心臓に悪い
……え? な、なんか、背中に……。
無藤さんを背負いながら学校に続く道を歩いていると、彼女が突然ぎゅっとしがみついてきたかと思うと、背中にうっすらと柔らかいものが当たる感覚がした。そんな感覚に自然と鼓動が速くなる。
「えっと、無藤さん? なんで急にくっついてくるの?」
「こうした方が軽いと思って」
「そ、そうだけど、当たってる……」
「え? 何か当たってますか?」
無藤さんは、俺が何を言っているのかまったくわからないという声色で尋ねてくる。胸当たってるの気づいてない感じか。無藤さん、ちょっと天然なんだよな……。
「いや、なんでもない」
まあ、無藤さんぐらいのサイズなら大丈夫か。部長だったらやばかったけど……。そんなことを思った瞬間、背中の方から強烈な殺気が飛んできた。
「……並木先輩、なにか失礼なこと考えてません?」
無藤さんが威圧感のこもった低い声でそう尋ねてくるので、俺はさっきとは違う意味でドキドキしてくる。
「い、いや、全然!」
「本当ですか?」
「う、うん」
……無藤さん、胸が当たってるのには気づかないけど、そういうのには気づくのか。俺はそんなことを考えつつ、落ち着こうと呼吸を整える。
「……そういえば無藤さん、部室では勝手に頭撫でてごめん。嫌だったよね?」
しばらくして落ち着きを取り戻した俺は、無藤さんにそう声をかける。
「…………べ、別に……嫌では……」
無藤さんは少し沈黙した後、消え入るような声で意外すぎる返答をしてきた。
「え? そうなの?」
驚いてそう聞き返すと、無藤さんが再び小声で話し始める。
「は、はい。……嫌というよりはむしろ——……」
「ん? むしろ……?」
「えと、その、なんでもないです!!」
無藤さんはさっきの小さな声とは対照的なうわずった大きな声を出した。なぜかわからないが、慌てているらしい。
「……まあ、嫌じゃないならよかった。……でも、頭撫でてから俺のこと避けてたのはどうして?」
「……さ、避けるつもりはなかったのですが、ただ、その…………そういうことされたことがなかったので、恥ずかしくて」
「あっ、あー、そういうことか……」
俺、かなりやらかしてたみたいだな……。確かに、女子の頭いきなり撫でるとかありえないよな……。そう思った瞬間、罪悪感が湧いてくる。
「ほんと、変なことしてごめん! 無藤さんの怪我もそのせいだし」
「いえ、怪我は並木先輩のせいではないです。私が勝手に焦って怪我しただけなので」
無藤さんは淡々とそう話すが、俺は納得がいかず、思わず「うーん」という唸り声をこぼす。
「……まあとにかく、また怪我してもよくないし、頭撫でるとかそういう変なことはもう絶対しないから!」
「え……? ……こ、今度は怪我しないようにするので!」
無藤さんは俺の宣言に対して、必死さを感じさせるような口調でよくわからないことを言ってきた。
「ん? それはどういう——」
「あっ! えと、なんでもないです!」
「そ、そう?」
俺は無藤さんの大声に戸惑いながらもそんな相槌を打つ。……今日の無藤さんはクールさのかけらもないな。
◇
しばらくして保健室に着くと、養護の先生にベッドまで案内された。
ベッドのそばまで行くと、無藤さんが耳元でお礼の言葉を囁いてくる。
(並木先輩、ありがとうございました)
「——っ! ……どっ、どういたしまして」
無藤さんの囁き声に耳をくすぐられ、鳥肌が立ってしまったが、俺はなんとかそう返事をし、彼女をベッドに降ろす。……びっくりした。いつもより可愛い声だったから余計にぞわっときた。
俺は速くなった鼓動を感じつつベッドから少し離れると、部長に連絡を入れるため、スマホを取り出す。
「……え?」
三人のグループトークを見た瞬間、思わずそんな声を漏らしてしまった。グループには部長が今日撮った俺の笑顔の写真が送られてきていたのだ。部長、なんで俺の写真、グループに送ってんの? 俺個人に送ればいいのに……。
部長の行動には頭を抱えるが、とりあえず捻挫した無藤さんを保健室まで送ったことを連絡しておいた。
その後、何気なく無藤さんの方に視線を向けると、彼女が靴下を脱いだ右足を上げながら養護の先生に患部を見せているのが目に入った。
——うわっ!
