第14話 転生者チェルシー
「しかし転生者ねぇ。そんな事もあるのね」
「正直良いものでもありませんよ。いきなり全く違う世界で生きろって言われても、困るって思ってましたし」
リズベットは確かにと思った。仮にもし自分がこのフローディア国と全く違う文化の国で、転生などさせられたら途方に暮れるだろう。チェルシーは見た目こそ明るく振る舞っているが、思っている以上に苦悩を背負いこんでいるのかもしれない。
「ただ一つだけ感謝している事があります」
「それは何なのかしら?」
「言葉です。私はどういう訳かこっちの世界の言葉を理解していました。赤子だった時もこっちから話せませんでしたが、両親が何話しているかは知る事ができたんです」
「それはまた、凄い事ね」
赤子の頃から両親の話を理解出来る。それはチェルシーの前世が、メンタルを確立している大人の女性だったからであろう。
「でも言ってしまえば与えられたのはそれだけなんです。特別な才能があるわけでもない。何かしろと指示があるわけでもない。本当に神と言う存在がいるのなら、一体私をここに連れてきて何がしたいのか。そんな事ばっかり考えてました。でも私がうだうだ悩んでいるうちにリッチモンド領は財政難になってしまいまして」
「元のリッチモンド領は畜産が有名だったわよね?」
「ええ、リッチモンドミルクとかリッチモンドチーズとかやってましたよ。でもそれらを生み出す牛達が病気にかかってしまったんです。気づいた頃には感染が広まっていました。このままでは全滅してしまう。だから父は苦肉の策を取ったのです」
「……殺処分したのね」
「全滅こそ免れましたが、残った牛は三割弱。それは畜産に頼っていたリッチモンド領の得られる富が、そのまま三割弱になる事を意味していました」
どれだけ健全に運営してようが、予想外は起きる。落ちるときは一瞬だ。だからこそ対処と言うのは難しい。
「リッチモンド伯爵は素晴らしいわね。よく全滅を防いだわ」
人はいつだって『ひょっとしたら』に縋りたくなる。『ひょっとしたら』特効薬が見つかって元に戻るかもしれない。『ひょっとしたら』何もしなくても勝手に感染が収まって、治ってくれるかもしれない。もうちょっと、もうちょっとだけ様子を見よう。そのように考えて引き際を間違うケースは非常に多い。
「そう言っていただけると父も喜びます。ずっとあの時の決断が正しかったか、悩んでいましたから」
リズベットも領政にも関わっていたため、リッチモンド伯爵の苦悩が手に取るように分かった。今でこそ英断であったと断言できるが、当時は不安で胸が押しつぶされそうであっただろう。
「牛の全滅は防げましたから、これからまた増やしていけばいい。それまでの間苦しいけど、我慢すれば元通り。でももし仮にまた同じ事が起きたらどうするのか。今のまま一本だけでやるのは危険だ、そう考えるともうなりふり構ってられませんでした。自分が転生した意味とか、どうでも良くなって、父を、リッチモンド領を助ける事に尽力したのです。その時私が目を付けたのは農産物、その成功例が」
「リッチモンドストロベリーなのね」
「はい、私は前世の世界で、本業ではなかったのですが、家庭菜園が趣味で、素人なりに色んな作物を育てていたんです。プロではないにわかの私が領の命運を担うのは大変ではありましたが、ここで私がやらないと終わっちゃうって思ったもので」
「なるほど、道理で人気が出る訳よ。本気度が違うわ」
「いいえ、私はズルをしているだけですよ。私は、私の前世の世界で良いと言われていたのをやっただけ。私が一から生み出したモノではないんです。ほら、あのストローってあるじゃないですか。あれは私達の世界では当たり前に存在している物でした。私は単に、過去の偉人たちの知恵を利用しているだけなんですよ」
「私はそうは思わないけどね」
チェルシーの転生人としての知恵は確かに役に立ったのだろう。だが一番肝心なのは彼女の心だ。転生人だからではない。彼女自身の覚悟こそがリッチモンド領の再生を呼び込んだ。
「確かに知恵の面では借り物かもしれない。でもね、それをちゃんと実行できるというのもまた才能よ。あなたの持つ知識は私達にとって未知のモノ。信用に値するものであるか、判断出来ない。普通であれば見向きもされないはず。そんな未知のモノをあなたは私達に信用させ、その実用性を証明して見せた。それはまぎれもないあなたの力だと私は思う」
リズベットにとって偽りのない本音だった。だからこそチェルシーにもろに刺さった。
「リズベット様、それ、なんというか……グッときました」
よくよく見るとチェルシーの目が潤んでいるのが分かる。
「ちょっと席を外していいですか。感情が荒ぶって行き場がないので思いっきり叫んできます」
「ええ、ごゆっくり」
そそくさと去って行くチェルシーを見送り、リズベットは優雅に紅茶をすする。程なくしてチェルシーの絶叫が屋敷中に響き渡った。
「やってやったぞこんちくしょーめぇぇぇぇ!!!」
「このクッキーもなかなかいけるわ」
それから何分くらい経ったであろうか。戻ってきたチェルシーは相当号泣したのか、彼女の目は赤くなっていた。
「おかえりなさい。相当に溜め込んでいたようね」
「ええ、まあ、あははははは」
恥ずかしそうに笑うチェルシーは、どこかスッキリした様子であった。ここから仕切り直しと言わんばかりにチェルシーはリズベットに問いかける。
