第29話 ベオウルフは聖女(導者)の言葉を勉強する
リズベットのぶっこんだトンデモ話はベオウルフの思考を止めるのに十分な効果があった。隙を見せたベオウルフを見逃すリズベットではない。ここぞとばかりにリズベットは彼に対して難題を吹っかけた。
「フローディア人の私が導者について調べるにも限界があるから、あなたの方で調べて欲しいのだけど」
「貴様、俺を使いにするか!」
「私にやらせてくれるのであればいくらでもやるけど、それはそれで困るでしょう?」
「それはそうだが……」
ベオウルフは心底嫌そうな表情を浮かべた。聖女=導者説については凄く興味があったが、だからと言ってリズベットの言いなりになるのはごめん被りたいベオウルフは反論を試みる。
「リズベットと言ったな。貴様は知らないだろうが我が国はすでに導者の調査をあらかた終えている」
「でも完璧じゃないでしょ? 仮に導者の縁の品があったとしても、それが何であるか分からなかった事も多いんじゃない?」
しかしリズベットは的確に痛い所をついてくる。グレイシア国はリズベットの言う通り、導者が使っていたとされる品々を貯蔵していたが、それらがどういう意図で使われたものなのか、そもそも本物であるのか判別が出来ない物が多々あった。
リズベットに先回りされ、言葉に詰まったベオウルフであったが、フローディア国の聖女の事を思い出して持ち直す。フローディア国における聖女の調査が、導者と似たような状況なのだろう。だったら立場としては同じであるし、恐れる必要はない。
「仮にそうだとして貴様はどうするのだ? 貴様だって理解出来ないのは同じであろう?」
完全に調子を取り戻したベオウルフはリズベットに詰め寄る。無言のリズベットに効果ありと見たベオウルフはそのまま話を続けた。
「例えばそうだな。導者の品を判別する手段の一つに導者の文字があるが、よもや解読出来る訳ではあるま……」
「うふふ」
それを待っていたと言わんばかりにリズベットはとある紙を差し出す。淑女らしからぬ笑みを浮かべているリズベットを怪訝に思いつつも、ベオウルフは差し出された紙の内容を確認し、
そのまま固まった。
「驚いたかしら?」
「これはまさか導者の文字!?」
リズベットの紙にはびっしりと『聖女の文字』が書かれていた。知らないという前提をいともあっけなく崩されたベオウルフは動揺する。
「私達フローディア国でこの文字は聖女の文字と言われているわ」
聖女と導者は共通の言葉を使っている。その事実は同一人物説の証拠としてなかなか説得力があった。しかしベオウルフも一筋縄ではいかない。一度隙を見せたもののすぐに立て直しを測る。
「伊達や酔狂で同一人物と言ったわけではないという事か。だがこの紙に書かれているのは些か妙だ。確かに導者の文字ではあるが、一部分しか使われていないように見える。導者の文字はこれ以外にももっと複雑な形をした文字を使っていたと思うが……」
つまりひらがなと漢字である。リズベットの出した紙はひらがなのみで構成されており、ベオウルフが気づいた事にリズベットはむしろ嬉しそうな表情を浮かべた。
「グレイシア国もしっかりと研究してるじゃない。その答えはシンプルよ。これ、私が書いたのよね」
「何? 適当に書いたにしては規則性があるように見えるが……」
リズベットの二回目の揺さぶりに対して、ベオウルフは冷静であった。己の中でのリズベットの意外性の部分を大幅に引き上げたのだ。こいつの事だから何があってもおかしくないと心構えしておけば、驚きも少なくなる。
「てっきりまた驚くのか、あるいは怒るのかと思っていたのだけれど」
「ここで過剰に反応したら貴様を喜ばせるだけだろう? 嘘の可能性も考えたが貴様の事だ。場をかき乱すためだけの嘘なんかはつくまい」
「私という存在を理解してくれているようで嬉しいわ」
ベオウルフはリズベットがこの紙を見せた意味を今一度考える。知識のないベオウルフには読めはしないが、リズベットが書いたとされる文字は明確なルールにのっとっいるように見え、れっきとした文章であるように感じた。
