トリあえずの人生
海乃マリー
トリあえずの人生
私は
とりあえず塾に通っていたけれど、志望校は願書を出すギリギリまで決めていなかった。特に専門的に学びたいものもないし、入れそうな普通科の高校に行ければそれで良かった。成績は良くもないけど、悪くもない。至って平均的だ。
これまでの小学校や中学校は、とりあえず何も考えずにみんなと同じように地元の学区の学校に行けば良かったけれど、高校からは道が分かれていくように感じた。
高校では、進学するに当たって文系と理系のどちらかを選択する必要があった。とりあえず、楽そうな文系を選んだ。
高校生活は、普通にバイトやって、適当に遊んで、告られた男子と付き合ったりもして、高二になったら塾に行ったりした。まだ就職したくなかったので、大学に行くことした。
大学ともなれば、専攻が細分化される。自分は今何をやりたいのだろう?将来はどんな仕事をしたいのだろう?と初めて将来について自分なりに真剣に向き合った。
母の口癖は「女の幸せは結婚相手で決まる」だった。女は勉強より愛嬌の方が大事。いい会社に就職していい男をつかまえるのが女の幸せだと言われてきた。今となっては時代錯誤な考え方だけど、小さい頃から聞かされていたので骨の髄まで染み渡ってしまっているのかもしれない。
無意識に母の意向が人生の選択に反映されているような気がする。あまり深く考えることなく、私はとりあえず自分の偏差値に合った入りやすそうな大学の家政科に決めた。栄養士の資格もとれるらしいし。
大学を無事卒業してとりあえず学校推薦で地元の食品メーカーの事務職採用で就職することができた。給料も事務職の割には良い方だし、勤務地も家から近いし悪くないだろう。
今年で、就職して五年目になり、私も二十七歳になっていた。今、会社の二つ年上の先輩の
彼は真面目な性格だけど、チャーミングなところもある眼鏡の似合う好青年だ。有名大学卒で仕事もできるし、社内では将来を期待されている。武流の方から付き合ってと言ってくれた。
二十七にもなったことだし、とりあえずそろそろ結婚したいなと最近考えていた。武流からも親に会ってもらいたいと言われているので、結婚秒読みかも?
これまで、だいたい問題なく進んできた人生だった。しかし、ここで一つハプニングが起きた。
「武流、私、妊娠したみたい」
ある日の会社帰りにいつもの居酒屋でウーロン茶を注文した直後に武流にそう伝えた。いつもは生ビールなので「体調悪いの?」と尋ねられて、その切り返しの答えで妊娠を告白した。大事な話をするタイミングとしては微妙すぎたかもしれない。
本当は一週間前には分かっていた。でも、何となく言い出せなくて、こんな唐突な形で切り出すことになってしまったのだった。
「え、それ、本当?」
武流は目をまん丸に見開いて本気で驚いている。
「そんな嘘つかないよ」
「検査とか…病院は行ったの?」
「昨日、病院に行ったよ。妊娠六週目だった」
武流の反応が怖かった。まだ、結婚もしていないから、子どもだなんて、心の準備が全く出来ていないわけで。だから一週間もウジウジ悩んで言い出せなかったのだ。
緊張のあまり心臓が壊れそうなほどバクバク鳴っている。でも、武流の様子をじっと冷静に観察した。
武流はしばらく無言で考えるような様子を見せたあと、満面の笑みで喜んでくれた。
「俺と歩の子どもかぁー。スゲー嬉しいじゃん」
私は武流の反応にホッと胸を撫で下ろして、一気に身体の力が抜けたら、次は涙が止まらなくなった。
「良かったぁ……武流が喜んでくれて私も嬉しい」
そこからはすごいスピードで事が進んでいった。お互いの両親に挨拶を済まし、会社に報告をし、籍を入れ、退職し、新居を決めて引っ越した。その間、わずか三ヵ月。妊娠中ということもあり、結婚式はとりあえず落ち着いてから考えることにした。
仕事を続けるかどうか迷ったけれど、武流が「辞めてもいいよ」と言ってくれたので辞めることにした。
「元気な男の子ですよ」
順調な妊婦生活と比較的安産で無事出産することができた。出産後は初めてのことばかりで赤ちゃんの世話にかかりきりになった。
里帰り出産はしなかったので、退院後二週間ほど母が泊りがけで手伝いに来てくれた。
