お見舞い①
「おーい、みっきー」
プール掃除の翌日。放課後の廊下を歩いていると、突然、後ろから部長の声が聞こえてきた。
驚いて振り返ると、俺の方に向かって走ってくる部長の姿が目に入った。彼女は俺の目の前で急停止すると、こてんと首を傾げる。
「みっきーって、このあと暇?」
「……暇ですけど、なんですか?」
「一緒にむとーちゃんのお見舞い行こうと思って」
「え? お見舞い? 無藤さん、どうかしたんですか?」
お見舞いという言葉に少し驚きながらそう尋ねると、部長はどこか悲しそうな表情で話し始める。
「えっとね、むとーちゃんが学校休んでるっていう話をしてる子たちがいたんだ。それで、むとーちゃんにメッセージで聞いてみたら熱が出てるんだって」
「熱ですか……」
「うん……。むとーちゃん、プール掃除頑張りすぎちゃったみたい。うちがもっと気遣ってあげてれば……」
部長は申し訳なさそうに下を向いている。部長はちゃんと気遣ってたし、無藤さんは仕事熱心だから仕方ないんだけどな。
「部長のせいじゃないと思いますよ。お見舞い、一緒に行きましょう」
「……ありがと。……じゃ、行こっか」
部長は顔を上げると、いつもより暗い表情で微笑んだ。
部長の元気がないと、なんとなく変な感じがするなぁ。俺はそう思いながら部長と一緒に下駄箱に向かって歩き始めた。
◇
俺と部長は学校を出た後、電車に乗って無藤さんの家の最寄駅で降りた。その後、部長と一緒にしばらく歩いていると、「無藤」の表札がある大きな一軒家が見えてきた。
「おっ、あの家ですよね?」
「うん、そだね」
駅から無藤さんの家まではスムーズに移動できた。俺と部長は捻挫をした無藤さんを家の前まで送った経験があるので、家への行き方はばっちり覚えていたのだ。
無藤さんの家の前に着くと、部長が早速、玄関前のインターホンを押す。
——ピンポーン
「ボランティア部の板橋和沙と言います。むとー……じゃなかった、優李ちゃんのお見舞いに来ました。同じ部のみっ……並木くんもいます」
部長は途中で少し言葉に詰まりながらインターホン越しにそう呼びかけた。こういう時って名前の呼び方に困るんだよな。部長がやってくれて助かった。
——は〜い
——ガチャッ
明るい返事が聞こえた後、しばらくして扉が開き、中から背の高い綺麗な女性が出てきた。見た目的には三十代前半くらいに見えるが、多分、無藤さんのお母さんだろう。
「いらっしゃい。わざわざゆうちゃんのお見舞いに来てくれてありがとね〜。どうぞ入って」
「「お邪魔します」」
俺は部長と一緒にそう言うと、無藤さんの家の玄関に入っていく。他人の家に入るのは久しぶりで、且つそれが女子の家となると、少し緊張してくる。
やや鼓動を速くしながら無藤さんのお母さんの後をついていくと、二階のとある部屋の前に着いた。
無藤さんのお母さんはふんわりとした口調で「ここがゆうちゃんの部屋よ〜」と言うと、そっと部屋の扉を開ける。
「ゆうちゃ〜ん。ボランティア部の子たちが来てくれたわよ〜」
無藤さんのお母さんは部屋の中を覗きながらそう言った後、俺と部長の方を見て優しく微笑む。
「ゆうちゃんは寝てるみたいだけど、入っちゃって〜」
「え? いーんですかね?」
部長が困惑した様子で尋ねると、無藤さんのお母さんは軽く頷く。
「いいんじゃない? じゃあ、私は下にいるから何かあったら呼んでね〜」
無藤さんのお母さんは再び優しく微笑むと、俺たちに小さく手を振り、階段を下りていった。顔は無藤さんに似てるけど、ほんわか系の人だったな……。
俺は部長とともに無藤さんを起こさないように気をつけながら部屋に入る。その瞬間、石鹸のような爽やかな香りに包まれた。む、無藤さんの匂いだ……。たまに無藤さんから漂ってくるいい匂いをより直に感じ、俺は鼓動を速くする。
そんな状態で部屋を見回すと、部屋には淡いピンク色のインテリアが多くあしらわれていて、ところどころに小さなぬいぐるみが置かれているのがわかった。無藤さんのクールなイメージとは違って、とても可愛らしい部屋だ。
部屋の様子を見た後、ゆっくりと無藤さんのベッドに近づくと、「すぅすぅ」と可愛らしい寝息を立てて眠っている無藤さんの姿が目に入った。彼女の頬はほんのりと赤く、両手には大きなうさぎのぬいぐるみが抱えられていた。
部長はそんな無藤さんを見て優しく微笑む。
(ふふっ、むとーちゃん、可愛いな。……でも、ほっぺたが赤い。熱があるんだよね)
(そうですね)
(……ごめんね、むとーちゃん)
部長はそっと呟くと、無藤さんの頭を軽く撫でる。すると、無藤さんはにこっとして「ママ……?」という可愛らしい寝言を漏らした。無藤さんのそんな寝言を聞き、俺は思わず自分の胸をぐっと押さえる。か、可愛いすぎる……。
(ふふっ)
部長は無藤さんを見ながら再び優しく微笑むと、今度は俺の顔を見てくる。
(みっきー。うち、むとーちゃんが寝てるうちに差し入れ買ってくるね)
(あ、そういえば、差し入れ忘れてましたね。俺が買いに行ってきましょうか?)
