第25話 聖女と導者
「しかし導者が聖女と同じと考える根拠は何なのですかな?」
ライネルは聖女がグレイシア国にも来ていたなんてにわかには信じられなかったが、リズベットにはある程度の確信はあるに違いない。リズベットは理想におぼれて勝算がない事をする愚か者ではないのだから。
「フローディア国が発展したのは聖女のおかげなのだけれども、一方でグレイシア国の発展には導者が深くかかわっているのよ。ちなみに何故導者と呼ばれているかと言うと、グレイシア人を旧都から新都へと導いたから」
「導者こそが新都の出来たきっかけだったのですか」
「ええ、パルフェから聞いた導者の伝説によると、導者は耳も尻尾も持たない異国の老人であり、困窮していたグレイシア王の前に現れて、王都の場所を変える事を進言したとされているわ」
「異国の者……フローディアでも、グランナハでも、ミリシアンでもない」
良いところに気が付いたとソルはにやりとした。
「そう、普通ならどこの国とか書かれていても良いはず。私達の外見は国によって必ず特徴はあるわ。だからもし導者が出自を語らなかったにしても、推測は出来て良いはずなのよ」
「導者にはこれらの国の人に該当する特徴がなかった。すなわち異世界人であると、リズベット様は考えたわけですな?」
「そのとおりよ」
導者の神聖性を高めるため、あえて出自をぼかした可能性は捨てきれないが、筋は通る話ではあるとライネルは思った。しかしこれだけでは判断材料としては到底足りないし、リズベットだってこれだけで説得出来るとは考えていないであろう。ライネルはリズベットの次の発言を待つ。
「次に重要なのはグレイシア国に導者が現れた時期ね」
「時期に関しては一緒でもズレ過ぎてもいけませんな。聖女がフローディア国にいた時期であれば別人という事になりますし、ズレ過ぎてしまっては聖女が生きた時代とは異なるので、これもまた別人という事になります」
「さっき導者がグレイシア国に現れたのはグレイシア国が困窮していた時と言ったけど、それが何時であるかはある程度推測出来ているわ。グレイシア国が困窮してしまったその理由、それは間違いなく戦争の敗北によるものよ」
フローディアの人達が知る、グレイシア国に起きた戦争と言えば一つしかない。
「フローディアの独立戦争ですか」
「この戦いの詳細は聖女の日記で初めて分かったのだけど、接戦とかじゃなくてフローディア人の圧勝だったらしいわ。聖女の知恵を授かったフローディア人は今までと比べ物にならないくらい強くなり、グレイシア人は完膚なきまでに叩き潰されたの。余程驚いたでしょうね。それまで取るに足らない相手であった者達が一瞬で化けたのだから」
戦いは情報戦でもある。一度開戦となってしまったら勝敗がつくまで後戻りは出来ない。だからこそ事前の国力調査には力を入れる。グレイシア国だって勝機を見込んだからこそ、攻めてきたに違いない。しかしその情報が全て間違っていたとしたら。悪夢以外の何物でもないだろう。
「見事独立を勝ち取ったフローディア国は繁栄していき、戦いに負けてそれまでの支配地を失ったグレイシア国は窮地に立たされたわけだけど……ねえ、おじ様。変だとは思わない?」
「変、とは?」
「何でグレイシア国は存続出来たの?」
「それは……」
本当にグレイシア国が窮地に立たされていたのだとしたら、フローディア国に滅ぼされていてもおかしくはない。グレイシア国が立ち直るためには何かしら大きな出来事が必要だ。それこそ神がかり的な何かが……
「きっと生半端な物じゃ駄目だったはずよ」
「聖女は私達フローディア国のために畑を与えてくれました。では導者がグレイシア国に与えたのは何だったのか。導者は海の近くを新都とし、移動させたのでしたな。そして今現在、新都では塩によって栄えております。魚も塩によって日持ちの問題が解決され、産業として強くなった。つまりそういう事ですな?」
グレイシア国が塩を売るようになったのは戦争後であるのは確定している。グレイシア国がフローディア国を国として認め、国交復活にグレイシア国から用意されたのが塩であった。
「時期としてもちょうどフローディア国とグレイシア国で順番になっている」
「確かにばっちりかみ合いますな」
「それに私はね。この時のグレイシア国の冷静な対応が気になるの。再戦を望むわけでもなく、交渉に持ち込んだ。ここの機転は見事と言う他ないわ」
「塩だけでは再興はならなかったわけですな。また戦争になれば少なくない損害を被る。戦争を回避したからこそ今のグレイシア国があると」
考え込むライネルにリズベットは言った。
「聖女やチェルシー、異世界の人は戦争を心の底から嫌っている。もちろん私達だって平和は尊いものだと思っているけど、彼女達のそれは私達の比じゃないわ」
