俺の笑顔

「おい、邪魔すんな!」


「うわっ!」


 金髪のお兄さんがいきなり肩を小突いてきたので、驚いて思わずそんな声が出た。その直後、彼は俺の胸ぐらを掴み、顔を近づけながら鋭く睨みつけてくる。


「クソガキ、ぶっ飛ばすぞ!」


 胸ぐらを掴まれていることとそんな怒鳴り声を浴びせられたことに恐怖心が増し、思わず目を瞑ってしまう。でも、何もしないと大変なことになりそうなので、どうにかしようと必死に思考を巡らせる。


 …………あ、そうだ! シンプルに大声を出せば……!


「ぼ、募金、お願いしまーーすっ!」


 思いつくがままに精一杯の大声を出してみた。その直後、金髪のお兄さんが耳を塞ぎ、通行人たちが一斉に俺の方を見るのがわかった。


 金髪のお兄さんは周囲に目をやると、「チッ」と舌打ちをして腹立たしそうにその場を去っていった。


 た、助かったぁ……。緊急事態を脱せたことに安心し、俺はその場にがくっとへたり込む。その数秒後、目の前に無藤さんがしゃがみ込んでくる。


「並木先輩、本当にありがとうございました。大丈夫ですか……?」


 無藤さんは目を潤ませながら心配そうにそう尋ねてきた。そんな彼女の姿はいつもと違ってか弱く見え、なんとも可愛らしい。


「うん、大丈夫。……もしかして怖かった?」


「こ、怖くなんかないです……! ただ並木先輩が怪我をしたらどうしようかと……。本当に怪我はないんですよね?」


「……うん」


 「さっき無藤さんは背中ぶん殴ってきたけどね」と言いたくなったが、とても心配そうにしてくれているので、そんなことは言えるはずがなく、そう返事をするにとどめた。


「…………よかったぁ……」


 怪我がないことを伝えると、無藤さんは胸を押さえながらほっとしたような表情をする。


 その直後、彼女の瞳からはほろりと一滴の涙がこぼれた。少し大げさな反応な気もするけど、そんな反応も彼女が優しい証拠だと思う。


「……はい、並木先輩」


 無藤さんは涙を拭って立ち上がると、俺にさっと右手を差し伸べてくる。俺を起こしてくれようとしているみたいだ。


 俺がそっと手を掴むと、彼女は俺を引っ張り起こそうとしてくれる。でも、俺の体はなかなか持ち上がらない。あれ……? なんか腰に力が入らない……?


 腰に違和感がありつつも、右腕に力を入れ、無理やり立ち上がろうとする。しかし、その瞬間、力が入り過ぎてしまったのか、無藤さんが前に倒れてくる。


「きゃあっ!」


「あっ!」


 俺は倒れてくる無藤さんに咄嗟に右腕を伸ばし、前から肩を抱く形で彼女を支えた。あ、危なかったぁ……。


 ————ん?


 無藤さんの転倒を防げたことに安心すると、急に自分の感覚に意識が向いた。彼女の肩を掴んでいる右の掌からは彼女の肩の細さが直接的に感じられ、顔の周りは彼女の石鹸のような爽やかな香りに包まれていた。


 無藤さん、思ったよりも華奢なんだ……。それに、なんかめっちゃいい匂いする……。ぼーっとそんなことを思っていると、ふと腕の重みが軽くなるのが感じられ、無藤さんが起き上がったのが見えた。


 無藤さんは俺が掴んでいた方の肩を触りながら少しだけ俯き、頬を赤くしていた。おぉ、恥じらっててなんかエ——……じゃない、いつもとのギャップを感じるな。


「……無藤さんごめん。なんか腰が抜けたみたい」


「じゃ、じゃあ、先にそう言ってください!」


 無藤さんは怒鳴り声を上げると、俺からばっと顔を背けた。どうやら怒らせてしまったらしい。


「…………でも、支えてくれてありがとうございます」


 怒らせたかと思っていたら、無藤さんがか細い声でお礼を言うのが聞こえてきた。そっぽを向いたままお礼を言う彼女はなんとも可愛らしい。……無藤さん、もしかしてツンデレなのかな……?


