第九話:それぞれの苦しみ

「あははっ。やっぱいい顔するじゃーん。ありがとね。最高な物を見れたよ♪」


 気を失い、地面に仰向けになったドルディマン。

 目を見開き恐怖にこわばった顔のまま、泡を吹き倒れている彼を、メリーは隣に座ったまま満足そうに眺めている。

 と、その目がふっと、森の奥より迫る明かりの方に映る。


 ゆらゆらと歩いてくる、傷だらけの兵士の群れ。

 彼等を照らすのは、宙に浮いた幾つかの炎。

 その先頭には、相変わらず着崩れた着物を羽織った、尻尾も耳も隠さぬ妖狐姿の玉藻がいた。


「まったく。メリーよ。そんな男のつまらぬ絶叫など聞かせるでない」

「何よー。そっちだって、戦場で男同士の喘ぎ声とか聞かせてきたじゃん。玉藻のほうが、よっぽど趣味が悪いってー」


 呆れる玉藻に対し、立ち上がったメリーが不貞腐れた顔をする。

 兵士達が歩みを止める中。玉藻はそのままメリーに並び、醜態を晒すドルディマンを見下ろした。


「おーおー。酷い姿じゃのう。其方そなた、よもや殺しておらんじゃろうな?」

「あったりまえじゃん! ちゃんと約束守らないと、せつに告げ口されちゃうし」

「ふふ。そうじゃったな」


 二人が顔を見合わせにこっと笑った後、玉藻はドルディマンの側に屈み、恐怖に凍っている男の顔など意にも介さず、静かに額に手を翳す。


「……ほほぅ。此奴こやつ、中々の野心家じゃのう」

「でしょでしょ? かなり腹黒いよねー」


 相手を呪う際に心に触れているメリーは、玉藻がドルディマンの心内を探った結果を聞き、強く同意した。

 メリーが呪いを掛ける時も、玉藻が人々の心を掌握する時も、相手の心の内を覗くことになる。

 そこにある記憶や喜怒哀楽、感情は、決してよいものだけではない。

 腹黒いドルディマンともなれば、尚更。


「心はほぼ死んでおるが、心根にある欲望だけは、まだ強く残っておるのう」

「そうだねー。で、ここからどうする気?」

「折角じゃ。セリーヌのことは忘れさせ、別の欲を刺激してやろう。折角これだけの兵も整えたのじゃし、此奴こやつの欲も満たせるじゃろう。それに、どうせ最後には、皆にしのう」

