第24話 新都にて ライネルはリズベットに真意を問う
新都と呼ばれるグレイシア国の王都は海に面している。街の景観も素晴らしいが、やはり最初に目を引くのは海だ。ツコシヤート湖から一日半、フローディア国からずっと移動していたので、流石に疲労を感じていたリズベットとライネルであったが、生まれて初めて見た新都の光景はそれを吹っ飛ばすには充分であった。
地平線まで果てしなく続く海は雄大で、世界の果てを連想させる。実際は海を超えた先にまた陸があり、そこには別の国があると聞いているが、リズベットには到底信じられなかった。
「いやはや、途方もないですなぁ」
「これが海……月並みな言葉だけど、世界って広いのね」
港町と言うだけあって、大小様々な多くの船が停泊している姿が見られ、遠くからでも人がにぎわっているのが見える。
「パルフェ、船の大きさに違いがあるようだけど、あれは何か役割に違いでもあるのかしら?」
「姉さん、いい着眼点だね。基本的に小さい船は近場で、大きい船は遠出する感じかな。遠出する理由は場所によって釣れるものが違うんだ。でも遠方の魚を狙う場合、移動距離が長くなるから小さい船で何往復もしていたら効率が悪い。だからこそ大きな船で一回で大量にって感じだね」
「なるほど、効率を考えてなのね」
港から視線をずらすと、石造りの街並みが広がる。これは材木よりも石の方が調達が容易だったからだとパルフェは説明した。
「フローディア国では城とか関所のような要所では石だけれど、住宅は木造がメインなのよね。
でもグレイシア国はすべてが石造りだわ。二国の違いが見た目として、こうもはっきりと出るのは驚きね」
「まさに異国に来たという感じですなぁ。あの赤い石なんてフローディア国にはありませんね」
「ああ、あれは確かレンガって言うんじゃなかったかしら? 元から存在している物じゃなくて、言うなれば人工で作られた石よ」
「ほう、石の色、サイズ共に均等であるとは思っていましたが、切ったのではなく、作ったという事であれば納得でありますな」
興味深そうにグレイシア国の建築様式について語る二人にパルフェは言った。
「色々見たいとは思うけど、まずは食事と休息だ。宿に行ったら近くのお店に食べに行こう。本格的に動くのは明日からって事で」
「そのお店って例のお勧めの?」
「ああ、私達パルフェ商会の行きつけの店だよ」
「それは良いわね! 期待させてもらうわ」
そうして宿にやってきたリズベットは夕飯までの間、部屋で寛いでいた。久々の個室でのゆっくりとした時間である。リズベットは護衛のライネルもいるし、相部屋の雑魚寝でも構わないと思っていたが、流石にそれはパルフェから却下された。
反論しようと思えばできたが、もし事件でも巻き込まれでもしたらユーフィリアがキレそうなので、大人しく言う事を聞いたリズベットである。余計なお金をかけたくないにしろ、個室の方が気が楽な事には違いないので、リズベットはありがたく使わせてもらう事にした。
試しに備え付けのお茶を飲んで見たら初めての味に驚き、その後はグレイシア国ならではの食器を目で楽しむ。先ほどの海と比べたら一つ一つは些細な事であるが、それでも新しい体験は格別で心が弾む。
「宿も石造りか……異国情緒ってのはまさにこういう事よね」
心が落ち着かないワクワクした感じ、まるで子供のようだとリズベットは自身を笑った。その時の事であった。ドアがノックされたので、リズベットは誰かを問う。
「ライネルです。お話があったのですが……」
「入って良いわよ」
「んな!? 婚姻前の令嬢の部屋に入るのは出来ませぬ」
「だったらこう言おうかしら? 人に聞かれるリスクを避けたいから入りなさい。わざわざ訪ねてきたという事は、そういう人に聞かせたくない類の話って事でしょ?」
「……分かりました」
しぶしぶ入ってくるライネルに、リズベットはさあ座ってと手招きする。そしてリズベットはライネルに何の話かを問いただした。
「そろそろリズベット様の意図を知りたいと思いまして。チェルシー様と別れてから、あれよあれよのうちにここまで来てしまいましたからな」
ライネルもリズベットが、本気でグレイシア国の事を知りたいと思っているのは分かっている。ライネルがグレイシア国を訪れて初めて知ったモノは非常に多く、リズベットとパルフェの関係を見て、実際に見て話す事の重要性を肌身で感じたのは間違いない。
しかしながらリズベットはかつてユーフィリアと真っ向から競い合っていた程の令嬢である。ひょっとしたら何か裏があるのではないか、もしそうであるのならばライネルとしては、リズベットの真意を共有しておかなければならない。いざという時が訪れた際、しっかり守れるように。
ライネルは意を決してリズベットに訪ねた。
「グレイシア国にわざわざ来た真の理由はなんでありますかな?」
「ただ見たいから見に来たってのには嘘はないわよ。相手国の生活を知るという事は色んな意味で重要な情報だもの」
「ですがグレイシア国には我々が直接行かなくてもフローディア国の諜報員がいます」
これもライネルが疑問を持った理由の一つであった。フローディア国にグレイシア国やその他の国の諜報員が紛れ込んでいるように、グレイシア国にもフローディア国から送られてきた諜報員はいる。
自分自身で体験するのとは密度が違うのはもちろんであるが、それでも基本的な情報であるなら、諜報員からの報告書でも手に入る。だからこそライネルは他に意図があるのではないかと思いついたのだ。