「フローディア国は聖女の、我々で言う導者の文字を解読したのか?」
導者の文字の簡単な方だけ構成されており、難しい方を省いている事から解読は完全ではない、そう考えるのは浅はかだ。どちらに対しても理解がなければ、そもそも分けるなんて事は出来ないのだから。つまり解読はほぼ最後まで進んでいる。ベオウルフはそう考えた。
「少なくともグレイシア国よりは進んでいると思うわよ」
「……仮に我々が先に文字を解読していたとしても、フローディア国へ気安く与えられる情報ではないだろう。出来る範囲で答えてくれた事に感謝する」
ここまでぶっこんでおいてはぐらかすなんて何をと思うかもしれないが、これも一つの政治である。リズベットがあえて濁したのは、全てを出してしまっては底が知られてしまうからだ。例えベオウルフから読まれていようが、リズベットが肯定しない限りは幻でしかない。
リズベットとしては交渉における切り札を安売りするつもりはないのだ。だがリズベットは暗に協力してくれたらさらに情報を与える事を示唆している。あの紙をベオウルフに見せたのはそういう意味だ。そしてベオウルフはリズベットの提案に乗った。
「ありがとう。幸い私にはあなたの誠意に応える用意があるわ。今の私があなたに与えられるのは、聖女の文字の中で簡単な方の読み方。これはひらがなと呼ばれているものよ。このひらがなは表音文字との事よ」
「……聞き慣れない言葉だな」
「私もこの前初めて聞いたばかりだからね。無理もないわ」
「詳しい説明を頼む」
「表音文字の定義は、文字そのものが音を表し、単独では意味をなさないもの。複数の文字が連なって初めて言葉となるものを言うの。つまり私達が普段使っているものと一緒ね。これを見て」
「これは……本当に俺が見ても良いのか?」
ベオウルフが躊躇するのも無理はなかった。リズベットが出したもう一枚の紙には、全てのひらがなが列挙されており、各文字の横にどう発音するのかリズベット達の文字で書かれている。
要するに対応表だ。これだけでもとてつもない重要な情報である。
「これくらいなら問題ないと断言するわ。どう発音するか知っていても、聖女は独自の言語を使っていたから言葉の意味が分からない。これだけだと半分にも満たないわ。一つだけ例を挙げてあげる。『み』『ず』」
※ みずは日本語で発音してます。
「?」
強調して言われてもベオウルフには『みず』が何の事なのかさっぱりであった。
「これ、私達の言葉で言う水の事らしいわよ」
「……なるほど」
フローディアとグレイシアでは特に意味のないはずの言葉が、聖女には意味を持つ言葉になっている事で、ベオウルフはリズベットの言わんとしている事を察した。
「それで私の書いたこれだけど、これはある意味偽物と言っていいかもしれないわね。聖女の文字を使って私達の言葉を書いただけのものに過ぎないから。難しい事は書いていないから、対応表見ながら読んでみて」
ベオウルフは言われるまま、対応表とにらめっこしながらリズベットの紙を読んでみる。
「ぐ、れ、い、初めはグレイシアだな。グレイシアの、さ、か、な、次は魚か。魚がお、い、し……魚が美味しい。ただの感想か!」
「ふふ、私難しくないって言ったでしょ」
その後もリズベットの子供のような感想文が続き、ベオウルフは微妙な表情を浮かべた。ただしょーもない内容であっても読む事が出来たわけで、大きな進歩である事には変わらない。
「この対応表はそのままあなたにあげるわ」
「これで貴様は俺に聖女と導者が同一人物である証拠を探せというのか? この対応表は貴重な物には違いないが、これだけでは流石に無理があるぞ」
「もちろんそれは分かってるわ。だから私がお願いしたいのはある文字列を探す事」
「文字列だと?」
「私が探してほしいのはタチバナリツカという言葉」
「タチバナリツカ? それは何だ?」
「タチバナリツカこそが聖女フローディアの本当の名前よ。もしもこの名がグレイシア国で見つかったのだとしたら……」
「聖女と導者が同じ人物であるかはっきりとするというわけか」
リズベットは頷いた。