「だよねー。ダーリンはきっと、望まないだろうけど……」


 玉藻の脇にしゃがんだメリーが少しだけ申し訳無さそうな顔をすると、玉藻は一度ドルディマンに手をかざすのを止め。彼女の頭を優しく撫でた。


「神也の純なる優しさこそ、我等が惹かれる理由。彼奴あやつが望むことに何者かの死が必要であれば、汚れ役は妾達わらわたちあやかしだけで十分。じゃろ? 呪いの人形よ」

「うん。そうだね。九尾の狐ちゃん」


 嫌味を交えながらも、互いを理解する二人は微笑み合う。


「では、さっさと仕込みをし、此奴等こやつらの怪我を治して、神也の下に戻るとするかのう」

「え? これだけの人の怪我を治すの? 大変じゃない?」

「流石にのう。じゃが、今宵は妾達わらわたちも傷ついておらんし、神也が苦しむ事もなかろうて」


 神也が誰かの怪我を肩代わりした時、その痛みや苦しみを抑えられるのは、強大な妖気を持つ彼女だけ。

 とはいえ、現状からすれば、その余力が残らずとも問題ない。そう判断した玉藻に、メリーも納得する。


「そうだねー。異世界での戦いだったし、どうなるかって思ったけど。結局大した事なかったもんね」

「そうじゃな。とはいえ、わらわも相当疲弊する。折角じゃ。帰りは其方そなたに運んでもらうとするか」

「うん。いいよ」


 玉藻の提案に、珍しくメリーが素直に返事をする。

 とはいえ、そこには勿論裏があるのだが。


「但し、狐の姿しか許さないけどねー」

「元からそのつもりじゃ。わらわの心地良さ、味合わせてやるから、ちゃんと特等席で休ませよ」 

「オッケー。じゃ、交渉成立ってことで、ちゃちゃっと済ませちゃってよね。早く帰って、ダーリンに褒めてもらいたいし」

「うむ。任せるがよい」


 その先にある神也の笑顔を楽しみにしながら、玉藻は妖術を駆使し、ドルディマン一行の怪我を治し、心を書き換えていった。


 ──それから、数十分後。


「わぁ。やっぱりこのもふもふ感、気持ちいー!」

「そうじゃろそうじゃろー」


 白い狐に姿を変えた玉藻を、マフラーのように巻いたメリーが至福の笑顔を見せると、彼女も狐らしい目をさらに細め、自慢げな声を出す。


「流石に、街の者にこの姿を見せるのは気が引ける。近間までで構わんからの」

「オッケー。では、特急メリー号、しゅっぱーつ!」


 意識のないドルディマン達をその場に残し、メリーが風を切り走り出す。

 流れる風を心地良く感じながら、玉藻もまた彼女の肩の上で、しばしの休憩を取る。


 できる事をやり切った満足感。

 そして、戻った先で待っている神也の笑顔を思い浮かべ、二人は自然と頬が緩む。

 ……だが、残念ながらそれは、すぐに現実とはならなかった。


   § § § § §


「神也!」

「ダーリン!」


 衛兵達に案内され、質素なセリーヌの屋敷までやって来た二人は、神也が寝かされている部屋に入った瞬間、思わず叫び声を上げた。


 部屋の奥。

 大きなベッドに横になっている神也は、呼吸は相変わらず苦しげで顔色も決して良くはない。意識もないのか。目を閉じたまま、声に反応もしない。

 そんな彼を翼を隠した鴉丸、せつ、六花、セリーヌ。そして彼女の配下であるザナークと落ち着いた雰囲気の老人が、ベッドを囲み様子を伺っている。


 何処か重々しい空気の中、玉藻とメリーは察した。

 彼が、誰かの怪我か何かを肩代わりしたであろう事を。


「一体何があったのじゃ!? 誰も怪我などしておらんかったではないか!」

「申し訳ございません。わたくしのせいです」


 険しい表情で尋ねた玉藻に、代わりに深々と頭を下げたのはセリーヌだった。


「シンヤ様は、戦いが終わったの知り、安堵して倒れたわたくしから、病を除いてくださったのです」

「へ? あなたって病気だったの!?」

「はい……」


 頭を上げたものの、顔を上げられず気落ちしている彼女。

 それを見て、メリーもまた何も言えなくなった。

 神也がその事実を知れば、間違いなく彼女の病を治そうとする。

 それが目に見えていたのだから。


「玉藻。早くお前の力で、若を楽にしてやってくれ」


 鴉丸の言葉に、玉藻は唇を噛むと、無言で首を横に振る。

 彼女の持つ治癒の力であれば、神也を楽にしてやれる。

 そう思っていたからこそ、鴉丸とせつ、六花が驚いた顔をする。


「何があったの?」

「……すまぬ。この街の者達の安寧のため、色々と仕込んだのでのう。今はもう妖気が尽きておる」

「何だって!?」


 せつの問いかけに、素直に事実を話した玉藻に対し、六花が驚きの声をあげ、鴉丸も無言のまま、仮面の下の表情を曇らせた。


「安寧とは……どういう……」

「詳しくは話せんが、其方達そなたたちはもうあの男の影に怯える事はない。一生な」

「ほ、本当ですか?」

「うむ。じゃが、まさか神也がこのような事になっているとは。不覚じゃったわ……」


 信じられないセリーヌとは裏腹に、歯痒さを見せる玉藻。

 そんな中、はっとしたメリーがセリーヌにこう問いかけた。


「ね? ね? この世界って魔法あったじゃん。回復魔法なんかで治したり、痛みを抑えたりできないの?」

「既に、姫に幾つかの治癒術を試していただきましたが。何か強い力に阻まれ、残念ながら全く効果はなく……」

「若の使ったのは神の力を借りし術。生半可な力ではどうにもできん」


 セリーヌに代わり答えたザナークの言葉に、失望のため息を漏らす鴉丸。

 その言葉は、使える魔法で結果を残せなかったセリーヌの顔を、より曇らせる。


 神也が死ぬわけではない。それはあやかしの皆もわかっていた。

 だが、穢れが彼の身体を蝕み続ければ、身体が弱りもする。それをただ見ているだけというのは、彼等にとって拷問にも等しい。


 部屋の中で、皆が沈痛な面持ちを見せる中。


「……姫。勇者の奇跡を、お試しになりませぬか?」


 ふと、老人がセリーヌに向け静かにそう言葉にした。


「勇者の奇跡?」


 せつがぽつりと復唱すると、老人はちらりと彼女を見てこくりと頷く。


「セリーヌ様の一族はいにしえの勇者の末裔。その身体には、勇者の血が流れているのです」


 彼の提案に皆の視線が彼女に集まる。

 だが、セリーヌは俯き晴れない顔のまま、首を横に振った。


「ゼネガルド。貴方も知っているでしょう? わたくしが今まで一度も、その奇跡を起こすことができなかった事を」

「過去は過去、今は今にございます」

「ですが! わたくしはこの二十年。一度もその力を具現化できず、苦しむ者を救うこともできなかったではありませんか!」


 感極まった彼女の叫びに、ゼネガルドと呼ばれた老人は目を伏せる。

 事実。彼女は勇者の末裔でありながら、その力を使うことができなかった。

 直系である母は、その力を多少なりとも使えていたにも関わらず。


 だからこそ、苦しんだ。

 自らが逃亡する中で、致命傷を負った者を、苦しみながら死なせてしまったのを。

 この街で暮らす中で、自身と同じように病に苦しむ者を、楽にしてやることができなかったのを。


 ぐっと目を閉じ奥歯を噛み、己の後悔を顕にするセリーヌ。

 そんな彼女を見ていたあやかし達は、互いに顔を見合わせる。


「セリーヌよ」


 ゆっくりと、力なく顔を上げたセリーヌに、玉藻は凛とした表情のまま話しかけた。


其方そなたが奇跡を起こせれば、神也を苦しみや痛みから解放できるのじゃな?」

「は、はい」

「それは、神也の穢れを肩代わりするような代物か?」

「いえ。シンヤ様のように、怪我や病気、呪いをを治せる物ではありませんが。人の痛みや苦しみを和らげる事ができる、安らぎの心ピース・オブ・マインドと呼ばれる力なのですが……」


 矢継ぎ早の問いかけに、戸惑いながらもセリーヌが素直に答えると、玉藻はじっと彼女を見た後、こう願い出た。


「であれば、その奇跡、使ってみてくれぬか?」


と。

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