バード巣と頼君

よるめく

トリあえず、トリにあった

 とりあえず、友人宅に行ってみた。

 しかし、もぬけの殻だった。


 家具はなく、カーテンすらない。まるで出来立てほやほやみたいな室内だったが、つい昨日までは生活感の塊みたいな空間だったことを、らいはしっかりと記憶している。


 例えば部屋の中央には丸いローテーブルがあって、昨日の夜はそこで鍋を囲んだものだ。頼は水炊きを作ると言ったが断固拒否され、仕方なくスンドゥブチゲを作った。頼はビールをお供にしたが、彼は桶に水をためて顔面を突っ込み、床を濡らした。フローリングに水痕は無い。


 スマホにはその時の写真も残っている。


 なのに、彼は綺麗さっぱり消えてしまった。初めからいないみたいに。


津場つば……どこに行っちゃったんだ?」


 頼は茫然と立ち尽くしながら、がらんとした部屋の中でひとり、友人の実在を探るようにフォトアルバムを開いた。


 津場と出会ったのは今年の四月、大学に入ってからだ。

 サラダボウルのようなアフロヘアをした変な男で、大学構内の芝生に土下座をしているところを発見したのである。


 実におかしな男だった。歩き方は奇妙でぎこちないし、そのくせ高いところを好む。いつも渋い顔をしていて、味の濃い食べ物ばかりを口にしていたが、米は絶対に食べなかった。あと、水は洗面台や桶に張ってから頭を突っ込んで飲む。


 アフロには時々拾った枝を刺さっていて、さながら鳥の巣のようになっていたことから、大学の他の奴等からは鳥の巣呼ばわりされることが常であった。

 頼もまた、言い得て妙だと思ったので、こんな風に言ってみたことがある。


「いっそ鳥の巣っぽい名前で芸名みたいなのつけてみたら?」

「ゲイメェ~~~? うーん……わっかんね、お前がなんかつけてくれ」

「んじゃあ、バズで。津場の場と巣とBirdsをかけてみたんだ。いいだろ?」

「わっかんね」


 そんなわけで、頼は彼のことをバズと呼ぶようになった。


 バズは大学生らしいが授業にはほとんど出ず、大体外を徘徊していた。


 外で何をしているかといえば、枝を拾ったり泥をいじったり……まあ、小学生みたいな挙動である。なんの意味があるのか聞いてみたら、彼はおもむろに枝をアフロに突き刺した。こうするんだ、と得意げに言っていたが、さっぱり意味がわからなかった。


 よくわからない男だったが、なんだかんだ彼と過ごすのは楽しい。

 地理に明るいので様々な場所に案内してもらったし、逆に変なところで世間知らずなので頼があれこれ解説することもあった。


 大の男であるバズは、未知に触れたとき子供のように感激していた。なんでかそれを微笑ましく思った頼は、彼に色々ご馳走したりしたものだ。


 彼は財布を持っておらず、一円も手にしたことが無いようだった。普段何を食べているのか聞いたところ、苦虫をかみつぶしたようですごく渋いものとだけ答えた。


 そんな風に過ごして春は終わり、夏が過ぎ、秋が来て、冬になったある日のこと。


 いつも通りバイト終わりにバズの家を訪ねた頼を、バズは真剣な顔で出迎えた。


「なあ頼……俺、そろそろ行かなきゃなんねーかも」

「行くって、どこに?」

「南だ」

「南のどこだよ。ハワイか?」

「うーん……いや、うーん……。まあ、とにかく南だ」


 バズが意味不明なのはいつものことだが、その日は輪にかけて意味不明だった。


 冬が過ぎたらどこかはわからないが南に行かねばならないと言い、頼は北と南どちらに行くのかと聞いてきた。


 どちらも何も、頼は大学がある。卒業まではここにいる。そう言うと、バズは怪訝そうな顔で首をひねった。頭の巣から泥の欠片が零れ落ちた。


 そして二日前。大学に入って二度目の春が過ぎ、夏になりかけた時分に、彼は頼の下にやって来た。もう行く、これでお別れだ、と言って。


「お別れって……引っ越すのか? こんな時期に?」

「何言ってんだ、こんな時期だから引っ越すんだよ。むしろ俺は遅すぎたぐらいだ。お前と遊ぶのが楽しくて……ズルズル冬まで越しちまった。

 でももう無理だ。これ以上はいられない。俺は南へ行く」


 あまりにも突然で一方的な話である。頼は食い下がり、詳しい事情を聞き出そうと試みたものの、バズは困った様子でろくに答えちゃくれなかった。


 とにかくもうじき出立することだけは確実らしい。それはバズにとって義務というか抗えない運命のようなもので、頼はそれを受け入れることしかできないらしい。


 思えば、冬の時点で示唆はされていた。頼はもやもやした気持ちを抱えたものの、不承不承、受け入れざるを得なかった。


「……わかったよ。じゃあ、せめてなんか送別会とかさ……。っていうか、引っ越しの準備はできてんのか?」

「できてる。実はもう行けるんだ」

「ってことは……荷造りもとっくに終わってんのか……」

「荷造り?」

「えっ、してねえの?」

「……多分……?」


 彼は首をひねって頭を掻いた。荷造りを知らないのか? なのに引っ越すと?

 此処に至って、また変な発見をした。


 一方で、チャンスだとも思った。荷造りがまだなら、せめて思い出話でもしながら別れを惜しんだっていいだろう。


 バズが噴水に急に飛び込んで警察の厄介になりかけたこと。ガラの悪い連中に因縁をつけられて一緒に逃げたこと。今までに食べた食事で何が一番おいしかったかとか、一番楽しんだのはどこに出かけた時だったかとか、積もる話は多かった。


 バイトやら授業の課題やらがあったので、その日は解散となった。


 そして昨日、なんの荷造りもされていない部屋でバズとスンドゥブチゲを食べ、荷造りを手伝うつもりだったが飲み過ぎて爆睡。今日は一限から授業があったので戻って来てから荷造りを手伝うと言って転がるようにバズの家を出た。


 帰ってきたら、何もなかった。全てが幻であるかのように。


 キッチン、リビング、風呂場。狭い安アパートを練り歩いても、どこにも何もない。バズの影も形も見当たらない。一体何がどうしたというのだろう。今まで自分は何を見ていたのだろう。一年間、夢でも見ていたのか?


 頼が何度も目を擦っていると、大きく甲高い声が聞こえてきた。


 チュビチュビチュビチュルルルルル。鳥の鳴き声。


 頼は導かれるようにしてカーテンの消えた窓からベランダに出る。柵の上に、一匹の鳥が止まっていて、つぶらな瞳で頼を見ていた。


「……ツバメ?」


 きょとんと呟くと、ツバメは左右に首をかしげてから柵の上をぎこちなく歩き、何度か頼を見てからもう一度鳴いた。


 ツバメが羽ばたき、飛び立っていく。数秒もしないうちに青空へ消える。


 頼は煌々と降り注ぐ陽光を手のひらで遮りながら、ツバメが去っていく方を黙って見送る。午後の二時、熱くなった夏の日差しに、ひとつの思い出がなくなった。


 それ以降、バズに会うことは一度もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バード巣と頼君 よるめく @Yorumeku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