保育園の訪問II
今日は夏休み前最後の活動日で、二ヶ月に一度の保育園の訪問日。
俺はたった今、部長と無藤さんと一緒に園児たちに軽く挨拶をしたところだ。
目の前に座る園児たちは早く遊びたくてたまらないといった感じでそわそわしている。そんな園児たちに保育士の先生が笑いかける。
「じゃあ、みんな! ボランティア部のお姉ちゃんお兄ちゃんたちと遊びましょう!」
「「「はーい!」」」
——ドタドタッ
園児たちは保育士の先生に元気な返事をした後、一目散に部長と無藤さんの周りに駆け寄る。
「「ぶちょー!」」
「「ゆうちゃーん!」」
「みんな! 久しぶりだね!」
「私のこと、覚えてくれてて嬉しいなー!」
部長と無藤さんは園児たちの前にしゃがみ込み、明るく声をかける。そして、笑顔を浮かべながら園児たちと順番にハイタッチしていく。二人とも相変わらず大人気だ。
「なみき、ひさしぶり」
部長と無藤さんの様子を一人眺めていると、めいちゃんが俺の方にてくてくと歩いてきてくれた。
「めいちゃん、こんにちは」
めいちゃんが来てくれたことを嬉しく思いながらそんな挨拶をする。すると、めいちゃんは少しだけにこっとし、こくりと頷いてくれた。
「ん。あそぼ」
めいちゃんはそう言った後、俺の手を引いて本棚の方へ歩き始める。また読み聞かせかな……? そんな予想をした瞬間、部長と無藤さんの明るい声が聞こえてくる。
「フルーツバスケットやりたい子、この指とーまれ!」
「おままごとやりたい子は私のところに来てねー!」
めいちゃんは無藤さんの呼びかけの直後、足を止め、ちらっと彼女の方を見る。
「おままごと……」
「めいちゃん、おままごとやりたいの?」
「ん」
めいちゃんは俺の質問にこくりと頷くと、俺の手を引きながら無藤さんの方にゆっくりと近づいていく。俺もおままごとやる感じか。恥ずかしいけど、仕方ない……。
俺とめいちゃんが無藤さんの目の前まで行くと、無藤さんはぱっと表情を明るくして、めいちゃんに優しく笑いかける。
「めいちゃんもやりたいのかな?」
「ん」
「じゃあ、一緒にやろっか!」
無藤さんはそう言ってめいちゃんの頭を撫でた後、俺の顔を見てどこか嬉しそうな表情をする。
「並木先輩もやるんですね」
無藤さん、なんか嬉しそうなんだけど、なんでだろう?
「う、うん」
俺は無藤さんが嬉しそうにしているのを疑問に思いつつそんな返事をした。
しばらくしておままごとのメンバーが揃った。俺と無藤さんとめいちゃん、他三人の園児だ。
無藤さんは少し屈みながらめいちゃん含めた園児たちに優しく笑いかける。プロの保育士顔負けといった感じの優しい笑顔だ。
「みんな、どんなことやりたいかな? お店屋さんごっことか、家族ごっことか、色々あるよね」
無藤さんが可愛らしく首を傾げながらそう尋ねると、ある女の子が勢いよく右手を挙げ、「かぞくごっこ!」と答える。
「ぼくも!」
「あたしも!」
他の二人の園児が同調すると、無藤さんは大きく頷く。
「うんうん! めいちゃんも家族ごっこでいいかな?」
「ん」
無藤さんはめいちゃんが頷くのを見た後、園児たちを見ながら再び優しい笑顔を浮かべる。
「じゃあ、誰が誰をやるか決めよっか!」
「ぼく、おにいちゃん!」
「じゃあ、わたしはいもうと」
「あたしは……ぺっとのねこさん!」
「うんうん! めいちゃんはどうする?」
無藤さんが笑いかけると、めいちゃんは得意げな表情をして俺にぎゅっと抱きつき、「なみきのおくさん」と言い放った。
その瞬間、無藤さんは目を大きく見開き、少し飛び退く。
「え!? なっ!」
「……え? 無藤さん、どうかした?」
無藤さんの驚きようが不思議でそう尋ねると、無藤さんは首を横に振りながら「い、いえ、なんでもありません」と誤魔化す。そして、無藤さんはめいちゃんの顔を見てぎこちない笑みを浮かべる。
「めいちゃんがお母さん役、並木先輩がお父さん役ってことかな?」
「ちがう。めいがおくさん、なみきがだんなさん」
