第六話:終わりの始まり

 たった五人──いや。五体のあやかし達によって、その場に倒れていく者達。

 まるで百鬼夜行に飲まれたかのように、神也の仲間が存分に躍動する中。流石に身の危険を感じたのか。数百の強者揃いの兵士や術師までもが、その存在に畏怖し逃げ出そうとする。

 だが、残念ながら、疾さに勝る鴉丸、六花、メリーから逃げ切れるはずもない。


 足をやられてその場に倒れ。長い首で胴を絞められ。そのまま地面に叩きつけられ。悪夢に絶望しながら気を失い。

 もう、ほとんどの兵士達が地面で動けなくなった頃。


「ド、ドルディマン様。馬をお持ちしました!」

「遅いわ! さっさと手綱を寄越せ!」


 先ほど怒鳴られていた部下が用意した馬に、ドルディマンが慌てて乗る姿が見えた。


「ド、ドルディマン様! わたくしも後ろに!」

「うるさい! お前が誤った情報を与えたからこそ招いた失態。せめてお前がここで、奴らを足止めして償え!」

「そ、そんなっ! ドルディマン様!」


 部下の虚しき懇願も実らず、無理矢理馬を走らせ逃げ出したドルディマン。

 置いてけぼりとなった男は、茫然自失となり両膝を突き、遠ざかる馬の足音がする方を呆然と見る。


「さて。残ったのは、其方そなただけじゃのう」


 そんな男の背後から、玉藻の妖しげな声が届き、彼はびくりと身を震わせる。

 恐る恐る身体を捻り振り返ると、そこには玉藻、鴉丸、せつ、六花の四人が立っていた。背後には、既にうめき声や喘ぎ声も消え、荒い息だけをし地面に伏している兵士達の無惨な姿しかない。


 四面楚歌となったこの状況。

 男もまた、倒れた者達と同じ道を歩む事になると察したのだろう。

 より強く身を震わせながらも、彼はその場で立ち上がり腰の剣を構えた。


「ち、近寄るな!」


 必死に腹から声を出し、威嚇する男。

 だが、震えで奥歯をカチカチ鳴らし、構えた剣の剣先も落ち着かずフラフラしている。このありさまでは、まともに戦えるようには到底見えない。


「心意気はいいけど、これじゃ相手にもならねーだろ」

「確かに」


 肩を竦めた六花に相槌を打つ、腕を組んだ鴉丸。流石に弱い者いじめをしたいわけではない二人は、そんな情けない男に興味を失っている。

 

「……玉藻。どうするの?」


 そんな中、一人歩みを進めた玉藻に、せつがそう問いかけた。


「なーに。折角じゃ。其方そなた。少し話をせんか?」

「ななな、何を話す事など──」

「ドルディマンとやらは、何故セリーヌを必要としたのじゃ?」


 今までの飄々とした笑顔から一変、はっきりと殺意と圧を感じる鋭い目を向けた玉藻に、死と背中合わせだと感じた男は言葉を失い、ごくりと生唾を飲み込む。


 選択を誤れば死ぬ。そう直感的に感じた男。

 それでも何も吐かず、最後まで戦士であろうとする事もできたであろうが。

 残念ながら男の弱き心では、それは無理というもの。


「あ、あの男は、勇者と聖女の血を欲したのだ」

「勇者と聖女の血?」


 玉藻にとっては聞きなれない言葉。

 その重要性が分からず玉藻が疑問を返すと、男はべらべらと話し出した。


「そ、そうだ。シャルインの王族は、いにしえの勇者の血筋の者。十年前、あの方の愚行な策によりガルダレム帝国に滅ぼされたが、最中さなかに死んだと思われていた、セリーヌ王女が生きていた。そこで、女を妃として迎えあの方の子を授かれば、帝国内での地位をより確固たるものにできると考え、此度こたびの行動に及んだのだ」

「ふむ。滅ぼした国の者とはいえ、彼奴あやつは勇者や聖女の血縁。となれば、それを政治利用できる、か」

「そういう事だ。くそっ。ここには大した実力の奴なんて残っていなかったはずなのに。まさか、お前らみたいな怪物モンスターがいるとは……」


 鴉丸の言葉を聞き、沸々と怒りが込み上げたせいか。

 悔しそうな顔をし、男が愚痴を漏らす。が、そこは彼等の目の前。

 白い目を向けられはっとした男は、慌てて剣を投げ捨てその場に土下座した。


「た、頼む! 見逃してくれ! 見逃してくれたら、俺がドルディマンの居場所を突き止めお前達に伝える! もしあいつを殺したいなら何なら手だって貸す! 一生の頼みだ! 頼む!」


 男は地面に頭をつけ、必死に懇願する。自身が生き残る為に。

 ただ、必死な言葉とは裏腹に、心の内ではまったく違う事を考えていたのだが。


「……ここは生き残って、頃合いを見て逃げ出し自由になってやる。それまでの辛抱、か」


 鴉丸が淡々と口にした言葉に、男はぎくりとする。

 図星──いや。その言葉こそ、自身が心の内で考えていた言葉そのもの。

 無論、この男が知るはずもない。

 鴉天狗は人の心を読める。そんな逸話を。


 恐る恐る顔を上げた男に、玉藻はよりいやらしい笑みを浮かべる。


「安心せい。既にドルディマンとやらには追っ手が向かっておる。其方そなただけで足りん情報は、本人より聞くとしよう。とはいえ、化け物の側になどいとうない。そう思う其方そなたの気持ちももっとも。話をしてくれた感謝もある。何か褒美でもせねばなぁ」