(ううん。みっきーはむとーちゃんとこにいてあげて)
(わ、わかりました)
俺が困惑気味に返事をすると、部長は無藤さんの部屋をゆっくりと出ていった。その瞬間、無藤さんと二人きりになってしまったからか、より一層緊張感が増してきた。な、なんかドキドキする……。
緊張したままなんとなく無藤さんの部屋を再び見回すと、彼女の机の上に写真立てが置かれているのが見えた。なんの写真だろう?
近づいて写真立てを見てみると、ジャージ姿の生徒たちが楽しそうに笑っている写真が目に入った。
生徒たちの中には無藤さんの姿があり、お団子ヘアの女子と肩を組んで楽しそうに笑っていた。この子、無藤さんとほんとに仲が良さそうだ。着てるジャージがうちの高校のじゃないから、無藤さんが中学の頃の写真か。……でも、なんか見覚えのあるジャージな気がするなぁ。
「ぅう」
しばらく写真を見つめていると、いきなり無藤さんの呻き声がした。どうしたんだろうと思い、無藤さんの方に近づいていって顔を覗いてみると、彼女の口元に髪がかかっているのが見えた。
髪が口にかかってて気持ち悪いのかな……? そう思って無藤さんの口元にかかっている髪を手でそっとどかす。
——ガシッ
「え?」
髪をどかした瞬間、俺の手は無藤さんの手にがっちりと掴まれてしまった。俺は慌てて手を振り解こうとするが、彼女の力が強すぎて無理だった。
無藤さんは俺の手に頬をすりつけ、「……ふふ、冷たい」と嬉しそうに微笑む。そんな無藤さんの頬はほんのりと柔らかく、そして熱かった。
ど、どうしよう……。これ……。手を握られているのは恥ずかしくて、だんだんと顔が熱くなってきてしまう。
しばらくぎゅっと手を握られたままでいると、不意に無藤さんが可愛らしい笑みを浮かべるのが見えた。
「……並木先ぱ……次は……どこ、行きます……?」
そんな寝言をこぼす無藤さんはどこか楽しそうな表情をしている。無藤さん、どんな夢見てるんだろう……?
眠りながらも楽しそうにしている無藤さんを見て微笑んでいると、ふと彼女の瞼がうっすらと開くのが見えた。
「……無藤さん、起きたの?」
そう尋ねると、無藤さんはぱちっと目を開き、驚いたような表情をする。
「え? 私の部屋? なんで? 遊園地にいたはずなのに!」
無藤さんがあたふたしているのが可愛らしくて思わず「あははっ」という笑い声をこぼすと、彼女と目が合った。
「……え? 並木先輩? なんでいるんですか?」
「お見舞いに来たんだよ。無藤さんは遊園地にいる夢を見てたの?」
「えと、はい。並木先輩と手を繋いで遊園——」
無藤さんは途中で言葉を止め、「あっ!」という大きな声を出した。そして、熱で赤くなっている顔をさらに赤くし、俺の手をばっと離した。なぜかわからないけど、慌てているみたいだ。
「い、今のは忘れてください!」
無藤さんは大声でそう言うと、布団の中に潜り込んでしまった。
無藤さん、楽しそうに寝言言ってたけど、俺と手を繋いで遊園地にいる夢って相当な悪夢だよな……?
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