三 十兵衛、夢に若君を見る



 熱く、切ない声がした。


 誰かが、十兵衛を呼んでいる。



「んっ……はぅ……あ、あっ」



 鼻にかかった甘い吐息。くちくちと濡れた、柔らかいものを捏ねる音。


「十兵衛、じゅう……べ、ぇ……おれを……」


 白い手が自ら着物の裾を割り、膝の間に潜り込ませている。背を丸め、黒い髪を散らして、潤んだ目で十兵衛を見詰めている。



「そなたを あついを あれを あっ、はあっ」



 ちゅくっ にちっ ちゅとっ……


 彼はまるで女のように、己の秘めた場所を、指で嬲っていた。



「み、て…みて――十兵衛、おれの 尻 もう こんなっ」



 脚を開くと、周囲の温度が上がったように感じた。普段は閉じた尻肉の谷がひらかれると、立ち上る誘引香めいたものに、十兵衛は首枷をかけられたかの如く釘付けになった。

 指でほぐされた孔の縁がふっくらと膨らんで、艶めいている。自ら指を三本も、その、出す筈の孔に突っ込んで掻き混ぜては、体液を泡立たせている。

 まるで鮭桃色をした、濡れた貝の肉ような有様の其処を、十兵衛は見せつけられた。


 肉孔から指を抜いた彼が、十兵衛へ手を伸ばす。



「十兵衛――あっ…はあっ♡ おれ、おれぇ……」



 熱く、切なく、蕩けた声だ。


 彼は十兵衛を呼んでいる。


 月明かりに髪を振り乱す、淫売の瞳が照らし出される。普段は暗色に見える瞳が、翡翠のように緑色に輝き、熱い涙で頬を濡らしていた。







「はっ⁉」


 飛び起きた十兵衛の隣に、狸寝入りを続ける若君の気配があった。まだ、朝日の温もりは感じられない。汗をかいた己の身体が、急速に冷えていくのを感じた。


「なん――ちゅう夢を……」


 夢だ。夢に決まっている。今の十兵衛の世界には、光がない。あんなものを、この目で拝める筈が無いのだ。


「溜まっているにしても…くそ」


 ぐうぅ……と喉を鳴らし、耳を伏せて、十兵衛は恥じ入るあまり両手で顔を覆った。突き出した口吻からは溜め息が漏れる。


「はぁ……」


 その上、十兵衛の股ぐらはずきずきと痛む程張り詰めていた。

 十兵衛の雄のものは、人の其れよりも長く、固く、爪牙の男の中でもからかわれるほどである。それが、褌どころか、布団ごと押し上げているのだった。


 十兵衛は床を抜け出し、そっと庵の裏へと出て行った。


 草鞋の裏に、日が経って固くなった雪の感触があった。この辺りは普段使わない為に、雪も多く残っている。杖の先で周囲を探り、他に気配が無いことを確かめると、先程から猛る己の昂ぶりを褌から取り出した。


「く……」


 既に十兵衛の雄は持て余すほどに熱く、触れなくともビンと跳ねるほど、固く天を向いていた。己の雄のにおいに、周囲の雪のにおいが上塗りされる。


「篤実様に、あんな……くそっ」


 ――そうだ。あの若君が、あんな振る舞いをするはずが無い。十兵衛が若君と寝食を共にしたのは、修練と戦を合わせても一年も無い。男所帯ではあったが、誓って若君を淫欲の対象として見たことは無かった。


