闇夜の血戦

 朝から雲が多かった。

 湿り気を帯びた空気に雨でも降るのかと思っていたが、幸いにも天気はそのまま。

 西の空へ陽が沈んでいくのを感じながら静かに立ち続ける。


 倉庫番ってのは意外といい鍛錬になる。

 長時間動かずじっとしているのは思っているよりキツい。

 眠気やダルさが襲ってくる中を、じっと耐えて集中を持続させたり、姿勢を維持したまま待ち続けることに慣れていける。


 それがミスリルやオリハルコン、果てはアダマンタイトまで行くのにどれだけ寄与するのかは知らないが、俺なりの方法でやっていくしかないだろう。


 太陽が沈み、月明かりに移り変わって、その光さえも雲に遮られた時。


 たった一つしかない進入路から音が来る。

 敢えてだろう。

 暗殺者アサシンなら俺が離れた隙に潜伏することも、そこらの建物の上から侵入してくることも可能だ。

 それでも姿を見せたのは、奴の美学による演出。


 ここは、かつて俺とメイリーが練習に明け暮れた場所。

 そして奴にメイリーが射られた場所。

 この手の阿呆なら、待っていれば誘い出されると思っていたよ。


「ヒトの大事な女に手ぇ出したんだ。ケジメは付けて貰うぜ、暗殺者」

「ケヒャヒャヒャヒャヒャヒャッッッ!!」


 黒づくめの男の姿が闇夜に溶ける。

 風の様に、実体を失って漂い出す。


 あの日にも見たモノだ。


 奴は闇か、あるいは風になれる。

 具体的な所まではまだ見えないが、極稀にだがこういう実体を失わせる魔法魔術は話に聞く。


 だから、


「一度俺に見せたのが失策だ」


 後ろ手にしていたパイクを地面へ突き立てる。

 木の盾に装着マウントさせていたこん棒を引き抜いて、足元に積んであった砂利を敵へ向けて叩き付ける。

 普通ならただ礫を飛ばすだけ、しかも奴のあの力の前には全くの無意味で、伸びてきたその手に首を掴まれていたことだろう。


 だがコイツはディトレインの形見。

 強烈な爆発を引き起こす、魔法の効果を帯びた武器。


 そいつが掻き消えようとした野郎を、問答無用に吹き飛ばした。


    ※   ※   ※


 「どうしたよォ、暗殺者!!」


 振り抜く。

 巻き起こった爆発が周囲を強烈に照らし出し、黒衣の男をまた下がらせる。


 月明かりは曇り、周囲に灯かりはない。

 暗殺者は夜目を強化する術を使うというが、それもこうチカチカされちゃ目が眩むだろう。

 俺も同じだ。

 景色、というより、地形は全て頭に入ってる。

 昔散々メイリーと過ごした場所だ。後は爆発で照らされた景色と照合し、敵の動きを予測していくだけ。風の音、そこに何かがあるという気配、壁や木々への反響や吸収されていく音が、見えない存在を浮かび上がらせる。