「歩は妊娠してから、結婚、退職、出産とホントにあっと言う間だったねぇ」
私が授乳する傍らで母は洗濯物を畳みながらそう言った。
「うん。何も考える暇なかったよ。まあ、とりあえず順調に事が進んで良かったわ」
目を閉じながらムグムグとおっぱいを吸う息子を見つめながら私は答える。
「それにしても、真面目で収入も安定していて理想的な旦那さん見つけて本当に良かったわよね」
「ははは。そうかもね」
あまり考えたことはなかったけれど、ハタと気付けば、私は母の理想通りの人生を歩んでいるのではなかろうか。
「実は、私も『デキちゃった婚』だったのよねー」
母は何の前置きもなく、笑いながらトンでもない告白をしてきた。
「え?? 全然知らなかったんだけど! なんで今さらそんなこと言うの?」
驚きのあまり大声を出してしまい、目を瞑って眠りそうだった息子がビクッとして目を開いた。
「結婚記念日から逆算したら普通に気付かれると思ったけど、あんた全然気付かなかったから。隠してはないし、敢えて言わなかっただけよ」
頭をガツンと殴られたようなショックを受けた。母も私と同じだったとは。血は争えないのか。
「『デキちゃった婚』って、なんか言い方悪いからやめてよねー。今は『授かり婚』って言うんだから」
「あんたね、結局は同じことじゃないのよ」
「全然違うよ。デキちゃったなんて、なんか失敗しちゃったみたいで気分下がるわー」
『授かり婚』だなんて、世間は上手い言葉を作りだしたものだ。『デキちゃった婚』より断然こっちの方がいいよ。
「でもさ、いいタイミングで授かったわよね。バッチリじゃないの。本当に良かったわねー」
なんか、すごい違和感。子どもが出来たから選択の余地なく結婚した、みたいなニュアンス出すのやめてほしい。
母は私を妊娠したことをきっかけに一流企業に勤める父と結婚したんだ。もし、デキちゃってなかったら、父と母は結婚していたのかな?
私と武流は?
なんかモヤモヤするなぁ。
「ところで、あんたせっかく安定した仕事に就いてたのに本当に辞めちゃって良かったの?」
「いいよ別に。武流も辞めていいって言ってたし。これを機に子育てに専念するよ」
別に仕事に未練はない。特にやりたかった仕事という訳では無かったから。
「まぁ、あんたの人生だから、あんたが決めればいいけどね」
何気なく言われた母の一言が、また異常に心に引っ掛かった。それだけじゃなく、この一連の会話全体が胸をザワつかせている。
【私の人生だけど。私、自分でなんか決めたことあったっけ?】
私は運命を信じる方だけれど、あまりに人生流されてないか?
【もしかして母の望み通りの人生送ってる?】
人生の岐路に立たされた時、母の価値観で人生選択をしていなかったか?
【デキちゃったからとりあえず結婚?】
もし、あの時赤ちゃんを授からなかったら、私はどうなっていただろう?武流は私と結婚しただろうか?
――渦巻く疑念。謎めく観念。
そんなことを頭の片隅で考えつつ、息子は待ったなしで目を見張るような成長を見せてくれていた。
子育てでやることは山ほどあるのだ。
この子を愛おしく思った。
この子を守りたいと思った。
初めての子育てで右も左もわからないけど、私がしっかりしないといけない、と強く思った。
世の中には情報が氾濫していて、子育ての情報もあれがいい、これがいい、と時には真逆のことがまことしやかに言われているのだ。
ミルクと母乳どっちがいいの?
紙オムツ?布オムツ?
薬はあげていいの?
予防接種はどうすればいい?
離乳食はいつから何をあげればいい?
電子レンジ調理って大丈夫なの?
三つ子の魂百までって本当?
何が正しくて何が間違っているの?
流されるように生きてきた私だけど母になって初めて、流されて決めたらいけないのではないかと心から思った。私にはこの子を育て上げる責任がある。流されて決めていたら、この子を守れないだろう。
「武流、この子の誕生日に私達の結婚式したい」
私は初めて武流に自分の希望を言ったような気がした。
トリあえずの人生、ここから変えられるだろうか?
トリあえずの人生 海乃マリー @invisible-world
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