幕間:欲望の終わりと平穏の始まり

「……ん……ここは……どこじゃ?」


 ゆっくりと目を覚ましたドルディマンが身を起こすと、そこは森の合間の街道であった。

 既に空には朝日が昇り、昨晩の薄気味悪い森で起きた出来事などなかったかのようだ。

 ……既に、この男にそんな記憶など、なかったのだが。


  ──妙に頭がぼんやりする……儂は、ここで一体……。


 ふわふわした頭のまま辺りを見回すと、自身が引き連れていた部下や兵士達もまた、意識を取り戻したのか。ゆっくりとその身を起こす。


「あー。そうじゃったか」


 その者達を見て、ドルディマンはぽんっと手を叩き独りごちる。

 そう。彼は思い出した。己の野心を。


 ゆっくりと立ち上がった彼は、兵士達にこう伝える。


「さて。役者は揃った。お前達。次は二週間後。ガルダレム帝国の帝都、ガラムザードにある我が別邸に集え。場所はそこの男に聞くがいい」

「……ははっ」


 誰一人、迷う事なく平伏する兵士達を見ながら、ドルディマンは爽やかな朝日に似合わない、不敵な笑みを見せた。


  ──クックックッ。あの女に目に物を見せてやる。


 心の内に燃え上がり始めた、嫉妬の炎。

 その昂りを抑える事なく、ドルディマンは森を去り、ガルダレム帝国へと戻って行った。

 セリーヌの事など、まるでなかったかのように。


   § § § § §


 物心ついた頃から、ドルディマンはずっと兄、ドレイクに嫉妬していた。


 容姿淡麗で優しく、貴族だけでなく皇族にも人気のあった彼。

 女帝、サラディナにも大層可愛がられていた兄に嫉妬していたドルディマンは、十年前にある行動に出た。

 ドレイクの殺害である。


 二十二歳だった当時。

 まだ存在していた隣国、シャルイン王国の国王の娘、セリーヌと政略結婚させられる事となったドレイクは、話し合いの為にシャルイン王国に赴いた。


 そこでの話し合いは大きな波乱もなく終わり、ドレイクもセリーヌもまた、互いにその運命を受け入れていたのだが。

 帰りの道中、ドレイクは悪漢に襲わ、シャルイン王国内で命を落としてしまう。


 無論、これはドルディマンが仕込んだ事であり、ここまでは計画通り。そのまま、代わりに自身が結婚相手の後釜になる、と思っていたのだが。

 計算外だったのは、女帝サラディナの兄への執着であった。


 自らが我が子のように愛した男の死に狂乱した彼女は、私兵を投じ犯人達を捉えたのだが。

 自身が疑われないよう、ドルディマンが彼等に伝えていた言い訳が悪かった。


 ──シャルインの王族に指示された。


 嘘の理由を語った彼等の言葉に、怒りが頂点に達したサラディナは、それを相手国に確認する事もなく、シャルイン王国に攻め入り、王都に夜襲をかけたのだ。


 突然の奇襲に対抗する術もなく、シャルインの王族はその戦いの最中、城の中で焼け死に、王都はあっさりと陥落。

 そのまま国は滅亡し、勇者の末裔の一族の血も絶えた。

 

