杪夏 2

早朝5時。僕は眠れないでいた。


昨夜、おじいちゃんが言ったことが頭から離れなかった。

山に何があるのか気になって仕方がなかった。小さな和室に響く時計の針の音が妙に大きく聞こえる。


心臓はだんだんと拍数を増やしていく。


チクタク チクタク


それは突如、導かれるような焦燥感に変わり脳内で行けと囁かれているような気がした。


 逡巡はすぐに一つに定まった。


 僕は布団から起き上がると一階の寝室を出た。

リビングで寝ているおじいちゃんの横を足音を立てずに通り抜けて玄関へと向かう。


 夏であっても山の麓の朝は肌寒く、玄関にあったじいちゃんの黄ばんだ薄いジャケットをタンクトップの上から羽織る。


 手に持った靴下と家から履いてきた運動靴を静かにそれでいて素早く履くと

薄暗い山へ駆け出した。

 

             〜とある山にて〜


 小高い山の頂上。そこに一つの物体があった。


それを囲むように地面は草原の一部分が焼け野原のように禿げて灰色になっている。


その上にまるで突き刺さったかのように巨大で細長い長方形の「それ」が

あった。


 物体の壁面に埋め込まれたプレートに『亜空図書館』と彫られた文字が書かれている。


それは言うより明白に異様であった。


そんな図書館に一人の少女が住んでいた。


「今日も暇ですね、リリ。そうね、でも今日はお客が来るよ奏(かなで)。そうね、楽しみだわ」


 そういうと手に持っていたウサギのぬいぐるみをカウンターの前に置く。

規則正しく並んだ本棚の列の真ん中をスキップで移動し、読書スペースとして設けられた白の円卓と丸椅子に近づく。


そして机に立てかけてあったギターを手に取り、優しく弦を弾く。


 短く高い音がタンと響く。

 音は少しの余韻を残して空中で溶けて消えた。


円窓から溢れる朝の木漏れ陽。


肩までのびた金髪と穢れを知らない純白のワンピースとが窓から吹く穏やかな風に揺れる。



               〜楽〜

「疲れた。ここどこ?」


 山を登り始めて一時間。僕、楽は遭難していた。

 朝から感じている焦燥感は未だ拭いきれず、山を降りることは考えなかった。

ただひたすらに頂上を目指していた。なのに迷っている。


終わりのない迷路のように頂上が見えてこない。  

                    

ただの一本道で来ているはずなのに。

重くなった足を気合いと根性で動かし、上を目指す。


「うわ、まっ、っと。危ねぇ」


ぬかるんだ斜面に足を取られ、滑り落ちる寸前で近くの木の枝に捕まった。

ハーフパンツに泥がつき、気分は最悪だった。


日も昇りが浅い早朝は暗くて足元が見えづらく、露で湿った斜面もぬかるんでいて歩きづらかった。


ねぇ、まだー?こっちだって


「えっ?え、な、なに、この声」


不意にどこからか声が響いた。


薄暗い山の寒々とした朝に。


「だれ?どこにいるの」


どこに向けて声を出せば良いのかわからない。周りは薄暗い林だけ。

こだまのようにふわふわして形のない声。


しかし、なぜか不思議ではあったものの、知らずうちにこの状況を受け入れることができた。


こっちよ。


導かれる焦燥感はこれだというように、その後は声に従うことで迷わず進むことができた。

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