美作出兵

「者共攻め寄せい。」

 おお!という歓声のもと兵たちが城門を打ち破ってゆく。


 領地からほど近い美作の土豪を攻めていた。

 相手が弱い。数の上では同数だがまるで戦慣れしていない。一方こちらは半年戦場を駆け巡った男達に加え、長年小競り合いに勤しんできた佐柄の兵で構成されているので、楽勝である。


 軽く当たった途端敵が崩れ、城に逃げ帰ったので五郎に「殿、罠かもしれませぬ。」と忠告されるぐらい弱い。


 あ、城落ちた。えいえいおーの大合唱を聞きながら、俺はつぎの城に向かった。


 領主に就任してふた月、本来であれば内政に精を出したいところだが尼子家当主自らが参戦する親征が実行され、近隣諸侯は軒並み従軍を強いられており、南郷家にも招集がかかった。


 親征は滅多なことでは起こらない。当主直々に出ることで相手への強い感情を示す場合か当主が出ないと軍が集まらないほど家が疲弊しているなどの特殊な状況下で実行される。


 今回は後者だ。尼子家は弱っている。月山富田城下の繁栄ぶりを見てとてもそうは思えないのだが、一年前、尼子家は今まで従っていたとある地方領主が支配を脱したことに腹を立て征伐軍を送った。


 親征軍である。たかだか数百の兵しか持たぬ小領主に家を貶された。安芸の一土豪なぞひとひねりにしてくれると息巻いた当主率いる大軍勢は敵方本拠地を総攻めし、大内の大軍に背後を急襲され、這々の体で月山富田城に逃げ帰った。このあまりにも無様な結果を見た出雲・石見の国人領主が勝者である大内になびいた、というわけである。これで尼子の勢力は半減した。


 大内はこの機会に尼子を滅ぼすと宣言しており遠からず本拠に攻めてくる。で、弱っている中での一大決戦でただでさえ不利なのに横やりを入れられてはたまらないので、尼子家は美作・備後の小領主達を叩いて回っているわけである。


 美作には当主率いる出雲西部の直下兵と因幡の傘下達、備後には新宮党率いる出雲東部の兵と伯耆の傘下達がそれぞれ攻め入る。美作は連携もなければ猛将もいないので、たいした抵抗もなく城が落ちていっている。


 戦いにすらならずに降伏する領主達も多く、瞬く間に美作出兵が終わった。とはいえ一国は広い、攻めるのは簡単でも支配となれば話は別、とてつもない労力を要する。ま、目的が横やり防止だから支配する必要は無いんだがね。いやあ良かった良かった。


 ※


 親征は見事に成功。俺も傘下のひとりとして南郷家の殿に従って尼子家当主尼子晴久のいる本陣におとずれた。


 南郷の殿が戦勝を祝い、尼子の殿が応えればそれで終わりである。無事に勝てて何より。佐柄領は美作と接しているから、失敗していれば美作兵に襲われていた、危ない危ない。


「安崎、因幡の国衆に美作の統治を任されることとなった。そこで南郷家は旧佐柄領含め美作北東部一帯を治めることとなった。お主に領地を召し上げる代わりに美作南東部一帯を与える。」


 ・・・おや?


 ※出雲国月山富田城 吉田孫四郎視点


 尼子晴久 出雲の守護代から一代で成り上がり、謀聖と謳われた祖父を持ち、父の死により若くして尼子家当主となった男である。


 叔父である自分から見た彼は俗物そのもの。無能でありながら自信家なボンボン。当主となるや出雲大社に手を出したせいで西出雲に所領を持つ自分は散々な目に合った。


 無能ならば無能らしくおとなしくしておけば良いものを自らを名将と勘違いしておりたびたび遠征に出かけていた。


 こんなやつさっさと討ち取られてしまえばよい。そうすれば自分や自分の息子に当主の座が回ってくる可能性もある。だが、当主が討ち取られるというのは権威の失墜に他ならない。尼子経久の名に従っているものたちの反乱を危惧して自分は無能当主の尻拭いをして回っていた。


 そして今日も無能当主は無能である。


「なぜだ!なぜ、儂がうばった領土を捨てねばならんのだ!」


 当初の作戦では尼子家の総力をもって短期間で美作、備後を蹂躙することで後顧の憂いをなくすとしていた。


 ところが、今作戦で自信を取り戻した尼子家当主殿が「攻め取った土地を手放すなど言語道断」とわめき出した。備後と美作を統治するとなると相当数の兵力と資金と物資を注がなくてはならず、大内との決戦に負けてしまう。


