第4話 ユーフィリアとリズベット 破滅の時 二つの誤算


 カフェの話を終えたユーフィリアはどこか満足げで、アシュリーはどれほどユーフィリアがその思い出を大切にしているのか、察する事が出来た。

「聞いているだけでも分かります。リズベット様は本当に気持ちの良い方だったんですね」

「ええ、もう最高の時間でした」

 もしもこの場にリズベットがいたとしたら、二人は唯一無二の親友に成り得たであろうと本気で思えた。でもアシュリーは忘れていない。ユーフィリアがリズベットの両親を殺し、彼女を追放したと言っていた事を。

「私は本当に楽しみにしていたんです。それまで敵対していたリズベットだけど、肩を並べられる日が来る事を」

「一体リズベット様は何をしてしまったのですか?」

 リズベットが国外追放になったという事は何らかの罪を犯した罰としてだろう。でもユーフィリアから聞いた話から生み出された、アシュリーの想像内のリズベットは、とても悪い事をするように思えなかった。

「彼女は何の罪を犯していません。罪を犯してしまったのは彼女の父、シュタイン伯爵。彼は私を暗殺しようとしたのです」

「一体なぜそんな事を……」

 元貧民のアシュリーでも分かる。暗殺なんて暴挙としか思えない。仮に暗殺が成功したとしても、ユーフィリアと言う優秀な存在を失うのは、フローディア国にとって大きな損失である。アシュリーには、シュタイン伯爵が何を思って暗殺しようとしたのか理解できなかった。

「窮鼠猫を噛むと言いますが、我がハイブルグ公爵家はシュタイン伯爵を追い詰めすぎてしまった……」

 そう言われてもアシュリーにはピンとこない。何せユーフィリアとリズベットは正々堂々と戦っていたはずである。追い詰めるとは一体どういう事なのか。

「貴族同士の戦いで情報戦は重要よ。だから私達は情報を流しました。婚約者争いは私、ユーフィリア優勢だと。それに焦ったシュタイン伯爵は私の暗殺しようと……」

「ちょ、ちょっと待ってください。それだけですか?」

「ええ、それだけです」

「嘘でしょ? あ、申し訳ございません!」

 アシュリーが思わず素の口調になってしまうのも無理はない。ただ噂を流されただけでそこまで焦ってしまうものなのか。理解が及ばないアシュリーに、ユーフィリアは分かっていると言わんばかりに頷く。

「この噂を流したのは婚約者発表の一週間前、もうやるだけやった後だったから、余った時間で出来る事を考えて行ったもの。言ってしまえば時間つぶしでしょうか。シュタイン伯爵からは何度も嫌がらせを受けていたから、それを今回も引き出せればいいと考えていたの。嫌がらせの証拠を提出すれば心象的にハイブルグ公爵家が有利になりますから。と言いつつ、私達としてはこの程度の事、リズベットに通じるわけがないと思っていました。それこそ挨拶くらいのつもりで。婚約者発表パーティーの時は宜しくねって」

 普通であれば何も問題起きないはずであった。

「でもこの情報が流された時、ちょうどリズベットは王都にはいませんでした」

「一週間前なのにですか? 詳しい事分かりませんが、準備とかあるのでは……」

 王妃に選ばれるとは一生を左右する出来事である。それまで頑張ってきていたのにここで余所見はありえない。万全を喫するため、最後の仕上げに取り掛かるはずである。

「普通はそうですね。これは後で知った事なのだけど、この時シュタイン派である子爵家が、とある問題を起こしていたんです。彼は強い多幸感と幻覚作用のある作物の服用していたの。俗にいう麻薬ですね。王族にとって毒はある意味一番気を付けなければもの。だから後の王妃候補である私達も薬学は必修でしたし、私もリズベットも学んでいました。だからこそリズベットはその作物が持つ危険性を無視できなかったのです」