「この、大馬鹿者が…はあっ…」


 十兵衛の口は自分を罵るが、手は雄杭を掴み、脳裏には記憶から描き出される若君の姿が浮かぶ。外気は冷たいが、歯を食いしばり、牙の隙間から漏れ出す吐息は熱い。


 脳裏には、記憶の中の若君が蘇る。

 時折見た黒い御髪おぐしは長く、肌は白いが、刀を持ち馬上で声を上げると頬が紅潮し、土埃に塗れても艶めいていた。

 夜は黒く見える瞳は、強い光を受けたときに翡翠のように緑に輝くのだ。

 湯殿を共にしたことだってある。小さな背を流したが、細身とはいえ武士らしい男の背中であった。


「余は、そなたら爪牙の者と共に戦えることを誇らしく思う」


 長引く戦の日々の中、敵陣を睨み付けながら呟いた篤実の言葉は、見目の全く異なる自分達を、心の底から受け入れているのだと十兵衛の胸を打ったのだ。


 五年振りにまみえたかつての主君が、明らかに尋常で無い旅路を経たというのに、このような獣慾を抱く自身に、掻き毟りたい程の恥と怒りをおぼえる。


「はあっ……くっ、うっ」


 がしがしと乱暴に恥ずべき分身を扱いた。


 手の中の悪鬼が悪いのか、或いは十兵衛自身が本当は望んでいたのだろうか。


 微かな風が十兵衛の所へ篤実のにおいを運んでくる。ただ美しいだけで無い、生々しい生き物の濃いにおい。


 先端からひとりでに滲み出るぬめりを借りて、自らを責めるようにただ乱暴な動きで扱く。


 ――――「じゅうべえ」


 夢の中で聞いた甘く舌足らずな声が頭の中で鐘の音のように繰り返し響く。


「わか……ぎみ」


 風に靡いていた、あの髪に触れたい。汗を拭った頭皮に、鼻先を擦り付けたい。伸ばされた手首を捕らえ、肩に噛み付きたい。帯を解いた腰をガッシリと掴みそして、このいきり立つ肉棍棒を細腰に叩きつけたい。終いには今にも噴き出しそうな、粘つく欲を存分に浴びせて……。


「ぐるぁっ――――!」


 妻の事で耽ったことすら無かった。しかし十兵衛は、夢の中で見た若君の淫欲に堕落した姿にあてられ、久方ぶりに湧き上がる己の獣性を止められなかった。

 股座またぐらの底がぎゅっと強ばり、太腿がぶるりと震える。何かが駆け上がってくる感覚とともに全身の毛が逆立つ。


「あつみ、ど…の」


 息を詰めれば下腹にぐっと力が入り、十兵衛の雄はびくりびくりとひとりでに揺れる。手は先走りでぬちゃぬちゃと音を立て、それが若君の手だったらと邪な妄想が闇の中に浮かび上がる。


「ッ――あ……‼」


 十兵衛の腰がブルリと震え、切っ先からは糊のように粘ついたものが飛び出した。


「はあっ はっ!」


 爪牙の子種は人間の比で無い量となる。十兵衛は背を丸め片手を男根に添えたまま、声を押し殺し、止まらぬ白濁を雪の上にぼたぼたと散らした。

 足元から、遠いところでは十兵衛の身長ほどの距離まで吹き上げる白濁。地面に落ちれば冷たい雪を溶かし、また雪に冷やされて、十兵衛のにおいだけが辺りに満ちる。


「…――わか…ぎみ…」


 これが、あの方の腹の――否、尻の奥だったならば。



「――十兵衛?」



 篤実の声。ボワッと尻尾を箒のように膨らませ、十兵衛は逸物をしまう事も忘れて振り返った。


「……」


 見えなくともわかる。表情まではわからないが、視線を感じるのだ。十兵衛は、あんぐりと獣の口を開けたまま、棒立ちで固まった。


 果てたばかりの狼の身体からは、湯気が立ち上っている。


 痴態を見られていたのは、何時からだったのか。いや、流石に気配でわかると思いたかったが、自身が常の冷静さを欠いていることも、自覚があった。


「…………お主でも、その様にその――何、妻君が…恋しくなることも、あるのだろう」

「ちがっ…」


 十兵衛は、視線が逸らされたと肌で感じた。


「そなたが中々戻らぬので、様子を見に来たのだ。……主君がいる間ぐらいは、控えてもらいたいものだが……特別に許す。…………余は、寝直す」


 漸く十兵衛は魂が戻ってきたかのように、びくりと肩を震わせ、尾をヘタリと情けなく垂らし、そそくさと逸物を褌の中に仕舞う。そうして言い訳がましく、庵へ戻ろうとする若君を呼び止めた。


「ゆ…雪」

「えっ」


 若君が何故か、酷く動揺した声と共に立ち止まった。


「その…雪があるうちは、あまり裏を彷徨うろつかねぇ方が良い。若君」

「…あ…ああ……ゆき…雪か」


 雪に手を擦り付けて汚れを落とし、竹杖を手に篤実の元へと近寄る。


「変に雪を踏み抜いて、崖から落ちたりしたら事じゃ」


 爪牙の鼻にはまだ青臭い精のにおいが残っているように感じるが、人である若君ならば、わからぬだろうか。もう決定的なところを見られたのだが、どうか分からないでいて欲しかった。


 心臓が、ただ自慰に耽る時よりも強く、早く、脈打っていた。


「……そうだな、十兵衛」


 篤実の肯定に、かえって気まずさを感じた十兵衛は、ゔる…と低く喉を鳴らした。


 ざく、と篤実が元来た道を歩み、庵の中へと先に戻っていく。十兵衛は、竹杖で篤実の足を突くことが無いよう、少し間を開けて続いた。


「……嗚呼……――ない」


 もったいない?


 若君の掠れた声に、十兵衛の耳がぴるっと震えたが、聞き返すよりも前に床に入られてしまい、結局意味を確かめる事無く、鶏が鳴くまで再び眠った。

 腕の中に、寝たふりを続ける篤実を抱いて。

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