第39話 ニナの過去とミナトの初恋
ニナの人生はそこそこ壮絶な物であった。
彼女の生まれはポール公国の辺境の村。
おおよそ、エスペル王国との国境付近に位置している村だった。
そこは十数人の擬人が住んでいる貧しい村であり、勿論自分たちが擬人であると、周囲に悟られないように細々と暮らしていた。
ポール公国でもエスペル王国でも、擬人という存在は広く知られている。
擬人の出没が確認されれば、少なくともポール公国では盗賊と同じく、即刻討伐隊が組まれる。
だからこそ、ニナ達は必死に人のふりをしていたのだ。
人で無いと、バレないように。
まぁ…とは言うものの、擬人自体は平常時において、人と殆ど大差ない。
ニナだって、生まれてから物心ついて両親から自分たちは魔物であると聞かされるまで、本気で自分は人であると思っていたほどだ。
そう”平常時”において。
ニナ達のような擬人は、人とは違うところがいくつかある。
一定の年齢に達した擬人は、定期的に他の魔物の肉を摂取しないと、途方もない空腹感に襲われるのだ。
そうなってくると、飢餓状態になり、理性を保つことが難しくなる。
そして擬人はやっぱり魔物であるのか、他の魔物の肉を食らうときは平常時とは比べものにならないほどの身体能力を発揮する。
歯は刃物のようになり、爪は鋭利な物に変貌する。
一種の獣の状態になるのだ。
擬人はもともと人に姿を変えた魔物。多少なりとも、その部分が現れるのだろう。
これに関しては魔物を食らい、空腹感が満たせれば、元に戻る。
恐らく、そうやって魔物を捕食している姿を冒険者か旅人にでも見られたのだろう。
ニナが十二歳になる前に、村に冒険者達を押し寄せてきて、
『擬人どもが!』
『人に化けるとは!』
『一匹も残さず、殺す!』
仲間の擬人達を次々に殺していった。
『お父さん!!お母さん!!』
『ニナ!逃げろ!』
『貴方だけは生きて!!』
冒険者達は魔物討伐のつもりだろうが、ニナからすれば、冒険者こそが魔物に思えてならなかった。
両親はニナを命懸けで守り、死んだ。
それによってニナは冒険者からの手から逃れ、逃げることに成功する。
それからは両親の死に悲しむ暇も無く、東へと走った。
ニナがいた村から東には森があり、その先にはエスペル王国の国境がある。
ポール公国内にいるのは危険だと思い、エスペル王国に難民として逃げ込んだということだ。
だが、国境を越えた先はさらなる鬱蒼とした巨木の森が広がっていた。
村から国境を超えるまでに通った森とは、比較にならないほどに木々は多く、強大で…何より、ただただ不気味だった。
ニナが不気味だと思った理由は…鳥の声が聞こえないこと。
両親から教えて貰った事だが、鳥はとても繊細な生き物で、住んでいる森の環境が少しでも悪化すると何処かは行ってしまうのだ。
だが、この森は確かに鬱蒼とはしているが、別段環境が悪いとは見られない。
では、鳥がいない原因は何なのか。
恐らく、この森には動物の鳥が近づかないぐらい危険な魔物がいるのだろう。
父親からはそういう森には絶対に入るなと教わっていたが、ニナには別のルートを行くという選択肢は無かった。
戻っても、どうせ両親も村の人もいないだろうし。
意を決して、その巨木の森に入ったニナは時が余り経たずして後悔する。
この森は危険どころの話では無かった。
そこかしこから獰猛な魔物の声が聞こえ、気を抜けば、次の瞬間には自身が喰われていると常に感じていた。
それでもニナは生まれが辺境の村であるため、森の歩行には慣れていた事と彼女が擬人である事が相まって、進み続けることが出来た。
実は擬人には別の特性として、他の魔物に発見されにくいという物がある。
これは擬人とは言わば、人の擬態。
擬態とは、他の生き物に発見されないように気配を消す。
擬人が他の魔物に発見されにくい特性はそこから起因しているのかも知れない。
しかし、あくまでそれは発見されないでは無く、発見されにくい。
目の前に魔物の視界に入ってしまえば、当然見つかる。
『あ……ああ』
『グルルルル………』
ニナのすぐ前には、大きな黒い虎がいた。
うなり声を出し、口からは涎を流している。
まだ瞬きする間もなく、虎が飛び上がる。
終わった…そう思って、ニナは目を閉じた。
その時。
シュン!!
