第八話:私、メリーさん

 一方。


「こ、ここまでは、あやつらも追ってこんか?」


 夜の薄暗い森で全力で馬を走らせたドルディマンは、背後から追っ手が来る気配がないのを知り、一度馬を止めた。

 命からがら必死に逃げたとはいえ、流石にこのまま走り続けるのは危険。

 そう判断した彼は、一度馬を降り鞍にぶら下げてあるランタンを灯すと、そのまま一旦その場にどしんと腰を下ろし、大きく息を吐く。


 風もない静か過ぎる森。

 だが、薄暗さが和らいだ事で、ドルディマンの恐怖もまた薄れた。


「まったく。酷い目にあったわい。セリーヌの奴、あんな隠し玉があったとは……」


 心に余裕ができた事で、ドルディマンは先程の事を思い出し舌打ちする。

 大金を叩いて雇った兵士達が壊滅するなどとは思ってもみなかった。

 結果、戦場に広がったあまりにおぞましい光景を思い出し、思わずぶるるっと身震いする。


「まあよい。小さな街とはいえ、あれだけの者を証拠も残さず移住させるなど簡単ではあるまい。偵察兵を雇い様子を窺わせておき、その合間により腕の立つ冒険者を掻き集めてやる。そして、次回こそはあの女を──」

「ほーんと。面倒くさい男ねー。そういうのって、めっちゃ嫌われるよ?」


 自らが描いた青写真を否定するかのような、呆れた女の声に、ドルディマンはギクリとし背筋を伸ばす。


「だ、誰だ!?」

「あれー? もう忘れちゃった? 私、メリーさん。今、木の陰にいるの」


 一転楽しげな声が暗い森の中から聞こえ、慌てて立ち上がったドルディマンは必死に周囲を見回した。だが、そこには暗い森が広がっているだけ。

 そこから聞こえるどこか楽しげなメリーの声が、彼の心を一気に恐怖に染める。


「でもー、みんなを置いて逃げるのって最低じゃない? あ、もしかしてー。私達に目を付けられて、一人だけ無事に帰れるって思ってた?」

「ううう、うるさい! 何故お前がここに!」

「あー。メリーねー。ストーカーなら得意だよ? あなたと同じで」

「ス、スト……な、なんだそれは!?」

「そっか。ストーカーもわからないのかー。やっぱこういう時、異世界来たー! って感じがするよね!」


  ──ストーカー? 異世界? 何を言っているのだ、この女は!?


 メリーの会話の端々に出てくる言葉の意味が分からず、混乱するドルディマン。

 落ち着いて意味を解釈すればわかったかもしれないが、恐怖に塗れた今の思考では、そんな余裕も残っていない。


 だが、生き残りたいという必死な気持ちが、彼に抵抗の意思を生む。


『炎よ! 我が身を護り、敵を焼き払え!』


 ばっと両腕を前に突き出すと、指輪の一つが輝き、掌の前にサッカーボールほどの炎の球が生み出された。


 この世界にある、魔術のひとつ。

 『炎弾ファイアー・ボルト』。


 ランタンより強い炎が、森の中をより明るく照らすが、それでも見えないメリーの姿。

 それでも炎弾ファイアー・ボルトを構えたまま、ドルディマンは必死に彼女を探す。


「さ、さっさと姿を現せ! 消し炭にしてやる!」

「あれー。それ、さっき魔法使ってた人達の魔法よりしょぼくなーい?」

「ううう、うるさい!」


 あざ笑うような声に怒鳴り返しながら、彼は背後の馬を盾にし、声のする前方に意識を集中した。


 何かが動けば炎を撃ち込む。

 戦いなど得意ではないが、それだけの必死さはあった。

 だが、そんな決意もメリーの前では無意味。


「さっさと出てこい!」

「ほんと、せっかちだなー。ま、いいけど。私、メリーさん。今ねー」


 一拍を置き。


「馬の側にいるの」


 ドルディマンは聞いた。

 メリーの声を、背後から。


 思わず振り返った瞬間。


  ヒヒィィィィン!