「薬や毒については私は良く分からないですが、それでも多幸感、幸せを感じるというのは相当にまずいと思います」

「ふふ、幻覚じゃなくてそっちを危ないと思うのは、アシュリーもなかなかに才能ありますね」

「だって幸福を感じるって結局己の行動の結果じゃないですか。ただ摂取するだけで幸せを感じるって何か違うというか」

「その通りですね。どれほど貧しかろうが、体がボロボロだろうが、麻薬を摂取するだけでたちまち幸せになる薬なんて仮初に過ぎません。現実は何も変わっていないのですから。にもかかわらず感じた幸せを忘れられず、さらに薬を求めるようになってしまう。その先は言うまでもありませんね」

 生きるしかばね、すなわち廃人である。

「対処するのは必須、急遽リズベットは実態を調べるため子爵家に行きました。幸いその子爵家では自分達で服用していただけで、栽培や販売等は行っていませんでした。リズベットはさらにそこから手に入れたルーツを探し出し、売人の拠点もしっかり潰すところまで行ったそうです」

「それは凄いですね。売人まで突き止めるなんて……」

「ええ、彼女は最高の仕事をしました。麻薬の蔓延は国を滅ぼしかねませんでしたし。しかしそれを行うためにリズベットは一度王都から離れる必要がありました。そんなリズベット不在のタイミングで私達が流した噂がシュタイン伯爵家へと渡ってしまった。これが一つ目の誤算」

 運が悪い、アシュリーは率直に思った。リズベット本人の過失ではないから尚更の事である。むしろ彼女はその時のベストを尽くしている。

「もう一つの誤算は、シュタイン伯爵のリズベットに対する想いを見誤っていた事。万が一シュタイン伯爵に情報が渡ったとしても、彼があのような暴挙に出るとは思っていませんでした」

「リズベット様のため、だったのでしょうか? それとも伯爵家の名誉のため?」

「分からないです。でもはっきりしているのは、シュタイン伯爵は本気でリズベットを王妃にしたいと考えていた事です」

 アシュリーは恐る恐る疑問を口にした。

「ユーフィリア様は暗殺未遂とおっしゃってましたが、その……ユーフィリア様は大丈夫だったのでしょうか? お怪我とか」

「ええ、私は公爵家ですから。昔から狙われる立場だったし、護衛は常についていました。ハイブルグ家が誇る護衛騎士が、戦いが素人のゴロツキに負けやしません」

「素人だったのですか? しかも表だって襲撃するだなんて」

 アシュリーは首をかしげる。ハイブルグ公爵家には劣るものの、シュタイン家も伯爵だ。貧民故、世界は決して清くないのはアシュリーも知っていたし、暗殺というのもあるんだろうなと思っていたが、アシュリーの中ではやはりその道のプロを雇うというイメージであった。人の殺しを依頼するという特大のリスクに、素人は見合っていない気がした。

「素人を雇ったのは足をつかないようにするためだったようですね。あくまで金目の物を狙っての襲撃で、政治的意図を疑われないように。直接じゃなく間を通す事もしていました」

「それでも無茶です。時期が時期ですもの。ユーフィリア様に何かあったら、シュタイン伯爵家が真っ先に疑われるに決まってるじゃないですか」

「その通りです。でも正しい判断ができるのは冷静さがあるからこそ」

「シュタイン伯爵は冷静でなかったと?」

「冷静さを失わせるのは主に二つ、恐怖と焦り、シュタイン領の復興はリズベットにかかっていましたから。きっと衝動的なものだったのでしょうが、彼女が負けると言う事は、シュタイン伯爵にとってあってはならない事だったのでしょうね。私とリズベットの間ではどうという事はないものであっても、シュタイン伯爵にとってはそうではなかった」

 追い詰めすぎると人は一か八か、捨て身の行動に出る。リズベットにはただのご挨拶でも、シュタイン伯爵には死刑宣告のように感じたというわけだ。

「……いたたまれない話です」

 悲しいすれ違いであった。悪くかみ合った事がここまでの大ごとになるなんて。でも人は万能ではない。リズベットの事をよく知るユーフィリアであるが、シュタイン伯爵についてはそこまで詳しくなかった。

