体育祭②

「続いての種目は借り人競争です」


 百メートル走決勝が終わった後、一種目挟み、俺の出場する「借り人競争」の時間になった。


 俺はレーンの後ろで待機しながら頭を抱えていた。ほんとに嫌だ。陰キャ……じゃない、人見知りの俺が借り人競争なんて……。誰も連れて来れなかったらどうしよう……。


「続いては二年男子のレースです。選手の皆さんはスタートラインに移動してください」


 沈んだ気持ちでいると、すぐに自分の番になってしまった。俺は「はぁ」とため息をつき、のろのろとスタートラインに移動する。


「位置について…………用意…………ドンッ!」


 しばらくしてスタートの合図が聞こえた。俺は走り出し、自レーンに置かれた紙を拾い上げる。その紙を裏返すと、そこには「他学年の可愛い女子」と書かれていた。


 他学年の可愛い女子……? これ、結構ハードル高くないか……? 一瞬、そんなことを思うが、すぐにお題に当てはまりそうな人が頭に浮かんだ。それはもちろん、無藤さんだった。


 無藤さんは俺よりで、たまに見せるギャップがとても。「他学年の可愛い女子」というお題にぴったりだ。


 一年生の応援席まで駆けていくと、無藤さんはすぐに見つかった。彼女は俺と目が合うと、気を利かせて応援席の前の方に来てくれた。


「私がお題に当てはまるんですか?」


 無藤さんは軽く首を傾げながらそう尋ねてきた。俺は彼女に「うん」と答えようとするが、その瞬間、百メートル走後にクラスメイトたちが彼女のことを「美人」「綺麗」と言っていたのを思い出し、不安が湧いてくる。


 やっぱり無藤さんじゃ「可愛い女子」に該当しないって言われるかも……。……でも、他に誰が……?


 そんなことを考え、頭を抱え始めると、すぐに部長の顔が頭に浮かんだ。……あっ! そうだ、部長にしよう! クラスの男子も可愛いって言ってたし。


「ごめん。やっぱ無藤さんは違った」


「え……?」


 俺はやや困惑した様子の無藤さんに背を向けると、三年生の応援席に向かって駆け出した。


 部長のいる三年一組の応援席はかなり近くにあり、十数秒で着くことができた。きょろきょろと辺りを見回すと、目の前に部長がいるのがわかった。彼女は苗字があ行なので、ちょうど最前列にいたのだ。


「部長、ちょっと来てください」


 俺は部長の顔を見てそう告げる。


「え、うち……? わ、わかった!」


 部長は一瞬困惑したような表情をした後、キリッとした表情で頷いてくれた。俺は彼女の手を引き、ゴールに向かって走り出す。少ししてゴールに辿り着くと、マイクを持った実行委員にお題の紙を見せる。


「三組さん、二着でゴールです! お題は……『他学年の可愛い女子』ですね! オッケーです!」


 実行委員がそうアナウンスすると、部長はとても驚いたような表情をする。


「みっきー、うちのこと、可愛いと思ってくれてるの?」


「え……? まあ、そうですね」


 俺が頭を掻きながら肯定すると、部長は満面の笑みを浮かべ、「嬉しい!」と言った。


 俺は嬉しそうに笑う部長の姿を見て微笑む。部長、すごく喜んでくれてるし、無事に二着でゴールもできたし、よかった! 借り人競争、不安だったけど、大成功じゃないか……?


 ◇


 約一時間半後、体育祭が終わり、片付けの時間になった。


 ボランティア部はテントの片付けを手伝うことになっているので、俺はテントの方に向かっていた。


 早く帰りたいのになぁ……。そう思いながらとぼとぼ歩いていると、無藤さんがたくさんの人に囲まれているのが目に入った。


 無藤さんは百メートル走で伝説に残りそうなほどの走りをしていたので、みんなに称賛されているのだと思う。しかし、無藤さんはクールな笑みを浮かべながらも、どこか暗い表情をしているように見えた。無藤さん、どうしたんだろう……?


