武家の兜

「お頭!やりましたね!」

「ああ。」

「頭。なぜ佐柄を捕らえなかったのですか?せめて佐柄の首を落とすべきだったのではないですか。」

「あそこで首を落とす余裕なんか無かった。佐柄の当主が生きているのも都合がわるいからな。」

「しかし・・・」

「安心しろ五郎。兜は無事に奪えたんだ。」

憮然とする五郎をなだめるが、釈然としない様子のままだ。そういや伝えていなかったかも。

「いいか?武家の当主は先祖代々の兜を被って初めて武家の当主なんだ。仮にあいつが生きていたとしても兜がこちらにある以上やつは佐柄の当主ではない。」

「は?」

飲み込めない様子の仲間達を見て安崎はどうしたものかと懊悩する。無理もない、安崎自身も初めてこの風習を聞いたときは理解できなかった。現代日本にも伝わっていなかったのでこの世界独自の当主就任の儀は複雑ではないものの特殊である。


 まず、当主となる人間が、各領に1カ所ずつある神聖な地で三日三晩ひとりですごす。余人の立ち入りは禁止。

 その後神聖教という、この国の国教の神官ノ前で祝詞を吟ずる。

事前に神聖教に預けておいた兜を拝領して当主就任の儀は完了。


で、神聖教に預ける兜は何でも良い。良いのだが最低でも一年は預ける必要があり、兜は神聖教に記録される。つまり南郷領領主の南郷なにがし、兜はこれこれこういう形状、と事細かに。兜は詳細な記録はもちろん様々な角度から明治期の植物図鑑のごとく写生される。拝領した兜は神聖視されるらしく、違う兜を着けることは恥であり罪だとされている。


「ま、心配するな。兜はとった。当主自身だってあれだけ滅多斬りにすればまず助からん。」

「そうですね。」

「よし、麓村に帰るぞ!」

「へいっ!」


その後、佐柄家当主が亡くなったと報告があった。同時に佐柄家の一族が主家に救援を要請したらしい。


主家、すなわち出雲の守護、尼子家である。


簡単解説 神聖教について


一向宗(浄土真宗)に独自の 教えを付け足し、仏教各派を統合したようなやつ。信者を増やしに増やしめでたく国教となった。領主との結びつきが強いが、一向宗の代名詞である一揆も起こす。領主就任を支えたりしているため、一揆を起こされると領主は中世キリスト世界の破門のような状況に陥る。各地の大名たちは熱心に信仰していたり、利用するだけの関係だったりとスタンスはまちまち。熱心な信者は互いに連携したりもするので、「信仰」が戦いの名分にならないよう注意するのが常識。


教義は浄土真宗とほぼ同じ。坊主にして寺を中心に活動する。兜預かったりするのは国教になった際に「領主就任を宗教的権威で補強したい」という領主たちの思惑と「領主就任を執り行うことで宗教的権威を補強したい」という神聖教で利害が一致した結果。


ちなみに神聖教が大発展した本編世界において仏教各派は存在しない。比叡山も本願寺も同じ宗派。なので法華宗が京都を燃やしたり、一向宗が法華宗を弾圧したりすることは発生しなかった。

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