 しばらく無藤さんの様子を眺めていると、いつの間にか腰に力が入るようになっていた。俺がゆっくり立ち上がると、無藤さんは俺の顔を見てくる。そんな彼女の表情はいつものクールな表情に戻っていた。


「もう大丈夫なんですね。じゃあ、再開しましょう」


「うん。……まあ、俺のとこには誰も来ないと思うけど」


 俺がそんな弱音を吐くと、無藤さんは微かな笑みを浮かべる。


「あんなに大きな声が出せるなら目立ちますし、一人くらいは募金してくれるんじゃないですか?」


「はは、ありがとね」


 俺が無藤さんのやや毒がこもった励ましにお礼を言うと、彼女は一瞬だけ体を強張らせ、頬をほんのりと赤くした。そして、そそくさと持ち場に戻っていった。


 俺はゆっくりと無藤さんの隣に並ぶ。そして、彼女の横顔をちらっと覗き、首を傾げる。無藤さん、俺がお礼を言うといつもこんな感じになるのはなんでなんだろう?


 ◇


 約一時間後、募金活動が終わり、俺と無藤さんは学校に向かって歩き始めた。結局、俺の募金箱に募金してくれた人はおらず、俺は悲しみに暮れていた。


「誰も俺の方に来てくれなかった……」


 二人以上で来てくれた人たちも無藤さんの方に募金していた。無藤さんが美人すぎるから当然かもしれないけど、なんか釈然としない。


「声は出ていましたが、並木先輩は笑顔がぎこちなかったからかもしれませんね」


「無藤さんが目立ちすぎてたからじゃ……?」


「いえ、笑顔の問題だと思います」


「そうかなぁ……? ……でも、笑顔って難しいんだよなぁ」


 俺がそう言うと、無藤さんは不思議そうな顔で見つめてくる。


「そうですか? 並木先輩はお礼を言う時のような感じで笑えばいいだけなのでは?」


「え? どういうこと?」


「並木先輩、お礼を言う時にいつも笑ってますよね? あの笑顔です」


「え? お礼を言う時に笑ってる? 俺が?」


「はい。……もしかして無意識だったんですか?」


「う、うん」


 無藤さんに意外なことを言われ、やや困惑してしまうが、彼女が言うのなら事実なのだろう。


「無藤さん、それってどんな感じの笑顔?」


 そんな質問を投げかけると、無藤さんは自分の顎に手をやって思案するような仕草をする。


「そうですね。なんて言うか、こう、とてもやさ——」


 無藤さんは話している途中で突然はっとしたような表情をし、口を閉じてしまった。


「え? やさ……?」


 続く言葉が気になって無藤さんの言葉を繰り返すと、彼女は頬を赤くして目を泳がせる。


「やさ……やさ、やさぐれた感じです!」


「え? それじゃ余計ダメじゃない?」


 俺がそうツッコミを入れると、無藤さんは俺から不自然に顔を背け、なぜかスカートのポケットに勢いよく手を突っ込む。


「と、とにかく! そんなに募金してもらいたいのなら……」


 無藤さんはそう言いながらポケットから財布を取り出し、百円玉を手に取る。そして、その百円玉を俺の募金箱に勢いよく入れてきた。


「私がしてあげますから!」


「……え? …………あ、ありがとう」


 無藤さんの突拍子のない行動にやや唖然としてしまったが、彼女なりの励ましだと気づくと、自然と感謝の言葉が口に出た。


 その直後、無藤さんは一瞬だけ体を強張らせ、頬をぽっと赤く染めた。あ、まただ。お礼言ったらなるやつ……。


「あっ! 今の笑顔です!」


 無藤さんは不審な様子を見せたすぐ後、俺の顔をばっと指差し、そう言ってきた。


 彼女の言葉を聞き、頬の感覚に意識が向くと、頬には少しだけ力が入っているような気がした。無藤さんが言った通り、お礼言う時の俺、ほんとに笑ってるんだ……。


 ————あ、もしかして。


 お礼を言う時に自分が笑っているというのを自覚した途端、そのことが、お礼後の無藤さんの妙な動きに関係している気がしてきた。


「無藤さんって、俺がお礼を言うと、体を固まらせて赤くなるよね。それは、その時に俺が笑ってるから?」


 無藤さんにそう尋ねてみると、彼女は目を大きく見開き、驚いたような表情をする。そして、みるみるうちに顔を真っ赤にした。


「え……? ち、ち、違いますよ!」


 無藤さんはうわずった声で俺の言葉を否定すると、急に早歩きになって俺のそばから離れていった。


 俺はだんだん遠くなっていく無藤さんの背中を見ながら首を傾げる。


 図星みたいだけど、俺の笑顔を見て赤くなるってどういうことなんだろう?

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