 無藤さんの様子が気になり、声をかけたくなってくるが、今は人に囲まれているので、とりあえずは諦めることにした。


 しかし、その後も無藤さんはずっと誰かしらに声をかけられていて、結局、俺は片付け中に彼女に話しかけることはできなかった。


 片付けの後、俺は家に帰るため、学校の最寄駅に向かって歩き始めた。


 無藤さん、どうして元気なかったんだろう……? 無藤さんを気がかりに思いながらゆっくり歩いていると、不意に一人で歩いている彼女の姿が目に入った。


「無藤さん!」


 俺は無藤さんの方に向かって駆け出し、そう呼びかける。すると、彼女はどこか浮かない表情で俺の方を見る。


「並木先輩、どうしたんですか……?」


「えっと、無藤さんの元気がないのがちょっと気になって……」


「え? ……わ、私は元気ですよ。ほら」


 無藤さんはそう言ってぎこちない笑顔を浮かべる。しかし、すぐに暗い表情に戻ってしまう。


「無藤さん、やっぱり元気ないじゃん。……もしかして俺のせいだったりする?」


 無藤さんの元気がない理由がわからず、何気なくそう尋ねてみると、彼女は俺から不自然に目を逸らす。


「……え? 俺、何かしちゃった?」


「……な、何もされてません。じゃあ、私はもう帰るので」


「ま、待って!」


 無藤さんが俺に背を向け、そのまま帰ろうとするので、俺は彼女の肩を掴み、その場に留める。


「……無藤さん、ごめん。俺が何をしちゃったかだけでも教えてくれないかな……?」


「……並木先輩は別に何もしてませんよ。……ただ、私が可愛くないという事実を言ったまでなんですから」


「え?」


 俺、そんなこと言ってないんだけど……? 俺は無藤さんの発言の意味がわからず、首を傾げる。しかし、すぐに見当がついた。


 ——あっ、もしかして借り人競争の時の。


 借り人競争の時、俺は無藤さんの「私がお題に当てはまるんですか?」という質問に「やっぱ無藤さんは違った」と答えた。その後、実行委員によって俺のお題が「他学年の可愛い女子」だと明かされた。


 つまり、俺は「無藤さんは可愛い女子ではない」と言ったも同然だった。


 無藤さんは草むしりの時にどこか拗ねた様子で「私、可愛くない女なので」と言っていたので、借り人競争での俺の発言は彼女のコンプレックスを刺激してしまったのかもしれない。


 そう思った途端、一気に罪悪感が押し寄せてきて、俺は無藤さんに深く頭を下げる。


「ごめん、無藤さん! そんな意図は全然なくて! それに、無藤さんが可愛くないっていうのは事実じゃないから」


「う、嘘はやめてください」


「嘘じゃないって!」


 俺は大きな声で無藤さんの言葉を否定すると、彼女の誤解を解くため、震えた声でゆっくりと話し始める。


「だ、だって俺……む、無藤さんのこと……か、可愛いと思ってるし……」


 俺がそんな恥ずかしい言葉を吐くと、無藤さんはゆっくりと振り返り、じっと俺の目を見つめてくる。


「ほ、ほんとですか?」


「……ほ、ほんとだよ」


 俺が無藤さんの目を見てそう言うと、彼女は少しだけ表情を明るくする。


「……並木先輩、私のことを可愛いと思ってくれてるんですか?」


「……う、うん」


 俺が頷くと、無藤さんはさらに表情を明るくする。そして、一瞬下を向いた後、躊躇いがちに俺の顔を見つめてくる。


「……じゃ、じゃあ、具体的にはどんなところを?」


「え……? それ、言わなきゃダメ?」


「お願いします」


 無藤さんがきっぱりとそう言ってくるので、俺は仕方なく彼女の質問に対する答えを話し始める。


「……無藤さんって、たまにあたふたしたり、赤面したりするよね? そんな風にギャップを見せてくれるところ……です」


 俺が顔を熱くしながら無藤さんの可愛いところを話すと、無藤さんも恥ずかしそうに顔を赤くする。


「……な、な、なんですかそれ!」


 無藤さんは怒ったような声でそう言ってきた。しかし、その数秒後、彼女は「コホンッ」と咳払いをし、顔を赤くしたまま上目遣いをしてくる。


「……でも、並木先輩はそれをと思ってくれてるんですね?」


「う、うん」


 俺は無藤さんの質問を肯定するのが恥ずかしくて、少し下を向きながらそう答えた。すると、無藤さんは顔を真っ赤にしてそっと話し始める。


「あ、ありがとうございます……。……あ、あの、並木先輩。も、もう一つ聞いてもいいですか……?」


 無藤さんは躊躇いがちにそう尋ねてくる。


「え? なに?」


「並木先輩から見て私は優しいですか?」


「え……? 優しいと思うけど……」


 無藤さんの質問の意図がわからなくて、俺は困惑気味にそう答える。その瞬間、彼女は表情をぱっと明るくし、俺の方に身を乗り出す。


「そ、そうなんですねっ! じゃあ私、並木先輩にとって『優しくて可愛い人』なんですね?」


「え……? まあ、そうなるけど……。なんでそんなに嬉しそうなの?」


「並木先輩には秘密です!」


 無藤さんは唇に人差し指を当ててそう言うと、あどけない笑顔を見せた。そして、俺に向かって勢いよく手を振ってくる。


「並木先輩、さようなら!」


「うん、またね」


 俺が挨拶を返すと、無藤さんは嬉しそうに大きく頷き、駅に向かって駆けていった。


 無藤さん、元気になってよかった。それに、さっきの笑顔、ほんとに可愛いかった……。


 俺は無藤さんの元気そうな姿に安心すると、再び歩き始めるのだった。

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