「リズベット様は私に聖女様の事についてお聞きになられましたが、異世界の知識をご所望という事なのでしょうか?」
「多分そうなのだと思うのだけれど……」
「というと?」
「私、どうしてフローディア国では作物が育って、グレイシア国では育たないのか調べていたのよ。それで色々調べた結果、土に原因があるらしくて。だからもしもこの土が聖女からもたらされたものであるのならそうといえるし、見当違いであるのならそうでないとも言えるわ」
「ははぁ、なるほど。聖女伝説の闇を払って大地に祝福を授けた。これを不毛の地を作物の育つ地にした、と解釈したわけですね。つまりはフローディア国になる前のこの場所は、グレイシア国と同じ不毛の地だったのではないかと」
「そこはある程度検証済みよ。フローディア国も実際に古くからの畑以外の土では、畑を作ってもうまく行かなかったわ」
「それってリズベット様が直に調べたのですか? 思いつくだけでも凄いのに実際にやってみるだなんて凄いですね」
「ええ、辺境では時間も余っていたしね」
感心した様子のチェルシーに時間はたんまりあったとリズベットは苦笑した。リズベットとしても元から疑問にこそ思っていたが、もしも追放されていなかったとしたら、ここまで本気でやっていたかは正直分からないところであった。
「私もリッチモンドストロベリー作る際に畑で色々やっていたので分かりますけど、土が原因と言うのは私も同じ見解です。新しい畑作っても本当に育たないんすよね」
げんなりした様子のチェルシーに当時の苦悩がにじみ出ていた。しかしリズベットとしてはチェルシーが同じところまで進んでいたのは吉報でしかない。
「なら話は早いわね。理由は分かる?」
「もし仮に聖女様が私の同胞だとして、この古くからの畑を作ったのだとしたら……きっと土を育てたのでしょう」
「土を育てる?」
リズベットには聞きなれない言葉であった。
「簡単に説明するとですね。土に栄養があると作物にも栄養が行き渡って良いものが出来るんですよ。それで土を育てるっていうのは栄養のあるものを混ぜ込んだり、土を耕してふかふかにしたり。つまりは人と同じ。美味しいご飯と住み心地の良い家があれば作物も育つんです」
「なるほど、とても分かりやすいわ!」
説明しながらチェルシーはこの世界の農業の知識はちぐはぐだなと思った。聖女が仮定をすっ飛ばして完成品を先に作ってしまったから、かえって畑の技術進歩が遅れてしまったのだろう。理屈も分からずに使っていたらそうなるのは当たり前だ。一体聖女は何を考えていたのだろうか、チェルシーの疑問は尽きなかった。
「ただ私の場合、あっちの世界だとあらかじめ栄養がある土を購入していたんで、土の作り方は分からないんですよね。適切な水の与え方とか剪定とかの知識はあるのですが」
「そう……」
「リズベット様は新たな畑を作りたいのですか? 確かに食料が豊富であるという事はそれだけ生活が安定しますし、富も生みます。それをお望みで?」
「それももちろんあるのだけれど、私は今外交部門の長をやっていてね。と言っても昨日設立したばっかりなのだけれど」
「……外交ですか? つまりはグレイシア国ですかね?」
「ええ、私はグレイシア国と友好を結びたいと思っているの」
「狙いは塩の安定供給、ですかね」
すぐにその答えが出せるチェルシーもなかなかに切れ者である。
「そう、私達は塩が欲しい。グレイシア国は食糧が欲しい。需要と供給が完全にかみ合うのよ。それにいい加減にらみ合うのも疲れるでしょ? 戦いがあったのはずっと過去の事なのに延々と引きずって。せっかくならこの機会にちゃちゃっとね」
「なるほど、これで合点がいきました」
「何が?」
納得した様子のチェルシーにリズベットは疑問符を浮かべる。
「リズベット様は今まで一度も獣人の国と言う言葉を使いませんでしたから」
「これから仲良くしようとしているのに蔑称は失礼でしょ?」
「それほど本気なんですね」
「ええ、もちろん」
チェルシーの問いにリズベットは一切の澱みも見せずに答えた。リズベットの意志の強さを感じ取り、チェルシーは大きくため息をつく。
「はぁー、もうカッコいいなぁ」
チェルシーは前世の時代も含めて、ここまで言い切れる人を今まで見た事がなかった。かつての世界は割と平和であり、そもそも決断に迫られる事自体がなかった事情もあったが、こうしてリズベットのような人を見ると、心が震えてくる。
「かっこいいって、別に私は自分のやりたい事をしているだけよ」
「くぅー、このお嬢様は完璧か!?」
臆病ではあるけどチェルシーだって正しい事をしたいという思いは強い。だが思いがあっても、今のチェルシーに土の作り方は分からない。せっかくのチャンスに知識が伴っていないのは何とも歯がゆい気持ちであった。
「ここで私が畑の作り方を伝授しますって言えたら良かったのに……」
「そう悲観しないでよ。例え畑の知識がなくたって、あなたの成した事は素晴らしいのだから。それに諦めるのはまだ早いわよ」
「はえ?」
「これを見てほしいの」
「これは……」
リズベットが取り出したもの、それはチェルシーだけが読める記号がみっしり書かれた本、聖女の日記であった。
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