 この二日、ひたすら感じ続けてきた、この場所の常なる状態。

 違和感は確実にあった。


 そうして何度か叩き付ける内に、奴の使っている力が分かって来た。


 アレは闇烏の鎧だ。

 随分と昔に猛威を振るった暗殺者が好んで使っていた、魔術だったか呪術だったか。とにかく使用されれば通常の武器じゃ効果はない。本当に身体が霧に変化しているからだ。

 名前のまま、ヤミガラスと呼ばれた暗殺者はそれで百以上の標的を殺したと言われている。

 壁をすり抜け、闇に掻き消える。

 まさしく恐怖そのものとして扱われ、伝説となった。


 だが時間が経てば対策も出来上がる。

 一番良いのは神官による闇払いの神聖術だ。それで鎧は完全に無力化されるし、一部神聖呪文は問答無用で霧を捕らえて縛り上げることも出来る。


 だからリディアがメイリーの護衛に付いていてくれる限り、こいつは暗殺を仕掛けることが出来ない。

 直接戦闘になればミスリル級が二人も居るしな。

 当然影に潜んで隙を狙う暗殺者では、あの二人を正面からは相手取れない。

 リディアは特級の神官だ。魔術や呪術の搦め手は片っ端から潰してくれるだろう。おかげで俺はメイリーの安否を一切気にすることなくここで戦える。


 ……トゥエリが闇払いを使えたなら協力して貰えたんだろうが、あれで結構高度な術らしいのと、暗殺者相手に俺が守り切れる保証が無いので同行は却下した。


 後はまあ雑な方法で申し訳ないが、闇を払う強烈な光であれば、不完全ながら霧化を阻害できる。殴った後と先で順序が違うが、これはもう魔法の世界だからな、力の源泉そのものの相性がいいってことだろう。


