祈りの夜に

 散歩させられる犬になった気分だ。

 蛍火に釣られて街中を歩いていると、時折リディアの姿を見付ける。

 俺が追い付こうとすると走って逃げるが、遠くで振り返っては付いてきているのを確認し、また姿を隠す。


 いいさ、どうせ導く光は俺の傍らにあるんだ。


 路地を進み、また大通りを横切って、なんでこんな道があるんだって思える様な細道を抜け、廃屋の向こうに林をみた。頭の上まで伸びているそこをどうにか越えていくと、途端に景色が開ける。

 花畑だ。

 真っ白な花弁がちょうど開花を迎えており、中央に小さな祭壇を見付けた。


 おそらくは神官が祈りに使うルーナ神を祀ったものだ。

 神殿があちこちに設置しているのは知っているが、こんな所にもあったとは。


 蛍火がふっと空へ舞い上がる。

 綺麗な星空だった。

 月も、今日はよく映える。


 なんて思っていたら、人の気配が側面から駆け込んできて、俺はそれを避けもせずに受け止めた。いや、あんまりにも勢いを付けてくるものだから、一緒になって花畑へ転がった。

 しがみ付いて来たリディアが月明かりを背負いながら口付けてくる。

 俺も応じて舌を捻じ込んだ。

 いきなり来るとは思っていなかったのか、驚いた様子を見せたが、こちらの舌を舐め取り、吸い上げようとしてくる。


「っ、ぁ……っ」


 女の甘い香りがした。

 あっという間に腰元が臨戦態勢になって、そいつを言うかどうかって考えてる事を敏感に察したリディアが服を脱ぎ捨てる。


「いいのか、ルーナ神の前だぞ」

「彼女は慈愛の女神だけど、偏愛と狂乱を司る側面もあるの」


 取り出した俺のソイツに跨り、腰を落としてくる。

 そのなんとも言えない快楽を前に意識が塗り潰されそうになった。


 あぁ分かったよ。


 思って突き上げると、一際大きな声で鳴いた。

 何度も何度も繰り返し、やがてその瞬間が訪れると、リディアは俺へ全身を震わせながらしがみ付いてきて、また口付けをする。

 押し退けるように位置を入れ替え、今度は組み伏せ、それが終わったら後ろから、あるいは抱き上げて、花畑のど真ん中で獣みたいに絡み合う。


 まさしく偏愛と狂乱。


 汗だくになりながら何度も何度もリディアを求め、その身体を貪った。

 嬌声を挙げる彼女を責め立て、自身も頭が真っ白になるくらい腰を打ち付け、抱き締める。

 思えば腸を使ってなかった。

 被せて、中に出ない様にするアレだ。

 酔った勢いとはいえ拙いか。思って今更ながら今出そうになっているもんを引き抜こうとしたら、リディアが脚を回してきて動きを封じてきた。さっきからずっと奥と身体を痙攣させ、悲鳴みたいに喘いでやがる彼女が、背中に回した腕でぎゅうっとしがみ付いてくる。