「後これとこれ」
リズベットは対応表に新たな二種類の言葉を書き足す。
「これもまた導者の文字?」
ベオウルフはこれらに見覚えがあった。やたら角ばって画数も多い難しい文字に、ひらがなと同じ簡単であっても、ひらがなよりは固く見える文字。リズベットの書いた紙からあえてハブられた物達であった。
「それぞれ漢字、カナカナと言うらしいわ。全く違って見える物でも二つも意味は同じ。どちらもタチバナリツカと読むの」
「同じ名なのに書き方が三通りも存在するなんて、実に頭が痛くなる話だな」
「探し出すだけだから大丈夫よ」
「ふむ……」
ベオウルフは考える。確かに導者の過去を辿るのは魅力的だ。リズベットの同一人物説も興味深くて実に心が躍る。だがこれははっきり言って政治面ではさほど関係ない。あったら良いなレベルのもので、特に決め手となるものでもないのだ。
それを分からないリズベットではないだろう。故にベオウルフは気になった。リズベットのタチバナリツカへの並々ならぬ思いはどこから来るのか。
「リズベット、貴様は何で聖女と導者を結び付けたいと考えている? 確かに我々にとって導者は偉大な存在であり、信仰のシンボルとも言えよう。聖女と導者が同じであったとしたら、貴様が望んでいる夢に一歩近づくのも事実だ。だがそれ程の事か? 俺としては貴様程の賢さがあれば別に聖女と導者に縋らなくてもいい様に考えるが」
「確かにそうかもね。でも私は知ってもらいたいのよ。タチバナリツカがどれ程フローディア国とグレイシア国に尽力したのか。彼女がいなかったらきっと私達はこの場にいなかったのわ。どちらかが、あるいはどちら共滅んでいたかもしれない。私達がこうして平和への意思を持てるのはきっと彼女が根回ししてくれてたおかげ。確かにタチバナリツカは過去の人物であるし、今の私達には直接関係ない事は事実よ。でも彼女の平和への願いを知る事はきっと無駄にはならない」
「願い……か」
「ええ、願い。それは本当に些細な事なのかもしれないけど、まだちょっと足りないとなった時、最後の決め手とも成りうるものよ」
結局最後には理屈など関係なく、どれ程本気になれるのかが重要であるとリズベットは知っていた。そんなリズベットの言葉に感じるものがあったのか、ベオウルフは否定しなかった。しばらく思案顔を見せた後、ベオウルフはとうとう決断した。
「分かった。俺の方でタチバナリツカを探してみよう」
「いいの?」
「加点になる事は間違いないんだ。やらないよりはやった方が良いのは分かり切っている。今は急ぎでやらなければならない事もないしな。それに俺はお前を気にいった。だが堂々過ぎるのも考えものだぞ。貴様が何か言う度に、後ろに控える貴様の護衛の顔が青くなっていたからな。少しは考えてやれ」
「それは……悪かったわね」
罰の悪そうなリズベットにベオウルフは笑った。
「公の場でまた会えるのを楽しみにしている。調べた結果どうなったかはその時に話そう」
「ええ、宜しく頼むわ」
ベオウルフが立ち去った後、二人のやり取りを見守っていたライネルがため息をつきながらリズベットのそばへとやってきた。
「まったく肝が冷えましたぞ」
「ごめんなさいね。やるからに真っ向勝負と決めていたから」
「うまくまとまったから良かったものの、心臓に悪い事はなるべく控えてくだされ」
「私もしばらくはごめんね」
それは時間が経てばまたやるという意味なのだろうかと、ライネルは問いかけたかったが、答えを聞きたくなくて何も言わなかった。その代わりライネルはベオウルフの方を話題にあげる。
「しかしあの御仁は一体誰なんでしょうな? 只者じゃないのは明らかですし。相当な上な者と見受けますが……」
「さあねぇ。まあ後々分かる事でしょ」
「本当にリズベット様は堂々としてらっしゃいますな」
「内心は震えてたわよ? 思った以上の大物っぽかったし」
「本当ですかねぇ」
こうしてリズベット達はグレイシア国の新都で最後の夜を終えた。
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