出会い

「さっざと起ぎろぉ!」


 不快なだみ声と腹部に走った鈍い衝撃に引きずられて安崎は目を覚ました。ぼやける視界が徐々に明快になると共に、強烈な顔が間近に迫っていることを認識する。


「のんぎに寝ごけてんじゃねぇ。」


 あばた顔の、どろどろとにごった瞳をした女は言葉を吐き捨て、安崎をつかみ上げる。


 今日も一日がはじまろうとしていた。


 ※


 安崎はとりあえずの行動方針を固めることにした。当面は衣食住の確保と自由な生き方の模索。これを目標に生きるとしよう。うむ、不安でいっぱいである。


 自伝を書けばものめずらしさから話題になることうけあいのマイナーでアングラなお仕事をしていたためで危機的状況への対処能力に関して、常人以上と自負している。


 すぐれているのだが、安崎の脳裏にはかつて同じ界隈で生きていたとある外国人の顔が浮かんでいた。彼は実に優秀な男で機転が利いた。半グレと軽くもめたときはなんの打ち合わせもなしにカレー屋の店主に化けて敵を誤誘導する優秀さであった。そんな彼はもともと大工さんになる夢を持って来日したのだが、ビザが切れた後も日本に居残っており、まっとうな職には就けなくなったので安崎と同じまっとうではない職に就いていた。


 現代日本は外国人に厳しいとよく言われたが、この世界も外国人、もとい異邦人には厳しかろう。当然大工を夢見た男のようにまっとうでない職業につくしかない。が、法整備がされていなさそうなこの世界では命の危険は元の世界と桁外れなはずだ。江戸時代に窃盗を重ねて死罪になった男の逸話を思い出し、安崎はぶるりと身体を震わせる。


 加えて職業以前に命の危機がある。まず食料がない。さらに、先ほどの農民の服装から推定される時代の農村は閉鎖的である。この場合、外との交流が無いといっているのではなく、中の交流が固いというニュアンスとなる。具体的にいうと、知らない人間がやってきたら集団で袋だたきする。それもヤンキーの袋だたきを超えた、最後まで行う袋だたきが繰り広げられよう。自分が肉だるまになる光景を想像しながら行動には十二分に注意せねばと決心する。それにしても腹が減った。キノコでも探してみるか?


 断片的な情報から必死に予想を立てるが、腹が空腹を訴える。


 さて、どうしたものか・・・


 疲労と恐怖と混乱で重くなった体を揺らして、悩む。


 目の前の真暗な世界をぼんやりとながめていると、唸り声が聞こえた。


 身体を縮こませながせながら手に武器がないことに気が付く。鎌は先ほど犬に突き刺したままである。


 とりに行こうと、狼を投げ飛ばしたあたりを見つめる。暗い。


 心臓が音を立てる。何も考えられない。


 いや、そうだ。唸り声が聞こえる。


 唸り声から逃げなくては。


 疲労の極致。獣を追い払ったことで一安心してしまった安崎の体は疲れを訴えていた。暗闇から襲い掛かってきた獣への恐怖に耐え切れず、安崎は夜闇に包まれた森を

歩き出した。


 ※

 あの晩、奇跡的に集落を見つけた。


 転がり込んで一週間が経とうとしている。


 この世界にきてはじめて殺した農民の男の村から追手が着た様子はない。この集落は安崎が出てきた湖から山をひとつ越えただけの場所にあるのだが、案外交流はすくないのだろうか。


 律儀に毎朝、日が昇る前にあばた顔の年増女が安崎をたたき起こしに来る。文字通り叩かれる。そうして暗闇のなか働かされるのである。はじめはあばら家といえども雨風しのげる寝床を提供してもらっているのだからと我慢していたのだが、都会っ子の安崎は早くも心身堪忍袋の緒が限界に近づこうとしていた。なにせやることが多い。朝から晩まで働き詰めである。力仕事に慣れていない安崎の体はボロボロだが、手がずたずたになろうと仕事は絶えずやってくる。


 左右不均等な木をくりぬいただけの桶を手に川辺から立ち上がると、安崎はその重量に顔をしかめた。


 ふらつきながら来た道を戻る。


 水桶は重い。形も歪なので持ちづらい。だが、それでも運ばねば、自分の飲み水はなくなる。疲労もある、痛みもある。だが一番は、空腹だ。

 飯が少ない上に粗末なのである。一度つぶやいた日はあばた顔の女が食わせてやってるのにわがまま言うなと怒り狂い、飯を取り上げられた。おかげで生死をさまよった。


 それでも安崎は村に残る。ひとり山をさまようあの恐怖に今もうなされる。もう、夜を山で過ごしたくはない。その一心だった。









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