 最後にはどちらの声かも分からないものを聞きながら、俺はリディアの中へ吐き出した。


 ぶっ倒れる。

 頭の中が焼き切れそうだ。

 荒い息のままそうしていると、先に復帰したらしいリディアの手が俺の髪を梳く。

 最高に柔らかな枕へ顔を埋めてしばらくその感触を受け入れた。そうしたら、入れたままのそれがまた力を取り戻して、身体を揺すり始める。

 気持ちが昂って限度を忘れていた。

 もう互いの境界すら曖昧に感じられる。

 身体のあちこちが痺れて、このまま死ぬんじゃないかって思った。

 それでも求めずにはいられず、何度も彼女の中へ注ぎ込んでいく。


 下手すりゃ、出来ちまうんじゃないかって思うくらいに重ね、徐々にそれでもいいかなんて思い始めた頃。


「リディア」

「ロンド」


 行為を始めて以来、初めて互いの名を呼んだ。

 甘く響く声が頭を痺れさせる。


 グロースの野郎が結婚だなんだ言い出すからだ、なんかこう、意識しちまってる。


 けど俺達は冒険者だからな。

 我在りと叫んで踏み出した、命知らずの大馬鹿共だ。


 彼女とそうなっていく未来を妄想しないでもないが、もうちょっとだけ夢を見ていたくもある。

 万年シルバーの俺に何が出来るんだって話でもあるんだけどよ。


 この、強くて弱い、脆くて強靭な、一人の女を抱き留める為にも、な。


『―――――』


 お互いに何かを言ったような気がする。

 言葉にはなっていないのにそう感じた。

 言葉にしたいって、身体が震えてる。

 けど駄目だ。

 そいつを口にしてしまうと駄目なんだと思った。


 だから俺達は、口付けと共にその想いを相手の中へ流し込み、流し込まれて、腑に落ちていった。


 今はまだ、な。


    ※   ※   ※


 女神も思わず赤面するような痴態を晒しまくった後で、近くの湧き水で身を清めて、適当に服を引っ掛けて花畑へ寝転がった。


 ちょうど、ヤってた場所の風上に来てるんだが、それでも匂いが漂ってくる。

 久しぶりだったとはいえ、少々気合が入り過ぎたか。


 まあでも、満足だ。

 これ以上無いくらいすっからかんになった。


「いつか私も捨てられるのかな」


 通り過ぎていった風を追い掛けるみたいにリディアが言う。


「捨てるも何も、拾った覚えはないんだが」

 白々しいか?

 いや、でもその通りだ。

「俺もお前もちゃんと自立して、たまに寄り掛かったり寄り掛かられたりしてるだけだ。その……はっきりした関係を求められてるんなら、俺もちゃんとは考えるつもりだが」


 その場合、やっぱり冒険者は続けられなくなりそうだ。


 俺達はいつ死ぬかも分からない。

 パーティ内の恋愛は厳禁だが、じゃあ外であればいいのかと言われると、前に聞いたリディアの言葉を思い出す。


「……そうだな。この歳になって、俺も人の死が堪えるようになってきた。昔からそうだが、割り切ったつもりで割り切れていない。ディトレインが死んだ。ニクスが死んだ。守り切れなかったことが悔しい。その場に居られなかったことが悔しい。力が足りない。だったらもう、止めるしかなくなる」


 この繋がりが決定的なものになってしまえば、不安は一気に俺を歪めていく気がする。

 命を張るのが怖くなる。

 守るべき仲間の為に身体を張るのが仕事なのに、死が怖くて躊躇して、また目の前で誰かが死んでしまったら、もう彼女に触れる事すら出来なくなる気がする。


「アリエルとの事、話してもいいか」


 ギルドでは話すのを拒否したことだ。

 けど、改めて聞いてみて欲しくなった。


「……うん」

「結末だけを言うとな、アイツが毎度ボロボロになって帰ってくる俺を待つのに耐えられなくなった。冒険者を辞めて、町で労働者として普通に働けって言われた。そういう……我儘を何一つ言えない奴だったから、俺には遠慮するなって……言ってあってな」


 だけど俺は冒険者を辞められなかった。

 まだ若かったってのもある。

 自分の可能性を試したかったし、ちょうどパーティの恩恵に与かってゴールドランクに初昇格した頃だったか。


「自分でこうしろと示して、そうなっていったアイツを俺は切り捨てた。二人揃って駄目になる気がした。ようやくお互い、やりたかった仕事が上手くいってきたんだからってさ。だけどやっぱり、独り善がりだったんだな」


 愚痴は愚痴として聞き流せるが、それでも結構堪えたんだ。

 トゥエリの事も、事情はどうあれ手を出したのは俺なんだから、責任を取るって道もあったんだと思う。


 それでも俺はまだ、冒険者を続けている。


「なあ、ギルドに駆け込んで、冒険者になった時のことを覚えてるか」


 俺もリディアも三十二だ、そりゃもう昔の記憶。

 だけど俺は今でもはっきりと思い出せる。


 手に入れたカッパーのランク章を一日中でも眺めていられた。所属したパーティの先輩に連れられて、武器や防具を買い揃えた。殆ど借金で、徐々に返していけばいいって言われたな。そうして武器を持てば、自分が一端の冒険者になったように感じられた。

 初めての戦闘では、敵へ肉薄することも出来ず勝手にすっ転んで槍を振り回していた。その様を何年も笑い話にされた。今は、もう、知ってる奴は殆ど生き残っちゃいないが。

 初めて敵を仕留めた時は、ずっと考えてた決め台詞を盛大に噛んだ。興奮し過ぎて、震え過ぎて、まともに喋れなかったんだ。

 先輩冒険者とこなした街中クエストで、依頼主からありがとうありがとうと何度も感謝された。面倒だ、退屈だ、つまらない、なんて散々愚痴ってた癖に、嬉しくなって酒場で別の冒険者に何度も自慢した。その後、街中で偶然再会した依頼主から声を掛けられ、ありもしない武勇伝をぶっては食事を奢って貰った。