実際リズベットが見たチェルシーは徹底していた。彼女の頭の中にはリズベット達が知りようもない知識がつまっている。しかしチェルシーはそれをひけらかす事はしない。強大な財と力を得る事が出来るはずなのにそれを良しとしない。
リズベットには彼女達異世界人の持つ吟味に関して、理解出来ない部分が多い。しかしリズベットの感は彼女達が正しいと告げていた。少なくともタチバナリツカの英断によって、リズベットがパルフェと出会えたのは間違いない。
「聖女、タチバナリツカはグレイシア国との戦いに勝った後、戦わなくても生き残る方法があったはずだと探し続けていた。グレイシアの人達に詫び続けていた。そんな彼女だからこそきっと……」
「ここで賛同するのはたやすいですが、そんな事はリズベット様も望んでいますまい。だから私自身の本音を言いますが、私はチェルシー嬢とそんなに話してはおりませんし、聖女の日記の詳細も知りません。だからこれだけ話を聞いても、半信半疑な面があります」
何せ聖女の日記という証拠があったフローディア国と違い、グレイシア国の話については、どれだけ理由を積み重ねても所詮は全て推測である。ライネルが確証まで至れない事は当たり前であった。
「それが普通だと思うわ」
どこか申し訳なさそうに、そして残念そうに言うリズベットにライネルは力強く告げた。
「しかし私は聖女については分からなくとも、リズベット様の事は信じております」
「私を?」
リズベットが体を張るのは今回が初めてではない。ユーフィリアが倒れた際、彼女は命のリスクを承知で偽王女という荒業で危機を回避して見せた。この時点でライネルはリズベットを疑うという選択肢はない。彼女のしたい事は全力でサポートする事は決めていた。
「一つ聞きたいのですが……」
ただライネルとしては、この時リズベットが何を思って行動を起こしたのかは気になった。
「何故リズベット様は命の危険をさらしてまで、ユーフィリア様を助けたのですか?」
リズベットのその意志の強さは一体どこから来ているのか。ライネルの問いかけに対するリズベットの返事は明快であった。
「私はね、おまけの人生を生きているの」
「おまけの人生?」
「本来の私はシュタイン家没落で、両親と共に死んでいたはずよ。本来死んでいたはずの人間が生きていて、延長戦やってるんだからおまけの人生でしょ?」
「しかしリズベット様自身は何も悪い事をしていなかった」
「貴族社会ってそうじゃないでしょ? 大きな富と権力を持つ代わりに誰か失敗したら連帯責任を負わされる。それこそが貴族ってもの。でも私は例外として生かされた。レナードとユーフィリアが私を生かしてくれた」
どれほど理不尽であろうが貴族とはそういうものだ。貴族には多くの特権があるが、その分落ちていく者には苛烈だ。だからこそリズベットは平民になろうが、辺境の地に押し込まれようが、己の命が今ある事が奇跡だとすら思っていた。
「感謝してるのよ。国としてルールは絶対厳守なのに、それを捻じ曲げてまで助けてくれた事に」
情け人のためにならずという言葉がある。これは一見、人を助けてもその人のためにならないし、助けてもくれないと誤解されやすいが、その真の意味はその真逆である。
与えた恩は自分に恩として帰ってくる。誰か人を助けた場合、感謝を忘れなかったその人が、自分が困った時にいつか助けてくれる。つまりは将来の自分のために人を助ける、情け人のためにならずとはそういう意味なのだ。
レナードとユーフィリアが必死に助けたリズベット、彼女はその受けた恩をずっと心に秘めていた。いつか返すために。ライネルは三人の情の深さに胸打たれる思いであった。そのライネルの敬意の視線が照れくさくなったのか、リズベットは言葉を付けたす。
「それにね? 私が行かざるを得なかったってのもあるのよ」
「というと?」
「レナードとユーフィリアがいなかったら私は後ろ盾を失う事になる。だから自分の命を守ったとも言えるわね」
しかしもうライネルにリズベットの言い訳は通じない。リズベットの想いはしっかりと彼の心に届いてしまった。
「ふむ、まあそういう事にしておきましょうか」
「……何か含みがあるわね」
「いえいえ、リズベット様はユーフィリア様に劣らぬ素晴らしい人だと再確認しただけです」
「すっごく体がかゆくなるわそれ!!」
「ほっほっほ、こういう褒められ方は苦手なようですな。でもこれでリズベット様が何を考えているのか理解しました。これで全力で御守り出来るというもの。安心してお休みください。さて、淑女の部屋で長居するのも良くないですし、私はそろそろお暇しましょうか」
言うんじゃなかったというリズベットを後にし、ライネルは部屋の外へ出て、警備の役へと戻って行った。その顔に優しい笑みを浮かべながら。
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