俺は無藤さんの生足にびっくりして心の中でそんな叫び声を上げると、急いでスマホに視線を戻す。俺の鼓動は再び激しくなってしまった。無藤さんの足、めっちゃ白くてつやつやしてた……。おんぶと囁きもそうだけど、ほんと心臓に悪い……。
呼吸を整えながらスマホをいじっていると、すぐに部長からメッセージが届く。彼女のメッセージには「むとーちゃん大丈夫? 今日はもう部活終わりにしちゃおうか。みっきーは片付け手伝って!」と書かれていた。
俺は「わかりました」と返信すると、ベッドの方を見ないように気をつけながら無藤さんに声をかける。
「無藤さん、俺は片付けに行ってくるね」
「あ、はい……」
無藤さんの声はなんとなく寂しそうに聞こえたが、多分勘違いだろうと思い、俺はそのまま保健室をあとにした。
◇
学校を出て無藤さんが足を挫いた辺りまで行くと、部長が俺と無藤さんの箒を拾ってくれているのが目に入った。彼女の近くには塵取りやごみ袋が置かれており、彼女がすでに片付けを進めてくれているのがわかる。
「部長」
俺が部長の近くに駆け寄り、そう呼びかけると、彼女はばっと俺の方を見る。
「あ、みっきー! むとーちゃんの足はどう?」
「えっと……めっちゃ白くてつやつやしてました」
俺がそう答えると、部長は怪訝そうな表情を向けてくる。
「え? 白くてつやつや? ……みっきー、何言ってるの?」
「あっ……!」
部長の言葉を聞いて変なことを口走っていたということに気づき、顔が一気に熱くなった。さっきのが衝撃的すぎて変なこと言っちゃってた。恥ずっ……。
「……無藤さん、かなり痛そうにしてました」
気を取り直してそう伝えると、部長はとても心配そうな表情をする。
「そっか。可哀想だな……。みっきー、早く片付けしてむとーちゃんのとこ行こ!」
「はい」
俺は部長に返事をすると、近くに置かれた掃除道具を持ち、彼女と一緒に部室に向かって駆け出した。
◇
「あ、無藤さん」
「むとーちゃん!」
掃除道具を片付け、部室から帰りの荷物を持って保健室前まで行くと、ちょうど中から無藤さんが出てきた。彼女は患部を庇って歩いており、申し訳なさそうな表情をしている。
「部長、すいません。掃除の途中で抜けてしまって……」
「そんなの気にしないで! 足は大丈夫? 歩くと痛い?」
「軽い捻挫みたいです。歩くと痛みますが、固定してもらってだいぶ楽になりました」
無藤さん、重症じゃないみたいでよかった……。そう思い、ほっと息を吐くと、部長も安心したような表情をしているのが見えた。
「あぁ、よかったぁ。……むとーちゃんはこのまま帰る感じ?」
「はい、とりあえずは帰ります」
「じゃ、うちらが家まで送るよ!」
部長が明るい笑顔でそう提案すると、無藤さんは首を横に振る。
「いえ、そこまでしてもらわなくて結構です」
「むとーちゃん、うちらは最初からそのつもりで来たから気にしないで! ねっ、みっきー?」
部長はそう言って俺の方にちらっと目をやる。保健室に行くまでの会話のなかで、部長は「むとーちゃんが心配だから家まで送ってあげよう」という提案をしてきていて、俺はそれを了承していた。
「はい、部長」
「うんうん! それに、みんなで帰った方が楽しいよ?」
部長が満面の笑みでそう言うと、無藤さんは困ったように微笑み、ゆっくりと頷く。
「……わかりました」
「じゃ、むとーちゃん、うちが肩貸したげるね」
部長は優しく微笑み、無藤さんに肩を貸そうとする。しかし、無藤さんは再び首を横に振る。
「大丈夫ですよ。一人で歩けますから」
「でも、痛くない方がいいじゃん?」
部長はそう言うと、無藤さんの肩を持ち上げようとする。しかし、無藤さんとの身長差が合わず、なかなか上手くいかない。
「ごめん、みっきー! うちの代わりにむとーちゃんに肩貸したげて!」
「「え?」 」
俺と無藤さんが同時にそんな声をこぼすと、部長は不思議そうに首を傾げる。
「二人ともどしたの?」
……まあ、さっきおんぶもしたし、別に恥ずかしがることないか。
「なんでもないです。部長、無藤さんの荷物お願いします」
「うん!」
俺は持っていた無藤さんの荷物を部長に渡し、無藤さんにゆっくりと肩を貸す。その瞬間、無藤さんは頬をぽっと赤く染める。そんな顔されたらこっちまで照れるんだけど……。
「そういえば部長。なんで俺の写真、グループに送ったんですか?」
俺は恥ずかしさを紛らわせるため、隣を歩く部長にそんな質問をぶつけてみる。
「えへへっ! いい笑顔だったからむとーちゃんにも見せたげたくて! むとーちゃんはもう見てくれた?」
「いえ、まだ見てません。並木先輩の笑顔の写真なんですか?」
「そうだよ!」
部長が明るくそう言った直後、無藤さんは「…………やったぁ……」というとても小さな独り言をこぼした。
「無藤さん、『やったぁ』って言った?」
そう尋ねると、無藤さんは頬を赤くして俯き、黙り込んでしまった。
やっぱり無藤さん、俺の笑顔見たがってるんだよな。ほんと、なんでなんだろう?
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