 ガルダレム帝国と女帝サラディナの恐ろしさを、世間に知らしめたこの戦い。

 だが、結果として兄は死んだものの、思う形にはならなかった。

 王国の娘の婚姻すれば、よりよい地位が手に入ると踏んでいたのだから。


 ザルバーグ領と名を変えた旧シャルイン王国。

 結果としてドルディマン家はその土地の領主に治ったのだが。ガルダレム帝国より東に位置するその領は、ある意味辺境と言ってもよい。

 一説には、サラディナがドレイクを思い出したくないが為に追いやったとも言われる左遷に、ドルディマンの不満がよりたかまったのも確かだ。


 せめて何か、勇者の末裔のいた王国を象徴するような物は残っていないか。

 領主となった彼が燃え尽きた城を徹底的に調べてていく中、ドルディマンはある事実に気づく。


 セリーヌ王女の形見となるような遺品が見つからない。

 それは、彼女がどこかで生き残っているかも知れない証拠でもあった。

 であれば、自らがセリーヌと婚約し、子を宿せば勇者の末裔の血は続き、それを旗印に自らをより高い地位に就ける。

 それが、彼の欲望を満たし、サラディナへの不満を払拭する為の新たな目標となった。


 彼女の捜索に私財を投じるべく、両親すらも病気と見せかけ毒殺したドルディマンは、家を継いだ後もその事実をひた隠しにしながら、この十年セリーヌを探し続け。

 ついにガルダレム帝国の西。ライアルド王国の辺境の森にある街に、彼女がいることを突き止めた。


 昨晩の一件で、ついに念願を果たす。

 その目前まで来ていたはずの男。


 だが、今のドルディマンを満たす欲望の中には、そんな考えなど微塵もない。

 玉藻によって。セリーヌのことなどすっぱり忘れた男は、彼女によって焚きつけられた新たな欲望以外、考えていなかった。


 男の野望は、より高い地位に上り詰める事。

 そう。女帝サラディナを見返すだけの地位──帝国の王座を望んだのだ。


   § § § § §


 ──二週間後。

 月の光すらない深夜。

 帝都ガラムザードの城までの暗い道を、たった一人で歩いていくドルディマン。

 と、城に近づくに連れ、裏路地から姿を見せ始める黒いローブを纏った集団。

 その数は、セリーヌ達を襲った時同様、約数百人に及ぶだろうか。


 深夜に怪しい集団を率いて城の門までくれば、幾らドルディマン伯爵であれ、衛兵に呼び止められるのは当たり前。


「ドルディマン様。これは一体──」


 二人いた衛兵の一人の最後の言葉。

 ドルディマンによって腹部に迷わず突き立てられた剣は、そのまま衛兵の胴を分断した。


「な、何を──」


 叫ぶ間もなく、もう一人の衛兵の額を背後の兵士が放った矢が見事に貫き、彼もまた絶命する。

 それを見届けたドルディマンが叫んだ。


「さあ! 今こそ儂が、王座に就く時じゃ!」

「おおおっ!」


 欲望を高らかに口にし、城の門から兵士達と共になだれ込んだドルディマン。

 それは、あやかし達と戦った時に見せることすらなかった勇敢な戦士の姿だった。


 突然のことに、城は混乱を極めた。

 だが、流石に大国である帝都の城。仕える騎士や戦士、術師達もまた達人揃い。

 そんな相手の激しい抵抗をされれば、にわかの軍で敵うはずもない。


 一人、また一人散っていく命。

 だが、騎士達が恐怖したのは、死を恐れない彼等の戦い方であった。

 時に仲間を巻き込むのも厭わない激しい術。傷を負っても痛みなどないかのように襲い来る、狂戦士バーサーカーとも生屍ゾンビとも思える攻勢に、心底恐怖したのも確かだ。


 だが、やはり多勢に無勢。

 城を護る騎士達により兵士の数も減り、ドルディマンもまた、戦いの中で傷を負う。

 それでも先陣を切り、少ない兵達とサラディナの寝室の前まで切り込んだのは、ある意味立派だったと言えるだろうか。


 結果として、廊下に姿を現したサラディナに斬りかかる所までいったドルディマン。

 だが、親衛隊により片足を斬られ、その場に倒れ伏す。


「な、何故こんな事を!?」


 青ざめた顔でそう問いかけたサラディナに、ドルディマンはこう強く叫んだ。


「儂よりドレイクを選んだ目の曇った女など、国の王に相応しくなどないわ!」


 そう吐き捨てた彼は、残った片足で床を蹴り、最後の一閃を食らわせんと剣を振った。

 が、残念ながらその剣が届く前に、彼の頭は身体と離れ、その場に激しい鮮血を残し絶命した。


 最後まで、欲望高き男だったドルディマン。

 付き従った兵士達もまた、誰一人投降することなく戦い続け、彼の雇いし兵士達に、生き残った者は存在しない。

 無謀に近い謀反を起こした理由。それを知る者もなく、結果としてドルディマンの述べた言葉だけが、真実として後世に残る事となった。


 主を失ったドルディマン家は、跡継ぎもおらずそのまま没落。

 歴史舞台から姿を消したのだが。

 死の恐怖に晒されたサラディナもまた心労で倒れ、息子サーバルに帝位を譲った事で、彼の欲望のひとつが満たされたのは皮肉な話か。


 こうして、ドルマディンの欲望に満ちた人生が終わり。神也の願ったセリーヌの平穏が、ここから始まったのだった。

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