杪夏 6
それから紡がれた音は、その一音一音が美しかった。
緩やかな高音からだんだんとテンポを上げていき、唸りを上げる低音までが流れるように、透き通った音色に聞こえた。
悲しみの中で一つの美しさを探して、溜まっていた黒い感情を吐き出せばそれは綺麗な景色の一部に溶けて初めから存在しなかったように消えていく。
音楽は確かに自由だった。
ウユニ塩湖の青の真ん中で創られる音の列が空に渡ると隣にいる僕の心へ届けられる。その感動は果てしなかった。 空っぽな心に水が流し込まれるような幸福が押し寄せては体中を満たしていく。
僕の環境は決して不自由ではなかった。
決して貧乏ではない生活の中で少しずつ何かが崩れていった。
家族というパズルが段々とズレていった。それはとても怖かった。それでも慣れるしかないと思った。時間が経てばお父さんの仕事がひと段落し、お母さんが男に見捨てられて家に戻ってくる。そして、またやり直そうと励ましあえると信じて僕は今まで独りを耐えてきた。それでも周りには当たり前のようにお父さんがいてお母さんがいる。運動会があればお父さんがカメラを持ち、お母さんは頑張れと応援をする。
それが普通なことだと納得するたびに僕の家族の姿が歪に感じて悔しかった。
『一人の生活は常に涙の味だった』
君は変われる 一つ進むたび君は強くなる 変われる今がある
君の思いは届くよ 君の思いは届くよ 苦しんだ時間だけ
君はその言葉を知っている ただ会いたいと
奏の詩(うた)だった。
彼女の透きとおるような、それでいて心に残る言葉の強さが何よりも心地よかった。滑らかな優しい歌声。少女が歌い、世界が歌う。一人の平凡な僕のために。
僕の全てを知っているからこそ、彼女の唄は僕にとって特別になった。
「僕は、ただ普通が欲しいだけだったんだ」
嗚咽まじりの声は震えていた。
知らなかった心の奥底の感情までも引きずり出されて胸いっぱいに溜まっていく。日々の苦しさ、生きづらさやどうしようもないくらいの不安のすべてが奏の、たった一人の、世界を身に宿す彼女によって浄化されていく。
誰もが抱く人間の愚かさや孤独、それは時に傲慢になり、誰かを、自身すらも
縛っていく。だから、どこかで救いが必要なのだ。
日々にはこんな奇跡みたいな休息が必要なのかもしれない。
僕はひたすらに泣いた。
みっともなく無様にそれでも奏は優しく音を奏で続ける。
彼女の言葉には少しの言葉で伝わってくる苦しみと怒りに確かな説得力が
あった。
きっと世界で一番美しい少女だろうと楽は思った。
しばらくして僕と彼女は図書館のイメージに戻った。
「私のことは君のおじいちゃん以外には話さないでね」
「どうして?」
寂しそうな顔をする奏の顔を正面から見据える。
「それ、は、ね。えっと・・・。あぁーあとはおじいちゃんに聞いて!」
会ってから初めてここまで動揺する彼女は初めてだった。これまでのことで奏を大きくて遠い存在だと感じていたけどやはり一人の女の子だと分かるとどこかホッとした。
「それじゃぁね。もうこれが最後、だけど」
「うん。じゃぁね。ありがとう」
「頑張って。見守ってるから」
バイバイ
バイバイ
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