めいちゃん、前回はプロポーズごっこやろうって言ってきたし、やっぱり結婚に憧れがあるのかな……。そう思っていると、無藤さんがなぜか苦虫を噛み潰したような表情をするのが見えた。しかし、彼女はすぐに表情を戻し、めいちゃんにゆっくりと頷きかける。
「……じゃ、じゃあ、そうしよっか……」
無藤さん、なんか不満そうじゃない……? そう思って首を傾げていると、無藤さんがさっと右手を挙げ、口を開く。
「みんな、私はメイドさん役をやるね!」
メイドさん? 家族ごっこでメイドさんって普通ないよね? まあ、遊びだからなんでもありなんだけど。
「じゃあ、始めよっか!」
無藤さんは明るくそう宣言すると、俺の耳元に顔を近づけてくる。
(並木先輩、仕事から帰って来た感じで)
俺は無藤さんの囁きに無言で頷くと、恥ずかしさを感じつつ扉を開ける仕草をする。
「……た、ただいまー」
俺がそう呼びかけると、めいちゃんがすたすたと俺の目の前にやって来る。
「あなた、おかえ——」
「旦那様、お仕事お疲れ様です」
無藤さんはなぜかめいちゃんが話している最中に彼女の前に飛び出し、俺に丁寧に頭を下げてくる。
「晩御飯の支度ができておりますので、食卓にどうぞ」
「え? あ、ありがとう」
俺は困惑しつつ無藤さんにそう返し、手を使って食べるふりをする。
「うん、すごい美味しい。さすが無藤さんだ。みんなはもうご飯食べたのかな?」
「うん、おいしかった」
「わたしもー」
「にゃーにゃー」
三人の園児たちのそんな返答の直後、俺の目の前に再びめいちゃんがやって来た。彼女は両手に何かを持っているふりをしていた。
「あなた、わたしもつくった、たべて」
「え?」
さっき食べたんだけど……。まあ、いいや。
「じゃあ、もらおうかな。……うんうん、お母さんが作ったご飯もすごく美味しいな」
俺が食べるふりをしながらそう言うと、めいちゃんは可愛らしく頬を膨らませる。どうしたんだろう?
「おかあさん、やだ。おくさん、したのなまえよぶ」
「……う、うん、わかった。……じゃあ……めい、ご飯美味しかったよ」
めいちゃんの要望に従ってそう言うと、めいちゃんは「ん!」と言って満足そうに頷いてくれた。その直後、めいちゃんは俺の手をぎゅっと握ってくる。
「もっとおいしい、どっち?」
めいちゃんは自分の顔と無藤さんの顔を順番に指差し、こてんと首を傾げる。そして、俺に期待するような眼差しを向けてくる。無藤さんもなぜかめいちゃんと同じような眼差しを向けてくる。
なんて言えばいいんだろう……? まあ、子どもの遊びだし、ここはめいちゃん優先か。
「めいのご飯の方が美味しかったよ」
「ん!」
俺の言葉にめいちゃんは満足そうに頷くが、無藤さんは悲しそうに膝から崩れ落ちる。無藤さん、大げさすぎ。ただのごっこ遊びなんだけど……。
心の中でツッコミを入れていると、無藤さんが勢いよく首を横に振り、表情をいつものクールな表情に戻すのが見えた。無藤さんはそのまま丁寧に頭を下げてくる。
「旦那様、お風呂が沸いております。お背中お流しいたしますので、どうぞ浴室へ」
「……お、俺は一人で入ろうかな」
ごっこでも無藤さんに背中を流してもらうというシチュエーションは恥ずかしくて、そんな返事をすると、無藤さんはどこか悲しそうな表情をする。
「そうですか……」
無藤さんが下を向きながらそう言うと、めいちゃんが俺の目の前に飛び出してきて、俺の目をじっと見つめてくる。
「あなた、わたしとはいる」
「えーと……どうしようかな……」
「……あなた、やだ?」
渋っていると、めいちゃんは純粋さを感じさせる目でじっと見つめてくる。これは断れないな……。
「じゃ、じゃあ、背中だけ流してもらおうかな」
「ん。わかった」
めいちゃんは嬉しそうにそう言うと、なぜか無藤さんの方を見て、得意げな表情をする。
「……ぐっ……」
無藤さんは拳を震わせ、悔しそうな表情をしている。なんかよくわかんないけど、さっきからめいちゃんと張り合ってない……?
