第9話 夏先輩の命日
あれからさらに数日経ち、すっかり葉桜の季節となった。
今日は夏先輩の命日だ。
百葉書店はこの日は毎年定休日となっている。わたしは葉子さんとともに夏先輩のお墓参りに向かっていた。
K駅からバスに乗ってY霊園へ。
バス通りは延々と桜並木が続いていたが、もうすっかり花弁が散り落ちていた。黄緑色の若葉が萌え出て、それを見るとお別れのあの時を思い出す。
あの頃、新型コロナウイルスで亡くなった人は、遺族も対面できないまま荼毘に付されていた。
わたしも葉子さんも、夏先輩の死に顔は見ていない。
苦しかったのか、無念だったのか。そういった最期の思いをくみ取ることはできなかった。
ようやく再会できたのは、お骨になってから。
いまだに現実感がない。急にいなくなってしまったから、今でもただ遠いところに行ってしまっただけのように感じる。逆に急に、ふっと帰ってくるんじゃないかと思うこともある。
そんな頼りない別れ方だった。
夏先輩が亡くなったのは、桜が満開の日だったけれど、春は葬儀場が混んでいて本当のお別れの日になったのは十日ほど経ってからだった。その頃にはもう葉桜の季節となっていた。あのとき窓から見た鮮やかな新緑を憶えている。
わたしたちは本堂にお参りしてから、手桶に水を汲んだり、線香を調達したりした。
「萌枝ちゃん、ちょっとこのお花持っててくれるかい?」
「はい」
わたしは、葉子さんが買ってきた花束を受け取る。
赤や黄色やピンクなど、夏先輩の好きそうな色の花がたくさん束ねられていた。わたしはあまり花の名前を知らない。菊、ぐらいはわかるけれど。
葉子さんは水場で掃除用具を選んでいる。
「今年も、晴れてて良かったねえ」
「はい、夏先輩は晴れ女でしたからね」
本当に、夏先輩と出かけるときはいつも晴れだった。あれから五年経つが、お墓参りに一度も雨が降った試しがない。
「夏、来たよ」
そう言って、お墓の前で葉子さんが手を合わせる。わたしも一緒に手を合わせた。
夏先輩、お久しぶりです。
墓石を掃除し、花を生け、それから米などのお供え物を置く。
「来年は七回忌だ。早いもんだね」
「六年目だと数が七回忌ってなるの、不思議ですね」
「亡くなった年が一回忌だからね。その分、数がひとつ変わるんだよ。来年は……萌枝ちゃん、もうあたしに付き合ってくれなくていいよ」
「え……」
どうして。そんなことを。
葉子さんはわたしを振り返って言う。
「もう、ずっと一緒にここに来るのも大変だろうと思ってね。いつまでもあの子を想ってくれてるのはありがたいんだけど」
「なんで。わたし、そんなこと……思ってないです。大変なんて」
葉子さんは、夏先輩がわたしを好きだったことも、わたしが夏先輩を好きだったことも、よく知っている。亡くなるまでその気持ちをお互いに伝えられずにいたことも。
「できたらずっと……こうしてお墓参りさせてほしいです。あ、こうして一緒に来るのがダメなら、別で……別々でもいいです。ですから、止めさせないでください。お願いします」
「……」
葉子さんはとても辛そうな顔をしていた。
「萌枝ちゃん、あんたはとってもいい子だ。そんな子に好かれて、あの子はずっと幸せだったと思うよ。恋人になれなかったとしても、友人としてずっと長くともにいた。その時間はあの子にとってかけがえのないものだったはずだ」
「それは……わたしもです。わたしだって、ずっと」
「でもさ、あの子はもういないんだよ」
「葉子さん……?」
葉子さんは手桶から柄杓で水をすくうと、墓石にかけていく。何度も何度も。
「あの頃、あたしもたった一人の親族を失って、だいぶ参っていたからね。萌枝ちゃんがそばにいてくれてずいぶんと救われたんだよ。でもさ、あそこにあの子はいないんだよ。萌枝ちゃんは、あの子といたくてうちに来たんだろう? それなのに……あの子がいないんじゃ、いつまでもうちに縛りつけておいたら、あの子に申し訳が立たないよ」
「そんなこと……」
「萌枝ちゃんにはまだまだこれから長い人生があるんだ。いつまでも過去にとらわれてちゃいけない」
どうして。そんな悲しいことを言うんですか。
そう伝えたかったけれど、葉子さんの華奢な背中を見て、何も言えなくなってしまった。
「あたしもいつあの世からお迎えがくるかわからないからね。そうしたら、うちの墓は墓じまいだ。店も、店じまいだ。どこにいっちまったんだかわからない娘にはあとを任せられない。だから萌枝ちゃんも、そうなったときのことを考えておいてほしいんだよ」
手桶から水がなくなり、葉子さんは墓所をあとにする。
わたしはもう一度墓石に向かって手を合わせた。二度と来れなくなるかもしれない、そんな恐怖と闘いながら。震えながら、夏先輩に心の中であいさつをする。
——萌枝、ごめんね。
と、どこからか夏先輩の声が聞こえたような気がした。
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