 馬がいななきと共に、後ろ足だけで勢いよく立ち上がる。


「わわわわっ!」


 ドルディマンが突然の事に驚き、その場で尻もちを突いた。


 恐怖が集中力を掻き乱したせいで、炎弾ファイアー・ボルトが霧散すると同時に、馬がそのまま逃げるように暗き森へと駆け出して行ってしまう。


「ま、まま、待て! 待ってくれ!」


 思わず泣きつくように叫んでも、相手はただの馬。言うことを聞くはずもない。

 光源だったランタンも一緒に遠ざかり、ドルディマンは不気味で暗い森の中、一人取り残された。


「あはははっ。あんなに粋がっておいて、馬が逃げただけで、これだけ驚いちゃうんだ」


 いや、二人というべきだろうか。

 嘲笑にはっと顔を上げると、自分の目の前。暗がりの中に立つメリーがいた。

 光源がないせいで、顔までは分からない。だが、それがドルディマンの恐怖をより掻き立てる。


 結果。


「た、頼む! 許してくれ!」


 彼が選んだのは、尻もちを突いたままの懇願だった。


「セ、セリーヌに幾ら貰った? お、俺ならその倍、いや、三倍は出す!」

「えー? 本気で言ってる?」

「あ、ああ! 勿論だ! だから見逃してくれ!」


 メリーが興味を示したように感じ、希望を掴んだかと一瞬表情が緩むドルディマン。

 だが、現実は非情だ。


「やだ。だってメリー、あの人にお金なんて貰ってないもん。ゼロをどれだけ倍にしたって、結局ゼロじゃん。意味なーし」


 そう。彼女は金銭など貰ってはいないのだ。

 残念ながら、それでは交渉の余地などない。


 一瞬愕然としたドルディマン。

 が、彼にも命が掛かっている。だからこそ食い下がらない。


「すすす、すまん! であれば幾らいる? 百金貨か? 千金貨か?」

「うーん。全財産?」

「なっ!?」


  ──こ、このっ! 足下を見おって!


 内心いらっとした彼が、思わず顔を引き攣らせる。

 流石にそれは横暴。生き残っても、それでは浮浪者に成り下がるだけ。

 金と名誉のために生きる男には、流石にそれを受け入れる技量はなかった。

 まあ、受け入れたとして、未来が変わるのかは怪しいのだが。


「そ、それでは儂も生きていけん! だ、だが、できる限りの物はくれてやる! か、金だけではなく、地位をくれてやる事もできるぞ? 帝国に重用されるよう取り計らうか? 綺麗な衣装を沢山着て、生涯貴族として裕福な生活を堪能させてやる事もできるぞ?」

「うーん。貴族でおしゃれするのも、確かに楽しそうだよねー」


 ドルディマンの必死の懐柔に、メリーは悩む仕草をする。

 表情までは見えないが、その言葉に彼はまた希望を抱きそうになる。

 が、先程のような、肩透かしを食らうわけにもいかない。だからこそ、白い歯は見せずに、じっと答えを待った。


「あ。そうだ。メリー、欲しい物があるんだけど。それでもいーい?」


 ぽんっと手を打つと、メリーはその場にしゃがみ込み、じーっとドルディマンを見る。

 先程より顔が近くなったことで、可愛らしい少女の無邪気な笑みが目に映る。

 こんな女に怯えているのか。そんな不甲斐ない気持ちはあったものの、今はそんな感情を表に出している場合ではない。


「お、おお! か、構わんぞ! 何だ? 言ってみよ!」


 メリーの機嫌を損ねないよう言葉を選び、ドルディマンが彼女に問いかける。

 すると、にっこりと笑ったメリーは、こう言った。


「あなたがねー、恐怖に絶叫する顔」


 クスクスッという声と共に、すっと闇に溶けるように消えたメリー。

 希望を断たれたドルディマンが、「あわわわ……」と声にならない声をあげ、尻を突いたまま、ずりずりと後退りする。


「私、メリーさん。今ねー」


 暗い森全体から響く、多くのメリーの声。

 何処にいるのかわからない。そんな不気味さと暗がり。そして、このまま殺されてしまうのではいという恐怖。

 冷や汗で額も背中もびしょ濡れになり。


「い、いやだ……死にたくない……死にたくない……」


 まるで呪文のようにそんな言葉を繰り返し、彼の恐怖心が限界に達しそうになったその瞬間。


「あなたの後ろにいるの」


 耳に囁く声と、ふーっという生温かい空気が首筋を撫でる。

 動きを止め、恐る恐る、肩越しに声の主を確認した、その瞬間。


「ギャァァァァァァァァッ!」


 森に、おぞましさを声にした絶叫が響き渡った。


 痩せこけたかのように乾いた肌。

 瞳はなく、深淵の闇のようにぽっかりと空洞となり。

 美しかった金髪はまるで老婆のように痛み、細くなり。

 これまた闇しか見えない口が、大きく開かれている。

 

 ドルディマンが意識を失う直前に見た物は、この世の物とは思えない、メリーの顔。

 そしてこれが彼にとって、人生で最後に怪異を経験した瞬間だった。

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