その後も無藤さんとめいちゃんはバチバチに競い合っていたが、俺は年齢を考えてめいちゃんを優先し続けた。
すると、突然、無藤さんが右手を挙げ、「みんな、そろそろ役を変えない?」という提案をする。
「いいよー」
「うん、ねこつまんないからかえたい」
「かえよ!」
三人の園児たちは無藤さんに賛成するが、めいちゃんは不満そうな表情をしている。しかし、他の園児たちを思ってか、「……しかたない」という返事をした。
「……めいちゃん、えらいね」
他人を優先しためいちゃんに感激した俺は、そう言って思わず彼女の頭を撫でてしまう。すると、めいちゃんは満足そうに微笑み、無藤さんの方を見てにやっとする。また何か張り合ってるのかな……?
「……ぐっ……」
無藤さんはめいちゃんの方を見ながら悔しそうな表情をするが、一瞬で表情を戻し、めいちゃんの顔を覗き込む。
「めいちゃん、今度は私が奥さん役になっちゃおうかなー?」
「べつに、いい。もうじゅうぶん」
「そ、そう?」
無藤さんはぎこちない笑みを浮かべてそう言うと、俺の顔を真顔で見てくる。
「私が奥さん役をやるので、並木先輩は旦那さん役のままでお願いします」
「えっ、なん——」
「お願いしますね」
無藤さんは俺にぐいっと顔を近づけながら食い気味にそう言ってきた。夫婦設定は恥ずかしすぎない……? そう思いつつも仕方なく頷くと、無藤さんが園児たちの方を見て笑いかける。
「みんな、私が奥さん役やってもいいかな?」
「「「いいよ!」」」
「あと、このお兄ちゃんが私の旦那さんをやりたいみたいなんだけど、いいかな?」
「「「いいよ!」」」
俺は別に旦那さん役やりたくないんだけど……。それに、なんか変な言い方じゃない?
◇
しばらくして全員の配役が決まると、再びおままごとが始まった。俺はさっきと同じように仕事から帰ってきた
「母さん、ただいまー」
俺がそう呼びかけると、無藤さんはわざとらしく首を傾げてくる。
「あら、いつもみたいに名前で呼んでくれないの?」
無藤さんはそう言って、期待するような眼差しを向けてくる。めいちゃんが言ってたみたいに名前で呼ばなきゃダメみたいだな……。
「……えっと、ゆ、ゆ……優李……た、ただいま……」
顔を熱くし、言葉を詰まらせながら無藤さんの名前を呼ぶ。すると、俺に名前呼びをさせた無藤さん本人もぽっと頬を赤くする。
「……は、はい。……おかえりなさい……し……信慈くん……」
無藤さんは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながらも、俺の目をまっすぐに見て名前を呼んできた。その瞬間、恥ずかしさにより一層拍車がかかり、思わず彼女から目を逸らしてしまう。な、なんか、名前呼ぶより呼ばれる方が照れる……。
「「…………」」
俺と無藤さんは名前を呼び合った後、しばらく沈黙していた。そんな俺と無藤さんをめいちゃん含めた園児たちは不思議そうにじっと見つめていた。
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