杪夏

@ajisai_24

 杪夏 1

 夜の冷やかな風が立て付けの悪い障子に当たり、ガタガタ音を立てている。


 おじいちゃんはいつものようにまるまるとした右手で缶ビールを開けると

プシュッと音を立てて一口飲む。このとき、いつも苦そうな表情をする。

そんな、じいちゃんを一瞥してテレビに向き直る。


背中に僕は畳の上で寝そべって四角のむくっとしたブラウン管テレビ。


古臭いが嫌いじゃない。


がく、いつまでオラの家にいるだよ」


いつも静かにテレビを見るおじいちゃんが突然の声をかけてきて少しビクッとしたがすぐにテレビに意識を戻す。


白のノースリーブにベージュのハーフパンツを着て雑な黒髪を掻く。


中学2年の僕は家出をしてきた。


汗と部屋に吹く山あい特有の冷たい風、その心地良い夏のことだった。


僕は目の前のブラウン管テレビを見つめて数日前を思い出す。


夏休みが始まると同時に家を抜け出してここへ来た。


東京のほぼ中心に住んでいたところから少し遠い千葉の山沿いまで一人できた。

スマホと少しばかりのお金、五百円だけを持ってここまで来た僕をおじいちゃんは何も聞かずに家にあげてくれた。


 おばあちゃんはすでに他界していて一人では少し持て余すほどの広さを持つこの家ではおじいちゃんは毎日を寂しく生きているようだった。


突然に尋ねた僕に温かい白飯としゃけ、味噌汁を作ってくれた。

それから、もう四週間が経つ。

そろそろ、迷惑だろうか。


酒の匂いに包まれた居心地の良い部屋でここに居座る理由を考える。


「僕がいなくなると寂しいだろ。もう少しここにいてやるよ」


中学生は生意気なぐらいが丁度いいとどっかのタレントが言っていたが良い気はしなかった。


 むしろ後悔が混じってしまい、雑になった言葉が嫌な苦みとなって舌に残る

だけだった。


 おじいちゃんはきっと寂しいだろうという善意もあった。


それでも中学生にしては苦しい言い訳だった。


帰るべきだと僕も分かっていた。


「バカ言うな。健太が心配しとるよ。早く帰ってやり」


健太は僕の父親の名前だ。

そして帰らない理由でもあった。


 心配してるだって?それこそバカ言うな。散々家族をほったらかして一ヶ月も顔を見てない。それを今さら、それに母親もだ。父さんは知らないだろうがあれは男がいる。


 お互いに余計な干渉をしない、代わりに好き勝手しても良いと考えているのだろうか。


  新しいブランド服に新しい口紅、帰ってくるのは日付が変わる数分前。夕飯を一人で食べる寂しい一日の繰り返し。だから、僕はじいちゃんの住む、この山に来た。


 帰れと言うじいちゃんも本心ではないだろう。なぜなら、おじいちゃんの言葉は優しかった。きっと寂しいのだ。それは言葉には表れない内なる願望だと僕でも分かった。

明後日になれば夏休みが終わる。じいちゃんに言われなくても僕は明日には帰るつもりだ。


「なぁ、楽。生きていて楽しいか?」

「急に何?説教は聞いたよ」


またかと頭をよぎったが酔っ払って吐いた愚痴だと思い直した。


「この山の頂上に行ってみると良い、きっとお前にも見えるかもしれない。」


最後の言葉は弱くなり聞き取りづらかったが山に行って何があるというのか。


「気が向いたら」


言い終わった後のテレビがただの雑音になって耳をすり抜けていた。


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