彼女の耳に大きな風切り音が入ってきた。
『?!』
恐る恐る目を開けると、そこには”切断され、真っ二つになった”虎の死体があった。
何が起きたのか理解できないニナだったが、今までの移動の疲労や絶体絶命の危機が無くなり、安心しきってしまったせいでニナは気絶するように倒れてしまう。
その際に見たのは、蒼く光る立派な角を持った四つん這いの”何か”だった。
眠っていたニナが起きたのは夜だった。
身体を起こし、辺りを見ると、すぐそばには三日月状の大きな湖があった。
月明かりの蒼白い光で、湖自体も蒼く輝いているようだった。
湖はとても静かで、周りに魔物の気配はない。
まだ疲れの溜っていたニナは、そのままそこで野宿した。
離れたところでニナを虎から助けた者が見守っているとは知らずに。
ましてや、気絶したニナをここまで運んだことなんて知るよしも無かった。
次の日より、ニナは太陽の位置からまた東に向かった。
そして、なんと巨木の森から出ることが出来たのだ。
驚くべき事に、一度も魔物に襲われることが無く。
いや……襲われなかったというか、ニナが行く先々で何故か昨日の虎と同じように、身体が切断された魔物の死体があるのだ。
まるでニナの進行方向にいる魔物を、何者かが刈り取ってくれているみたいに。
一体誰がこんな事を?
ニナは知らなかったが、昨夜見た三日月状の大きな湖は「蒼月湖」と呼ばれる湖で、巨木の森こそが「水魔の森」と呼称されているエスペル王国屈指のBランク以上の冒険者でないと立ち入りが出来ない危険区域だったのだ。
そしてニナを助けたのは、その水魔の森の主であったのだ。
それから通りすがりの旅人や心の優しい冒険者に助けて貰い、紆余曲折あってシルハのいる村に十二歳の頃に辿り着いたのだ。
勿論、擬人であることは隠して。
村長や村人は流れ着いた怪しい私を快く受け入れてくれた。
後は知っての通り、擬人と怪しまれないように人のように振舞った。
お父さんを病で失くしてしまったシルハに同情の念を持ち、親がいなくなる悲しみをしっている私はシルハを必死で慰めた。
でも定期的に魔物を摂取しないと、また空腹感が襲ってくるので。
だが、あの日は運悪く、盗賊に見つかってしまい、捕虜にされる。
幸い一週間で、助け出されるが、空腹感が半端なかった。
祝賀会でも、多くの食事を出されたが、魔物が食べたくて、しょうがなかった。
そして夜、シルハの家から抜け出し、一角兎を貪っていたところで、私を殺そうとしたクラルからミナトが守ったのだ。
ああ……ここまでか。
私が擬人だとバレてしまった。
物心ついた時から今まで自問自答してきた。
何故、自分たちは魔物なのか。
私は一度も人を襲ったことがないのに、なんで人は私を魔物扱いして、殺そうとするのか。
どうして人として扱ってくれない。
今では、もう半分諦めてしまったことだが。
「心」が人なら、それは立派な人。
だからだろう。
そのようなミナトの言葉には、ニナの心に深く突き刺さったのだ。
ニナは懇願するような顔でミナトを見る。
「人……ミナトさんはそう私を思ってくれるのですか?」
「まぁ…あんたとは今日会ったばかりだけど、俺はあんたが人にしか見えねぇよ」
「!」
さらなるミナトの言葉に、思わずニナは目尻から涙を垂れ流す。
それを見てキョトンとするミナトに、ニナは
「……そんなこと言われたの初めてです。人として扱われたのは。私の両親を殺した人や私を追う人は皆んな、私を魔物としか思っていなかったので」
「そ、そうか。随分酷な人生送ってたんだな」
「ミナトさんは……優しいんですね」
「………」
どう言うわけか、ミナトは沈黙する。
顔は複雑なものになっている。
ミナトさんは……優しいんですね。
その言葉はニナの心からの言葉だったのだろう。
俺が優しい。
それはシズカ様にも、前に言われた言葉。
違う、俺は……俺は……俺は優しくなんか無い。
優しいから、ニナは魔物ではなく、人である…そう言ったんじゃ無い。
「心」が人なら、それは立派な人。
俺がシズカ様にもクラル、ニナに対して、こんなセリフを言い放った理由は……。
俺がシズカ様の事が好きだったからだ。
シズカ様は俺の初恋の相手。
訓練をしていくうちに、いつしか俺はシズカ様を異性として見ていた。
優しい心、女性としての魅力、剣士としての圧倒的な強さ。
どれも俺の心を掴んで離さない。
勿論、シズカ様は死んで幽霊となっているので、叶わぬ恋であるのは知っている。
それでも好きだったんだ。
だからこそ、人の姿をした魔物がいたら、どうするかという彼女の質問に、即答であんなキザなセリフを言い放ったのだ。
言わば好きな人にカッコつけるための、でまかせでもあったんだ。
だって好きな人に、「貴方は人ではなく、魔物です」と答えるクソ野郎はいないだろう。
だからなんだよ。
俺は優しくなんかない。
本当にごめん、二ナ。
俺がニナを助け、魔物ではなく、人として扱っているのは。
ここでニナを魔物として扱ってしまったら、シズカ様に嘘をついたことになる。
それはシズカ様の侮辱でもある。
それだけは絶対に嫌だ!
なので、俺はシズカ様のためにもニナを守る必要がある。
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