 そんなこともわからんのかと孫四郎は眉をひそめる。美作と備後の諸勢力をたたき、起請文を書かせた。少なくとも一年以内に奴らが攻めてくることはない。それで十分ではないか。


 これが重臣達の総意である。今は大内に注力すべし、だというのに当主がわめきよる。


 重臣たちがありとあらゆる方便を駆使した結果、因幡国東端の領主南郷家に美作東部を、因幡国西端の領主に美作西部をそれぞれ与えることとなった。


 与えると言っても、実際はその土地の取りまとめ役である。尼子家に撫で斬りされた一族の土地が与えられ、降伏した家は与力という形になる。


 要は超危険地帯である。長年治めていた家を強引に潰した直下領も危険だし、大軍におそれをなしただけの無傷で地縁も血縁も強い奴らがおとなしくするはずもないのでこれまた危険である。


 重臣たちも危険だとわかっているので、いてもいなくても良い家を送り込み、うまくいくなら儲けもの、失敗しても時間稼ぎにはなる。という作戦である。


 折衷案、といってよいのか悪いのか。尼子本家には損のない作戦であるが当主殿はご不満らしい。


「美作・備後をまかせた領主どもが反旗を翻したらどうする、それこそ危険では無いか。」


 そんなこともわからんのかと小鼻を膨らませる当主殿を見てため息をひとつ。侵略直後の地を一国衆が治められるはずも無い。反抗勢力と戦うなかで反旗を翻す余裕などあるものか。よしんば尼子に刃を向けたにせよ一国がまとまることもない。安全以外のなにものでもない。


 懇切丁寧に説明してやってもよいが機嫌を損ねるだけだと判断し、当主殿の不安を取り除いてやることにした。


「さすが殿、考えが及んでおりませんでした。」

「ふん、そうであろう。」

「ははぁ。それがし、ひとつ考えがございます。」

「む、言うてみい。」


 要はこの男、状況を理解できていないのだ。美作のまとめ役=美作の統治者だと思い込んでいる。実際はまったくそんなことはなにのだが。さて、そんなこいつの不安を和らげる方法は簡単である。こいつが理解できる、身近な話をもってくればよい。


「実は美作東部を任せる南郷家は一枚岩ではございませぬ。」

「ふむ?」

「南郷家には安崎という有力な家臣がいるそうです。南郷家当主はこの男を御し切れていないのです。」

「ふん、家臣の手綱も握れぬとは、そんな男に任せて大丈夫なのか?」


 孫四郎は冷ややかに笑う。手綱を握れていないのはお前も同じでは無いか。


「さればこそでございます。南郷家に美作の統治を安崎と二分するよう命じれば、自然と溝が入ることでしょう。殿に刃向かうことなど考えなくなるはずです。」


 孫四郎は淡々とでまかせをいう。南郷家の安崎とやらが美作親征の折に活躍したらしいと小耳に挟んだのでそれっぽく言ってみただけである。


 美作統治など、どうなっても良いのだ。今は大内に集中せねば。


 孫四郎の考えをおそらく理解していない尼子晴久は良き案じゃと、鷹揚と頷いた。

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 第二章完結です。合戦シーンは難しいですね。あんまり淡々としているのも味気ないですが、複雑にすると作者の文章力が追いつきません。悩みどころです。

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 ※簡単解説 国衆


 大名家に従ったり従わなかったりするので大名家にとっては厄介な存在。

 定義上は在京の名目上の領主である中央官吏に対して在地の実質上の領主を指す言葉のことだが、戦国時代では大名未満の領主達を指すのが一般的。


 大名未満なのであるが家臣ではなくそれぞれ独立しており、場合によって大名家の支配に入ったり入らなかったり、別の大名家に支配されたりする。


 有名な国衆に南部家や、毛利家がいる。守護大名の支配が衰微した地域では、国衆は城持ちの独立領主として存在し、やがて大部分の国衆は戦国大名の家臣団に組み込まれていった。中には守護大名家を打ち倒し戦国大名の仲間入りを果たしたやつら(三好氏や毛利氏、尼子氏、長宗我部氏、龍造寺氏など)もいたが、基本的には大名の支配体制に組み込まれていった。


 こいつらの存在が戦国時代の勢力圏変遷をややこしくしている。


 4月19日 修正


 5月26日 加筆


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