「これが私がリズベットを頼れないと言った理由です。殿下の婚約者候補でもある公爵令嬢の暗殺を企てた事は、国に対して謀反の意志ありと見なされておかしくはない。事が事ゆえ、減刑するわけにもいかず、目撃者も多くいたのでごまかす事も出来ず、どうあっても処刑は避けられませんでした。人の両親を奪っておいて手伝ってほしいなんて、厚かましいにもほどがある。そう思いませんか?」

 力なく笑うユーフィリアに、アシュリーはなんて声をかけるのが正解か分からなかった。ここで違うというのはたやすい。だが気休めで誤魔化すなんて事、アシュリーはしたくはなかった。

「シュタイン伯爵はね。最後言ったらしいです。リズベットは悪くないと。自分達は良いからリズベットだけは生かしてくれと。私、それを聞いて思い知りました。一方的に嫌っているという愚かさを。シュタイン伯爵夫婦は悪人というだけではなかった。私はそれを見抜けませんでした」

 人は案外第一印象に左右されやすい。最初の感触が悪ければずっとそのままの事が多く、そこから転じるのはなかなかに難しい。思い込むというのはそれほど強い感情なのだ。

「たまにですね。あの時をやり直せたらと思う事があります。シュタイン伯爵にとって私がリズベットを蹴落とす悪魔に見えていたのは想像に難くありません。私がそう思っていたように。だからこそ私達は腹を割って話し合うべきでした。でも人は過去には戻れない。進むしかないのです」

「ユーフィリア様……」 

「私は大丈夫よアシュリー。リズベットがいなくてもちゃんとやってみせますから」

 アシュリーはもの言いたげであったが、それを口にする事はしなかった。悲しげな表情で下がっていったアシュリーを見て、ユーフィリアはため息をつく。

「心配をかけてしまっていますね。でも私はまだまだ頑張らなければなりません。生涯の友を救えなかったのですから」

 ユーフィリアはそう己を律するが、一時の後出るのはやはり大きなため息。どうにもいつも以上にネガティブになっている自分にユーフィリアは苦笑いを浮かべる。

「疲れがたまっているのは間違いないのでしょうけど……どうしたものでしょうか」

 思えば怒涛の五年間であった。ユーフィリアは過去の自分を振り返る。息つく暇もないくらいに忙しく、ここまであっという間の日々であった。


 ユーフィリアはテラスへと視線を向ける。そこにユーフィリアは過去の自分の幻影を見た。国を支える覚悟を決めたあの夜の日の自分を。



「私は孤独ね」

 かつて王子の婚約者となった夜、テラスへと出たユーフィリアは皆が寝静まった街を見下ろし、一人そう呟いた。

 その時のユーフィリアは勝者となった喜びよりも喪失感が勝っていた。不安からユーフィリアは繰り返し自問自答した。私はこの国を守れるのだろうかと。

 レナード王子は頼れる存在だ。志が高い彼とはきっとうまくやっていけるだろう。そう思ってはいても不安は至る所からやってくる。

 はっきりと口にこそしてはいなかったが、レナードもまたリズベットありきで今後の事を考えていたはずであった。ユーフィリアはパーティー会場で、仮面で隠しきれなかったレナードの悲痛な表情を忘れてはいない。彼女の喪失はユーフィリア達にとって痛手であったのだ。リズベットにはそれだけの価値があった。彼女の力は国にとって必要不可欠なものであったのだ。

 しかしリズベットの力はもう望めない。望んではいけない。今後ユーフィリアはレナードと二人で国を守っていかなければならない。弱音を吐いてなんかいられない。

 王妃は王妃らしく、ユーフィリアはじっと目を閉じ、己の内へと語りかける。深く、深く。

 私、ユーフィリアはリズベットが見ても恥ずかしくない王妃になる。

 そう何度も言い聞かせ、弱気な自分を追い出していく。何時しか震えは止まっていた。

「やるだけやってみせますわ。それが勝者の責務ですもの」

 振り返ったユーフィリアのその表情には決意に満ちていた。

「いつか王妃の私があなたにイチゴパフェを奢って差し上げます」

 これこそが王妃、ユーフィリアの始まりの瞬間であった。



 この誓いがある限りユーフィリアは止まらない。

「ええ、私はまだやれます」

 気合を入れ直すとユーフィリアはまた仕事へと戻っていった。


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