 後輩が出来たら大喜びで俺の考えた最強育成方針を打ち立て鬱陶しいくらいに絡み続けた。はいはいと苦笑いして受け入れていたアイツは、きっと俺より大人だったな。

 人から指導される事より、人を指導する事が増えていった。

 熟練、なんて言葉を吐くには結果が追い付いていなかったが、重ねた経験は嘘を吐かなかった。

 上手く状況を作り出し、言った通りに事を運ばせてやると、駆け出し連中は大喜びで俺の話を聞きに来た。

 自分が成功するより、自分の支えた誰かが成功していくのを見るのが嬉しくなった。

 その影で、やっぱり俺は伸び悩んだまま、ゴールドとシルバーの境目を行ったり来たり。

 何が足りないんだろうな。

 昇格点だとか、そういうのじゃない。

 ゴールドにはゴールドに足る実力がある。俺のそれはシルバー相当。鍛錬は今でも積んでる。強い奴と組める機会があれば、その動きを盗もうと必死になる。真似をして、出来なくて、歯を食いしばって何度も真似る。けど、やっぱり出来ない事の方が多くて、いつしか落胆に慣れていった。

 ゴールドなら、ミスリルなら、オリハルコンやアダマンタイトなら、きっと上手く切り抜けただろうなって、そんなことを考える日もある。

 あの雪山での光景は今でも時折思い出す。

 ギルドで最上位のパーティが見せた、圧倒的な殲滅戦。

 いつか夢見た俺はその中に身を投じていた筈なのに、現実は仲間一人守れず膝を付いていた。

 あぁ悔しい。

 アイツらに届かない俺が悔しい。

 このままじゃ終われない。

 終わりたくない。

 だったら、足を止める訳にはいかない。

 必要とあれば、足枷になる全てを外してでも、俺は。


「私も覚えてるよ。あの時夢見た場所を、今でも目指してる。本当は、もういいかって諦めてたんだけど、助けてくれる人が出来て、ちょっとずつでも前へ進むことにした」


 あぁ。


「お前もそうなのか」

「うん。私だって目標はあるんだよ」


 あぁ……!


 そうだよな!!


「お前もまだまだ、夢の途上に居るのか」

「うん。そう……そうだよ」


 アダマンタイトになってさえ、そこに向かって歩んでいるのか。

 どんな途方もない夢見てるんだか。

 いや、今はその内容なんてどうでもいい。


 立ち位置は違うけど、俺もお前も同じ冒険者なんだと、改めて思えた。

 同格って意味じゃない。

 あの日ランク章を手に夢見た、険しき道を冒していく、そういう生き方を求めた人間なんだって事さ。


「だったらもう、捨てるだ何だって、互いの位置がズレることを怖がる必要はないだろ。離れたなら、それが惜しいと思ったなら、追い縋ればいい。求められた自分じゃないのなら、変わっていけばいい。ヌルく安全に生きたいのなら冒険者なんかにゃ成ってない。無茶で無謀だろうが挑戦し続ける、たった一つの命を張って生きてるんなら、そのくらいでないと面白くない」


「女性関係が前提になければ、吟遊詩人に謳わせたいくらいね」


 うるさいです。


「冒険者の寿命は長くない。生き残れたとしても、三十半ば過ぎれば一気に辛くなってくるって言うしな。だったらもう日和見なんてしてられない。過去を変えられないのなら、今の自分がどれだけ出来るのかって試していくしかない」


 方針を少し切り替える。

 今までは実力を付けてから上がっていけばいい、と考えてきたが、そのままじゃ永遠にシルバー止まりだ。

 幸いにも今の俺はソロで勝手が効く。

 ゴールド以上のパーティで荷物持ちでもなんでもやって上位の冒険者がどんな戦い方をしてるのか、もっとちゃんと観察してみてもいい。

 それか、今みたいな暮らしを捨てて、全く別の場所で自分を鍛えてみるか?

 大抵のギルドがそうであるように、ウチの、『スカー』も複数の町や都市に支部を構えている。思えばクルアンこそが冒険者の町だってことで、ここに留まり過ぎていた気もする。クエストで各地に遠征することはあったが、それぞれの場所でじっくり経験を積んだことはなかったよな。


「ふふっ、今のロンドくん、子どもみたいな顔してる」

「そうか? まあ、ガキみたいな無茶が必要な時期なのかもしれないな」

「だからって無茶して無駄死にだけはしないでよ」

「ははっ」


 無駄死にだけは、って言い回しが気に入った。


 人死にが怖い癖に、ちゃんと俺の気持ちを汲んで、死ぬなとは言わなかったんだ。お前に言われちまったら、なんだ。流石に気になっちまうからな。


「あぁ……今日は本当に月が綺麗だ」

「うん。そうかも。ふふっ」


 寄り添うのではなく、並んで。

 同じ空を見上げて。


 俺達は冒険者だ。


 険しい道を行こう。

 それを越えた先でまた同じ空を見上げて言うんだ。


 よし、次はどこへ行こうか、てさ。





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