です。少しは自重して欲しいのですが」

「信頼されているのだと思いますよ。だからあんなに思い切りの良い行動が取れるのだと」

 チェルシーの言葉は嬉しくあるが、今後のリズベットを考えると、ちょっと不安にもなるユーフィリアであった。

「きっとグレイシア国から帰って来た時には、また予想もしない特大のお土産を持ってくるのでしょうねぇ」

「魚、お土産に持って帰ってきてくれないかな」

 長い間真面目な話をしていて気が抜けたのであろう。チェルシーは己の願望をつい口にした。何せチェルシーの前世は日本人である。魚に恋い焦がれるのは仕方がない事だ。それに驚いたのは魚食を知らないユーフィリアである。

「魚って美味しいのですの?」

「私は好きですね。前世では肉と同じくらい主食でしたし。私の住んでいた日本っていう国は世界屈指の魚王国でしたから。あ、そうだ。海のないフローディア国で魚は見かけませんが、リズベット様はよく食べていたとか」

「え? リズベットが?」

「パルフェ商会から個人用に仕入れていたらしいですよ。グレイシア国だと海ありますし。私もパルフェ商会が魚扱っているって知っていたらなぁ。何度もチャンスあったのに。ああ、鮭茶漬けが食べたい」

「……魚を食べる、ですか」

 何とも言い難い顔をしているユーフィリアにチェルシーは追い打ちをかけた。

「実はですね? 魚って生でも美味しいんですよ」

「な、生ですって!? え? ……嘘でしょ?」

 前知識一切なく、初めて寿司や刺身を見た外国人のようなユーフィリア、百点満点のリアクションにチェルシーは笑ってしまう。仮にも一国の王妃に向かって、『あ、これ、楽しい』とか思ってたりした。

 ただチェルシーは想像もしていなかった。グレイシア国にて、すでに魚の生食、刺身文化があるという事を。もしもチェルシーにこの情報が渡っていたとしたら、彼女は絶叫していたに違いない。


「導者、お前、絶対聖女やろ!!」


 と。

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