「なるほど。それでおじ様、あなたの見解は?」
どこか試すようなリズベットに対し、ライネルは重々しく口を開いた。
「私としては塩の製造の秘密を暴こうとしているのかと」
リズベットの新たな仕事は外交である。しかし命の危険すらあるにもかかわらず、こうして直接グレイシア国に乗り込んだからには相応の対価が必要だ。そしてライネルはこのリスクに見合った対価と言うものが塩しか想像がつかなかった。それが友好の道へとは程遠いものであったとしても。
「へ?」
リズベットは一瞬きょとんとした様子の表情を浮かべると、盛大に笑う。
「あっはははは、それこそまさかでしょ。私も流石にそこまで命知らずじゃないわ」
ライネルが安堵したのは束の間であった。
「塩の秘密を暴くのは今じゃないわ。先の話よ」
リズベットの衝撃発言にライネルは絶句する。やっぱりそこまで見ていたのかと驚愕せざるを得なかった。しかしそれは今というタイミングではないらしい。
「後誤解ないように言うけど暴くと言っても奪うとか盗むとかも考えてないわよ? 私が望むのは円満にグレイシア国自ら提供してもらう事なんだから」
「では一体今回は何を目的としているのでしょうか?」
「別にそこまで隠す事じゃないから言うけど、今回の私の目的は三つあるわ」
「三つもですか?」
グレイシア国へ行く事に決めたのは、偶然リッチモンド領でパルフェと出会ってからの話だったため、ほぼ即決に近かった。その短時間で複数の目的を見出すなんてとライネルは仰天する。
「まず一つ目はさっき言った事繰り返すけど単純にグレイシア国を見てみたいと思った。諜報員がいるのは知ってるけど、正直ヤギの畜産の情報がフローディア国に伝わってないのはかなりの問題だと思うけど? レナードもユーフィリアも漁業の事は知っているけど、それ以外の食糧調達についてグレイシア国は未だに狩りをしていると考えているわ」
それを言われるとライネルも言葉がない。なおフローディア国の諜報員がこの情報を得られなかったのは、諜報員達がグレイシア国の中心である新都に集中しているのも関係している。もしも旧都にも力を入れていたら分かっていた事かもしれない。
「そして二つ目はグレイシア国でのパルフェ商会の立ち位置を知りたかったの」
「立ち位置、ですか?」
「ええ、パルフェ商会は今とても目立つ存在よ。何せグレイシア人とフローディア人が一緒にいる商会なんてここしかないのだから」
「確かに稀有な存在ではありましょう」
「そんなパルフェ達をグレイシア国のトップが知らないわけないのよ。パルフェ商会がどのように思われているかは分からないけど存続は許されている。もしグレイシア国がフローディア国を本気で嫌っていたとしたらどうなると思う?」
「パルフェ商会のフローディア人は追い出され、パルフェ殿自身にも何らかの罰則があってもおかしくありませんな。それをしないという事は……」
「ええ、もしかしたらあちらもフローディア国との友好の可能性を模索しているかもしれないわね」
ありえなくはないとライネルは唸る。だがリズベットの仮説が正しいものだとすると、別の問題が浮上してきた。
「しかしリズベット様、パルフェ商会がグレイシア国にとって重要と認知されているのであれば、その動向は常に注目されている事になります。それはつまり私達の存在がバレているという事では?」
「でしょうね」
あっけらかんと肯定するリズベットにライネルは大きくため息をついた。さっきの「そこまで命知らずじゃない」という発言は何だったのか。
「いやはや、ここで一度確認しておいて正解でしたわ。グレイシア国行きを止めなかった私が言うのもなんですが、些か体を張りすぎてはないですか? リズベット様はグレイシア国も我々に関心があるという前提で動いていますが、そうでなかったとしたら無駄死にするだけですぞ」
「そこは聖女を信じましょうか」
リズベットの良く分からない答えにライネルは怪訝の表情を浮かべる。
「どうしてここで聖女の名が出てくるんです?」
「知ってた? フローディア国には聖女がいたけど、グレイシア国にはね。導者という存在がいたのよ」
「導者、ですか?」
「私も導者についてはパルフェから初めて聞いたし、フローディア国では知られてないのだけど、グレイシア国にも聖女と似たような人物が存在していたのよ。興味深いとは思わない?」
「面白い話だとは思いますが、聖女と導者が似ている事に何の意味が?」
「おじ様、私はね。聖女と導者が同一人物でないかと考えているの」
「何ですと!?」
「それを調べる事こそが私の第三の目的よ。もし聖女が導者であるのだとしたら、聖女は、タチバナリツカはフローディア国、グレイシア国、どちらか一方だけ滅ぶのを良しとしなかった。彼女のおかげで私達は今の平和を謳歌している」
調べる事を目的と言っているが、リズベットはすでに聖女と導者が一緒であると確信しているようにも見えた。もうリズベットの心は定まってしまっている。信は力となるのか、ただの妄信に過ぎないのか、すでに退路は絶った。このグレイシア国に来た時点で。
「神頼みは好きではないのだけどあえて言うわ。私達が本気であるのなら、きっと彼女が守ってくれるわよ」
どうしてリズベットが命のリスクを負ってまで苛烈に突き進むのか、それは誰よりも平和を願った聖女、タチバナリツカの意志を引き継ぐ決意をしたからであった。
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