「い、いえ! そそそ、そんな!」


 化け物という言葉の意味はわからないものの、玉藻の笑みに得体の知れない不気味さを感じ、身体を震わせながら再び大地に頭を付けた男。


「ふむ。褒美では嫌か。では、ひとつ賭けをするかのう」


 皮肉交じりにそう告げた玉藻は、パンっと柏手を打つ。

 と、直後。男は周囲で妙な音がし始めたのに気づいた。


 暗がりの中。鎧が立てる、カチャカチャっという独特の音。

 地面から何かが立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る足音も聞こえる。

 だが、それは目の前にいる四人が立てたものでない事だけは、耳に届く音の小ささで理解した。


「男よ。顔を上げよ」


 玉藻の声に、はっとして顔を上げた男は、その瞬間驚愕し、顔を青ざめさせた。

 先程倒され、氷づけにされ、意識を失っていたはずの兵士達が、まるで何事もなかったかのように立ち上がり、ゆっくりと歩み始めたのだから。


 ある者は、傷だらけのまま。

 ある者は、凍傷で火傷の痕を残したまま。

 またある者は、快楽を貪った、はだけた姿のまま。


 何者かに操られているかのように、痛みなど訴える事なく、生気のない虚な瞳で動く兵士達。

 それはまるで、この世界の生屍ゾンビのようにも見えるが、動きの機敏さは本来の人そのもの。

 だからこそ、男にはそんな異質な光景が、より不気味に思えた。


 このおぞましい状況を生み出した者。

 それは玉藻であった。


 恐怖や快楽で心と身体を弱らせ、抵抗する意志をなくした所で心を奪い傀儡くぐつとする。

 兵士を生かせと皆に指示した、彼女の目的はこれ。

 九尾の妖狐らしい強き妖術で、心が弱った兵士達の心身を、あっさりと掌握したのだ。


「さて。其方そなたがこの者達から逃げ切れるのであれば、見逃してやろうぞ」


 くすくすと妖艶に笑う玉藻にはっとした男は、逃走を計るべく必死に周囲を見回す。

 が、既に兵士達は玉藻達を含め、周囲を完全に包囲していた。


 残念ながら、男は間者としての諜報や交渉を得意とするものの、戦士としての腕も、盗賊のような身軽さも持ち合わせてはいない。


「たたた、頼む! 助けてくれ! お、お前達も仲間だったろ! な? な?」

 

 死を恐れ、必死に声を張り後ずさる男だったが、そんな悪あがきが意味をなす事もなく。

 気づけばあっさりと、兵士達の武器が届く間合いまで詰められてしまう。 

 

「これで、終いかのう」


 非情な玉藻の言葉に、ぞくりとする男。

 それを合図としたかのように、兵士達が同時に武器を構える。


「や、やめ……やめろぉぉぉっ!」


 ギラリと光った刃達に絶叫した直後、男に剣が突き立てられた。

 同時に彼に走ったのは、ほんの僅かな痛み。

 だが、それは男の心を壊すのに十分であった。


 刺された武器の剣先や穂先は、僅かに肌に刺さっただけで、致命傷どころかかすり傷。だが、男の心は死んだも同然だった。


 号泣した赤い目を見開き、恐怖に染まった顔で固まり、その場で立ったまま失禁した男。

 兵士達の武器が離れた瞬間、まるで操り人形の糸が切れたかのように、かくんとその場で両膝を突き、そのまま天を仰ぐ。

 死んだような目。絶叫を叫び終えたままの開いた口から、言葉が漏れる事すらなく、ただ呼吸だけを続けている。


「確かに此奴こやつらは、其方そなたの仲間じゃったな。これで晴れてか。良かったのう」


 兵士達が退いてできた道を歩き、男に冷たい瞳を向けた玉藻がすっと手を伸ばすと、男はかくりと頭を垂れ、そのままゆっくりと床に落としていた剣を拾い立ち上がった。

 そこに、本人の意思など感じる事なく。


「さて。これで後はボスだけかい?」

「うん。でも、あっちはメリーが追ってる」

「うむ。では、これで終わりだな」

「いや。ここからが始まりじゃ」


 六花、せつ、鴉丸の会話に割り込み、玉藻は肩越しに三人を見る。


わらわはこの者達と二人を追う。其方達そなたたちは先に戻り、神也を安心させてやるがよい」

「うむ。ただし、無茶などするな。若が哀しむ」

「安心せい。後は後始末だけじゃ。神也が願いし、あの姫様の安寧のためのな」


 仲間に微笑んだ玉藻は、再び前を見るとゆっくりと森の奥へと歩き始める。

 それに続き、暗き森に消えていく、敵だったはずの兵士達。


 こうして、サルディアの街の外から敵は全て消え失せ、残されたのは三体のあやかしと、戦いで刻まれた痕跡だけとなった。

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