可愛くない女?

 六月初週の水曜日。


 放課後の今、俺は校舎裏にいた。ボランティア部の活動で部長と無藤さんと草むしりをしているのだ。


 初夏の日差しが照りつけるなか、すでに三十分ほど作業を続けているので、体中からは汗が出てきている。


「……あっついなぁ」


 そんな呟きをこぼしながら額の汗を拭った後、軍手をはめた手で草を引っこ抜く。その瞬間、青臭い匂いが漂ってきて、不快な気分になる。


「はぁ……」


 草むしりなんてもうやめたい。暑い、青臭い、体勢がキツいのトリプルパンチだし。


 ——って、あれ?


 草むしりを面倒くさく思った直後、さっきまで俺の近くで作業をしていた無藤さんがいなくなっていることに気づいた。どこ行ったんだ……?


 不思議に思って辺りを見ると、木の陰に隠れながら何かをじっと見ている無藤さんの背中が目に入った。無藤さん、何見てるんだろう?


 無藤さんの近くまで行き、彼女と同じように木の向こう側を覗いてみると、男子と女子が少し距離を取って向かい合っているのが見えた。


 男子は顔を真っ赤にしていて、女子は少し照れているような様子だ。雰囲気からして男子が女子に告白しているみたいだ。……青春って感じがするなぁ。俺と違って輝いて見える。


 そう思った直後、無藤さんの「いいなぁ……」という呟きが聞こえてきた。気になってそっと顔を覗いてみると、彼女が目を輝かせているのがわかった。無藤さん、なんか羨ましそうにしてるけど、告白なんていっぱいされてるんじゃ……?


 しばらくすると、告白が成功したのか、男子と女子は仲睦まじげな様子でどこかへ歩いていった。そのタイミングで無藤さんと目が合った。彼女は俺がいるのに気づいていなかったのか、少し驚いたような表情をする。


「え? 並木先輩?」


「何見てるのかと思ったら、告白現場だったんだね」


 俺がそう言うと、無藤さんは少し俯きながら小さい声で話し始める。


「えっと……はい。……見ているのはよくないと思ったんですが、ちょっと気になってしまって……」


 無藤さんはきまり悪そうな顔をしている。彼女は真面目なので、こっそり告白現場を見ていたことに気が咎めるみたいだ。


「……ところで、無藤さんってしょっちゅう告白されてるよね?」


 無藤さんが告白の様子を羨ましそうに見ていたのがさっきから気になっていたので、彼女にそう尋ねてみる。


「え? そんなことは一度もありませんが」


「だよね。じゃあ、なんで『いいなぁ……』って——え!?」


 俺は無藤さんがさっきの質問を当然肯定するものと思っていたのでそのていで話を進めていたが、途中で自分の勘違いに気づき、驚いて変な声が出た。


「い、今、一度もないって言った?」


「はい」


 無藤さんは真顔で頷く。信じがたいことだけど、無藤さんが告白をされたことがないというのは本当のことらしい。……でも、そうか。無藤さんって美人すぎるから告白するのにはビビっちゃうのかもなぁ。


「なんでそんなに驚くんですか?」


「いや、無藤さん、よく告白されてるんだろうなと思ってたから」


 俺がそう言うと、無藤さんは「はぁ」とため息をつき、少しだけ顔を険しくする。


「私なんかが告白されるわけないじゃないですか。私、可愛くない女なので」


 無藤さんは淡々とした口調でそう言うが、どこか拗ねたような表情をしている。


 拗ねて見える無藤さんは少し可愛らしいが、俺には無藤さんの「可愛くない女」という言葉が引っかかる。その言葉は、無藤さんを可愛く思うことがよくある俺には違和感が大きかった。


