第26話 究極の魚料理、その名も刺身!

「魚を生で食べるですって?」

 リズベットの驚愕の叫びが辺りに響き渡る。それはパルフェにお楽しみと言われた夕食での事であった。パルフェ馴染みの店というだけあって、赤レンガで出来た店構えは雰囲気が良く、温暖色の照明がその赤に良く映えた。

 店の雰囲気とは馬鹿に出来ず、一流は見た目もちゃんとこだわるものである。同じ料理でも食器や見た目が凝っているだけで違って見えるし、店の景観だって同じ事である。ただ豪勢だから良いわけではない。店、食器、食、給仕する人に至るまで、全てがマッチしているこそが重要なのである。

 店に一種の調和間を見出し、リズベットがこれは期待できると思った矢先、パルフェがぶっこんで来たのが刺身であった。

「姉さん、この新都でしか食べられない魚の究極の食べ方があるんだよ。通はね? 何と魚を生で行くの」

「……冗談じゃないわよね?」

 予想外すぎてリズベットはそう返すのが精いっぱいであった。

「フローディア国なら考えられない事だと思うけど、嘘じゃないよ。ちゃんと料理名で刺身って呼ばれているしね。メニュー表にもあるでしょ?」

「……本当に書いてある」

 しかも何種類も。刺身というカテゴリーがあって、魚の種類事に分かれていた。そもそも魚初心者のリズベットには、どの魚がどんな味がするとか分かりようもないが、相当な種類があるのが伺えた。

「この味が姉さんの好みかは正直分からないけど、ここでしか食べられないのは確かだよ。鮮度が持たないからね。新鮮な状態じゃないと生では食べられないんだ」

「なるほど」

 貴重であるのは理解した。でもリズベットはこれまで生食に縁がなかったため、挑戦したい気持ちと、敬遠したい気持ちがせめぎ合う。慣れない食べ物でお腹を壊さないかも心配だ。しかしリズベットが周囲を見渡すと確かに皆、この刺身というものを美味しそうに食べている。

 マイナス材料が見つかれば、プラス材料が見つかり、結局最初の拮抗状態に戻ってくる。動けなくなっているリズベットを後押ししたのはパルフェだった。

「私としてはせっかくだから試すだけ試してほしいね。もし口に合わなかったら私達で食べるからさ」

 この瞬間リズベットの中の天秤が挑戦に傾いた。

「……何事も挑戦よね」

 完食しなくてもいいのであれば突撃あるのみだ。メニューを見ても相変わらず何が何だか分からない。だったら全部試してみれば良いじゃない。リズベットは目ざとく見つけていたのだ。刺身のメニューの一番下に書かれていた物を。

「五種盛り、行くわ!」

「流石は姉さん! 思い切りがいいねぇ」

 リズベットの英断にパルフェだけでなく商会の皆も盛り上がる。そんな中、自分に刺身の話題を振られなかったライネルはほっとしていた。つい先日初めて魚を食べたばかりのライネルにとって、魚を生で食べるのは空想の生き物、ドラゴンに挑むようなものであった。

 そして刺身というものは出てくるのが早い。なんせ魚の身を切るだけなのだから。そこには熟練の技があったりするわけだが、他の料理よりも圧倒的に提供が早いのは確かである。というか刺身は早くないといけない。

