放してしまった手の、その後

御剣ひかる

一生ついていく

 最近、彼氏がよそよそしい。

 っていうかあからさまに距離を取られる。物理的に。

 優しい彼なんだけど、時々わたしを見てぎょっとした顔をして、びくってなって後ずさる。


 どうしたの? って尋ねても笑って「なんでもないよ」って言うけど。明らかに何でもなくないよね。


 わたしが嫌になった? 離れたいの?

 でも、うーん、そういう感じでもないんだよね。


 今日デートなんだけど、なんだかちょっと憂鬱だな。またびくって距離取られちゃうのかな。

 メイクしても髪を綺麗にまとめても、……気分が上がりきらない。




 そんな中途半端な気持ちで彼との待ち合わせの場所に向かってると。


「ちょっと、そこのあなた」


 後ろからおばさんの大きな声がした。

 思わず振り返ったら、ふくよかなおばさんがすごい勢いで走ってくる。明らかにわたしに向かって。


 ちょ、なに、怖すぎっ。

 逃げよう。


「待って、ねぇ、待って!」


 嫌です!


「いも、うと、さんがっ」


 ……えっ?

 思わず立ち止まってもう一度おばさんを見た。

 普段あんまり走らないだろうなって感じのおばさんは、ぜぇぜぇ息を切らせてる。

 今にも倒れそうなおばさんは、わたしの手前でへたり込んでしまった。


「大丈夫ですか?」

「あん、まり、だいじょぶ、じゃない」


 うん、そんな感じだよね。

 何事かってわたし達をちらちら見ている人達もいるから、おばさんを連れて道の端による。


「それで、何か用ですか?」


 さっき、妹さんが、って言ったよね?

 聞き違いだったかもしれないけど。

 だって妹は……。




 わたしはまだ五歳だった。妹は三歳。

 お母さんと一緒に買い物に行った時だった。


 スーパーの駐車場で、お母さんは妹の手を繋いだまま買い物袋を車に乗せていた。

 妹はおとなしくしていたけど、お母さんが片手だけで作業してるのがすごくやりにくそうに見えたから、わたしが妹の手を握ってる、って言ったんだ。


「ありがとうおねえちゃん。すぐに済ませるからね」


 お母さんはわたしは信頼して妹を任せてくれた。

 それなのに。


「あ、わんちゃん!」


 妹は、ちょっと離れたところにいる犬を見つけて、あっさりとわたしの手を振り払うようにして走り出した。


「だめっ!」


 あぶない、っていう次の言葉は、車のブレーキ音と衝撃音にかき消されてしまった。




 あれから二十年近く経ったけれど、お母さんはまだ自分自身を赦せていない。多分一生無理なんだろうな

 わたしも、時々夢に見てしまうくらいだもん。


「あのね、あなた見えてないようだから」


 おばさんの声で我に返る。


「見えてない?」

「そう、妹さんのこと」


 聞き違いじゃなかった、けど。


「事故の事とか調べたんですか? そういうのネタにするのよくないと思います。それとも詐欺かなんかですか」


 わたしの冷たい声におばさんはおもいっきり首を振った。


「信じられないのは当然よね。――え? できるけれど……」


 おばさん、言葉の途中からわたしの後ろ見てる。


「今のあなたの姿を見せてもお姉さんますます信じてくれないと思うよ? あぁ、判ったからその子引っ込めて」


 そのこ?


「妹さんが、自分の姿をお姉ちゃんに見せてあげてって言ってるけど、あなたますます詐欺かなにかと思っちゃうんじゃないかって思うのよね……」


 わたしに話しながら最後は独り言になってる。


「いいよ、見せてよ。見せれるものなら」


 どうせなにかのインチキアイテムでしょ。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 そう思っていた時がわたしにもありました。

 わたしの部屋には妹の霊が居候(?)してる。

 しかも小さいドラゴンと一緒に。


 妹は事故で亡くなってから、なんと異世界に転生したらしいのよね。

 本当にあったんだ異世界転生。


 そこで魔王を倒せとか言われて旅をしていて、ドラゴンはその途中でテイムしたんだとか。

 雛といってもドラゴンを懐かせるなんて、めっちゃ強かったんだねあんた。


 でも物語みたいに全部がうまくいったわけじゃなくて、魔王軍との戦いの途中で妹のパーティは負けてしまった。

 で、なぜかこっちに魂だけ戻ってきたらしい。ドラゴンと一緒に。


 彼氏は、妹が「帰ってきて」から、見えてたんだって。そりゃドラゴン付きの霊がそばにいたらびびるわ。

 そんなの怖いだろうに、なんで別れなかったの? って聞いたら、妹の声が聞こえてて悪い人じゃなさそうだって思ったから、って。

 いい人過ぎでしょ。一生ついてくわ。


『お姉ちゃん、今日デートだよね』

「うん」

『ちょっと待ってね……。うん、東の方向に行くといいよ。何かいい事あるはず』

「おぉ、いい事。ありがとう予言者フォーチュンテラー様。それじゃ行ってきまーす」


 妹は手を振って、ドラゴンちゃんが尻尾をぱたぱたして見送ってくれた。


 あの日放してしまった手は今でも悔やんでいるけれど、こんな生活も、悪くない。



(了)

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放してしまった手の、その後 御剣ひかる @miturugihikaru

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