「可愛くない女って、誰かに言われたの?」


「別に言われてませんけど、美人とか綺麗とかしか言われないので、そうなんじゃないかと」


「あー、それで可愛くない女って……」


 一瞬、「無藤さんは可愛いと思うけど」と言いそうになったが、そんな浮ついたセリフを吐くのは恥ずかしいので、やめておいた。


 ……でも、可愛いって言われなくても、美人、綺麗って言われるだけいいと思うんだけどなぁ。


「あ、二人ともこんなとこにいた!」


 木の近くに立ったまま無藤さんの方を見ていると、満面の笑みを浮かべた部長が両手に何かを包みながら近づいてきた。


「部長、大事そうに何を持ってるんですか?」


 俺がそう尋ねると、部長はゆっくりと両掌を開いた。そこには小さいバッタが乗っかっていた。


「見て見て! 可愛いバッタちゃんがいたの!」


 部長は嬉しそうにそう言って俺の方に掌を近づけてくる。


「こんなに小さいバッタ、よく見つけましたね」


「うん! たまたまね! むとーちゃんも見て見て!」


 部長は明るく笑いながら今度は無藤さんの方に掌を近づける。その瞬間、無藤さんは顔を引き攣らせ、少し後退りをする。


「わ、私はいいです!」


「え? あー! もしかしてむとーちゃん、虫苦——あっ!」


 部長が話している途中でバッタが飛び跳ね、無藤さんの着ている体操着にひっついた。


 その瞬間、無藤さんは「ひっ!?」という悲鳴を上げ、顔を真っ青にする。そして、慌てた様子で体操着を払い始める。


 少ししてバッタがぽとりと無藤さんの靴の上に落ちると、彼女は靴を脱ぎ捨て、片足跳びで後退りしていく。しかし、その途中で頭を木にぶつけ、「きゃあっ!」と悲鳴を上げた。


 そんな無藤さんの姿はあまりにもダサく、なんとも言えない感情が湧いてくる。部長も唖然としたような表情をしている。


「「「…………」」」


 三人の間にはなぜか沈黙が流れ、木にもたれる無藤さんは少しずつ顔を赤くしていった。


「……あははっ」


 恥ずかしそうにしている無藤さんの様子を見ていると、思わず笑い声が漏れてしまった。俺の笑い声につられてか、部長も「ふふっ!」という笑い声をこぼす。すると、無藤さんは恥ずかしそうにぷるぷると震え始める。


「むとーちゃん、すごい慌てようだったね!」


 部長がそんなとどめの一言を言うと、無藤さんは一気に顔を真っ赤にした。そして、恥ずかしさに居た堪れなくなったのか、両手でばっと顔を覆った。


「…………ゔぅ」


 無藤さんは顔を隠しながらそんな呻き声をこぼす。恥ずかしさに悶える無藤さんの姿は可愛らしく、俺は思わず笑みを浮かべる。


 無藤さんは自分のこと「可愛くない女」だって言ってたけど、やっぱりほんとは可愛いんだよなぁ。


 ◇


 草むしりに戻り、しばらくすると、俺のすぐ横で作業をする部長が顔を覗いてくる。


「……ねぇ、みっきー。そういえば、さっき木のとこにいたのはなんで?」


「あー、告白現場を見てたんですよ」


「へぇ〜、そうなんだ! みっきー、そういうの興味あるの?」


「いえ、まったく。縁のない話ですし」


「そう? でも、好きなタイプくらいあるんじゃない?」


 部長は興味津々といった様子で俺の顔を見つめてくる。やや遠くで作業していた無藤さんもなぜか手を止め、じっと俺の顔を見つめてくる。俺はなんとなく気まずさを感じながらも話し始める。


「……強いて言えばですが、優しくて……可愛い人ですかね?」


 「可愛い人」と言った瞬間、無藤さんが悲しそうな表情をしたように見えた。それが気になりつつもとりあえず話し終えると、部長が嬉しそうに「なるほど!」と言って、俺の耳元に顔を近づけてくる。


(むとーちゃんみたいな子ってことだね!)


「え? ……あー、無藤さんも一応は当てはまりますね」


「うんうん!」


 部長は俺の顔を見て満足そうに大きく頷くと、今度は無藤さんの方を見る。


「ねぇ、むとーちゃんの好きなタイプは?」


「え? 私ですか?」


 無藤さんはやや驚いた様子を見せた後、一瞬だけちらっと俺の方を見る。そして、もじもじしながら話し始める。


「……わ、私は……え、笑顔が素敵な人です」


 無藤さん、なんで一瞬俺の方見たんだ……?


「やっぱりか!」


 無藤さんの様子を不思議に思っていると、部長は明るくそう言って、無藤さんの方に近づいていく。そして、彼女にそっと何かを耳打ちした。その瞬間、無藤さんは顔を真っ赤にする。


「ち、違います!」


 無藤さんはいきなり大声を出すと、部長に背を向け、ものすごい勢いでブチブチと草をむしり始めた。部長はそんな無藤さんを見ながら優しく微笑んでいる。


 無藤さんの好きなタイプ、笑顔が素敵な人なのか……。まあ、いずれにしろ、無藤さんが好きになる人はさぞすごい人なんだろうなぁ。


 草刈り機に負けず劣らずの速さで草を一掃していく無藤さんを見ながら、俺はそんなことを思うのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る