 あっという間に出てきた五種盛りにリズベットは驚きを隠せなかった。

「覚悟も何もあったもんじゃないわね……」

 流石にまだ準備が出来切っておらず、リズベットは初めて見た刺身をじっくりと観察しようとしたが、パルフェがそれを許さない。

「姉さん、刺身は鮮度が命だ。時間が経てば経つほど味落ちるよ」

「随分と急かすわね。でもまあいいわ。行くわよ!」

「姉さん、ソースはこれつけてね」

「分かったわ」

 リズベットは意を決して刺身を取り、ソース(醤油)につけてから口に含む。

「………………」

「どう?」

「不思議というか、美味しいのかしら? 初めての味過ぎてなんて言ったらいいのか分からないのだけれど、少なくとも食べられないって感じではないわ」

「おお、上出来だよ姉さん! きっと慣れてくれば美味しいと感じてくるはずだよ」

「もうちょっと食べてみないと分からないかも。こちらの魚の味はどうなのかしら?」

 リズベットの刺身挑戦に周りが大きく賑わう中、ライネルはふと店に入ってきた新たな客に目を止めた。周りにいる人の把握は騎士として染みついた習慣である。「次はおっちゃんね!」と自分に振られるのを恐れたとも言えるが。

 やってきたのは若いグレイシア人の家族であった。一組の夫婦と二人の子供の四人組である。その仲睦まじい様子はフローディア国の家族と変わりなく、平和そのものである光景にライネルは思わず笑みを浮かべた。

 ライネルはリズベットの安全に支障なさそうだと判断したが、一方でグレイシア人の男はライネルを見て、信じられないものをみるかのような視線を向けた。その奇異の視線にライネルは眉を顰めるが、男の顔をよく見た時、何か引っかかるのを覚えて困惑する。

「あんた……十年前、国境にいたフローディア国の騎士団長か?」

 駆け引きも何もないまさかの切り込みにライネルは仰天した。相手は疑問形ながらも確信めいたものを感じているようで、これでは別人だと言い張る事も難しい。リズベットとパルフェも何事かとライネルを見るが、ライネルも分からないので説明するのは難しい。

 本来であればライネルは怪しくて思われても、しらを切り続けるべきなのであろうが、男に敵意がない事は確かなようであった。だったらその感覚を信じるべきか。そう判断したライネルは素直に答える事にした。

「確かに十年前私はそこにいたが、そういうお主は……」

「やっぱりそうか! 覚えてないかな? あんたらに喧嘩吹っ掛けてた生意気なガキの事を」

「お主、まさか……」

「ああ、そうさ。あんたにとっちめられたのは俺さ」

「おおお……」

 グレイシア国に来た時にふと思い出した彼が目の前に現れた。まさかの再会にライネルはこんな事あって良いのかと驚きを隠せなかった。ライネルの感じていた引っかかりは正しかったのだ。

「何であんたがこんなところにいるのか分からないが、ようこそグレイシア国へ。俺はあんたを歓迎するぜ」

 しかしライネルとしては恨まれてもいいはずなのに、歓迎されているのが訳分からない。ライネルの困惑はいよいよ極まる。すると男の子供の一人が興味深そうにライネルを見た。

「お父さん、この人は誰?」

「このおじさんはな、すっごい強い人なんだ。昔父ちゃんはこの人に挑んた事があるんだが、コテンパンにされちゃってな」

「お父さん弱いの?」

「いーや、お父さんは強い! 当時の若手の中ではトップだったんだぞ。特に速さには自信があってだな。それこそ雷光とまで呼ばれていたくらいなんだからな!」

「……でも負けたんだよね?」

「このおじさんはもっと強かったって話だ! 何せこの雷光の一撃を見切ったんだからな!」

 確かに男の見せた一撃は早くて鋭かった。ただ攻撃の素直さは経験の少なさが出ており、生意気だった当時の彼を思い出して、ライネルは懐かしい気持ちになる。そこに今度やってきたのは男の妻だ。

「あなたが夫の恩人なんですね」

「恩人、というと?」

「本来であれば、フローディア国の兵に攻撃を仕掛けた時点で、殺されていてもおかしくなかったのに、あなたは見逃してくれました。本当にありがとうございます。こうして私達が家族になれたのはあなたのおかげです」

 ライネルとしては別に特別な感情はなかった。ここでいざこざを起こして戦いが拡大すれば面倒だと思っただけで。死ぬ必要ないとは思ったが、見逃したというよりは面倒事を避けただけだ。それがここまで感謝されるなんて。

「お、パルフェじゃないか。お前がこの人を連れてきたのか? よくやった!」

「いやいや偶然よ偶然。私の大事な顧客の姉さんの護衛がおっちゃんだったの」

「それでもいいさ! まさかまた会えるなんて思ってなかったし」

 男は興奮気味にライネルと再会出来た事を全力で喜んでおり、ライネルは何かむず痒いものを感じたが、そこでリズベットが一言。

「情け人のためにならずってね。おじ様も私の知らないところで良い人やってるじゃない。しっかり返って来たわ」

「……さっきの意趣返しですかね」

「ふふふ、私は根に持つ女だからね。お返しできるチャンスは逃がさないわよ」

「私としては打算あってのものだったんですがねぇ」

「あなたを評価するのはあなた自身じゃないわ。あなたの周りの人よ。あの人にとってはあなたが命を助けてくれた。それが真実なの。だから受け取ってあげなさい」

 ライネルは思い知った。能力を褒められるのは慣れているが、人が良いと褒められるのは確かに恥ずかしい。だが同時に嬉しさもこみあげてくる。かつての問題児であった男がこうして家族を連れ、幸せな姿を見せてくれている。この光景を作ったのが、本当に自分であるのだとしたら、とても名誉な事だとライネルは思った。

 男はパルフェと顔馴染みだったらしく、パルフェは男の無鉄砲さをダシに男を弄る。

「しっかりあんた、おっちゃんに喧嘩売るなんて昔からアホだったのねぇ」

「しょーがないだろ。兵士だったときは、軟弱なフローディア人に負けるわけにはいかないって、教育されてんだから」

「それを真に受けて戦いに行くアホがいるか。下手すれば犠牲者出てたし、戦争起きてるじゃん。私の商売の邪魔はしないでよ」

「それはその……悪かったよ」

 タジタジな男に、彼の妻が男の肩に手を置く。

「安心してパルフェ、今は私がこの人の手綱を引いてるから」

「頼んだよ! しっかりコントロールしておいてね」

 その平和な光景がたまらなく、気づくとライネルは自分から男に話しかけていた。

「お主は今一体何をしてるんだ?」

「俺は兵を退役して漁師やってるよ」

「という事は魚を?」

 男の意外な職業にライネルが目を丸くすると、パルフェが補足する。

「こいつは猪突猛進なアホだけど、漁の腕は確かなんだ。このレストランに魚も卸したりしてるし」

「ひょっとしてこの刺身もそうなのかしら?」

 リズベットが刺身の皿を掲げると、それを見た男が頷く。

「ああ、刺身であるのなら今日の物は多分俺ので間違いないと思う。朝方にガッツリ釣ってきたしな! ってあんたは?」

「このお方こそがパルフェ商会の始まりを作ったお方、その名もリズベットの姉さんだよ!」

「ほー、あんたがうちの国の物や、魚を買ってくれる人か」

「昔はともかく、今はそんなに量は買えないのだけどね」

「いやいや、ありがたい事だよ。フローディアの人がグレイシアの物を食べてくれるなんて嬉しい限りだ」

「そーだよねー」

 男とパルフェがしきりに頷く。別に煽っているとかそういう訳でなく、本心からの会話であったが、だからこそその会話はライネルの心に火をつけた。ライネルは覚悟を決めた様子で立ち上がり、リズベットの方へと向かう。

「リズベット様」

「はいはい、新たなチャレンジャーね。刺身をどうぞ」

 それまで避けていたのが嘘のように、ライネルは豪快に複数の魚きれを摘み取ると、一口で一気に行った。その光景を見て男が破顔する。自分が釣った魚を恩人が食べてくれる、その嬉しさはひとしおなのだろう。

「どうだい俺の釣った魚は?」

 はっきりと言って美味しいかなんて分からない。リズベットが言った通り、斬新な味すぎてどう形容していいか分からなかった。それでもライネルは満面の笑みを浮かべて言った。

「何とも美味だなこれは!」

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