「そらよォ……!!」


 直撃した。

 奴の腕を吹き飛ばせたかに思えたが、どうやらあっちも特別性の装備を持っているらしい。爆発によって飛ばされつつもしっかり攻撃を防いでいる。


「っ……!」


 更に踏み込んで追撃をしようとした所へ、左足に痛みがくる。

 矢だ。鉄張りのレガースを貫通している。どうやって。いや。


 更に放たれた短剣を木の盾で受ける。

 先端が貫通してこちら側へ飛び出してくる。


 同時に、細い鉄杭が防具の僅かな隙間を縫って右脚の腿へ突き刺さった。


 毒は。

 当然。塗ってあるだろうな。


 だがこっちも対策はしてある。

 リディアの解毒はしっかり仕事をしてくれている筈だ。

 効果時間を引き延ばす代わりに、あくまで安静にしていれば延命出来ますって程度のものらしいが、今を戦うには十二分。


 そして、距離が出来た。

 奴の身体が闇に溶けていく。

 こん棒でまた無効化してやろうと思ったが、しっかり短剣を投げてきて動きを阻害された。


「………………ふぅぅ」


 気は抜かないが、前のめりになっていた意識を引き戻す。

 見失った。

 決め切れなかった以上、逃げられる可能性もあるが。


 左で物音、向くと、反対側から投げ付けられた短剣が二の腕に突き刺さる。


 そうして、キリキリキリキリ……と、何かを巻き上げる音が周囲に響いた。反響していて位置は掴めない。そういう場所を選んだんだろうことは分かる。だが、何処だ。


 一瞬、光が目を掠めた。

 盾を構える。

 貫通した矢が盾を持つ左腕を射抜き、反対側へ半ばまで突き出た。ガクリと下がり掛けた腕をどうにか持ち上げ、構えを取る。


「はっ、はっ、はっ、っ、はぁっ、はっ、ははっ……っ!」


 急激に息があがってきた。

 毒のせいか。

 あくまで安静にしていれば、って話だったからな。


 視界の端に月を見る。いつの間にか雲が晴れていた。つい、最初に突き立てたパイクを見た。駄目だ。この明るさじゃあ駄目だ。

 俺はこん棒を肩へ乗せつつ、震える左手で腰元の短剣へ手を伸ばした。


「っ!」


 また矢だ。

 今度は外れた。

 いや、外してきた。


 キリキリキリキリ――――反響する音が嫌ってほど意識を刺激してくる。鼓動の度に頭痛が来る。息があがる。視界は、大丈夫。まだ見える。


「はっ、はっ、はっ……っ、っっ、はっ、はっ」


 そこから俺はしばらく奴の玩具だった。

 足元を射られ、羊みたいに追い込まれる。逆らえば掠めるように攻撃が来た。そっちじゃない、こっちへ行け、ってな。弄ばれながら誘導される先を見てつい笑いが漏れる。


 あぁ分かる。

 コイツは本当に馬鹿だ。

 テメエの仕事を芸術だと言い張る類の人間だ。


 メイリーを射抜いたあの瞬間、きっと股間を膨らませて白いのを吐き出してただろうさ。それくらい、あの時のメイリーは綺麗だった。

 それを暗殺という手段で縫い留め、終わらせる。

 一枚絵のように。

 久しく会った男の腕の中で息絶える標的。


 実に、気色の悪い思考だ。


 だから今もそうしている。

 きっとあそこだ。

 俺が最初に立っていた場所。

 メイリーが射抜かれた場所。


 奮戦して、ボロボロになって、毒が回ってもう駄目だって、それでも立とうとする男を仕留めるには絶好の場所。


「はっ、っ、ぁ、っっ! はあっ、はっ、ああっ!!」


 転げ回って、崩れて、立って、さあ逃げろ逃げろと追い立てられる。

 月が見えている。

 まだ駄目だ。

 けど、作品の完成に前のめりになった阿呆が姿を晒している。


 こん棒で積んだ砂利山の一つを叩きつけ、礫を飛ばした。


 が、奴が叩き付けた煙玉に光は遮られ、肉体は霧化する。遠く抜けていった礫が音を立てて散らばり、野郎の薄笑いの声だけが残った。

 くそったれが!


 立っていることも出来ず膝を付き、それでも盾を構えた。

 荒い呼吸が後ろの壁に反響する。


「これで完成だ。精々あちらで彼女の到着を待つがいい」


 矢が放たれる。

 息が苦しい。

 だが、


 お前が底抜けの馬鹿で良かったよ。


 来る方向は分かっていた。

 唯一の出入り口。真正面。そこから射抜いた方が、なんだ、構図が良い。


 構える盾の持ち手を緩く、手首を、肘を柔らかく。肩には少しの力を込めて。

 あの矢は奴が腕に取り付けた仕込み弓から放たれている。キリキリって音は巻き上げ機に似ている。モノとしては弩。だから木の盾くらいは貫通してくるだろう。


 あくまで、まっすぐに構えたままの盾ならな。


 直撃の瞬間、緩んだ持ち手が盾を支えず弾かれる。指は掛かったまま。手首が、肘が、それを助長した。盾は保持出来ている。けれど正面に向いていたものがそれで横向きになる。矢は真っ直ぐ飛ぼうとしたが、木の盾を貫通し切るまでの間、進行方向に対して強烈なねじれを得た。

 ただまっすぐ貫くなら出来ただろう。

 だが、その捻じれの前に矢の貫通力は敗北する。


 斜めに構えて厚みを出したなら、奴は別を狙っただろう。

 これが矢の貫通出来ない固い盾なら、やはり別の場所を狙って崩してきた。

 脆い木の盾を、馬鹿正直に構えを見せて、その先に心臓を置いてやったから乗って来た。

 底抜けの馬鹿野郎。


「はあっ、っっ!!」


 仰け反った左半身に合わせて、こん棒を足元に置いた右手が腰の短剣を引き抜き、投げる。

 今なら敵の居場所ははっきりしている。


 だが、


「…………なにかと思えばダマスカス鋼の短剣か。多少は魔を断つと言われるが、俺ほどの使い手となれば意味はない。ふふふふふ、オリハルコンでも持ってくるんだったな」


 咄嗟の霧化で短剣は通り抜けていった。

 奴の言う通り、ダマスカス鋼程度じゃ闇烏の鎧は貫けない。


「どうした。今ので終わりか? あぁ、先の盾受けは見事だった。鋼鉄でも貫く我が矢を、ただの木の盾で受け切るとはなあ。ふははははは」


 どこぞの馬鹿によく似た台詞だ。

 調子に乗って距離を詰めてくる。

 筋書き通りにいかなかったからだ。あのまま延々と遠くから射られたなら、確実に俺は殺されてた。だが奴の美学からすると許せないんだろう。どうしても違う形で決着を付けようとする。


 まだ、こっちにはディトレインのこん棒が残ってるってのによ!


「…………っ!?」


 間合いに入ると同時、足元のこん棒を拾い上げて殴り掛かろうとしたら、その手を矢で射抜かれた。

 武器が、手を離れて飛んでいく。


「はあっ、はっ、はっ、はっ……ふたつ、っ、あった、のか、っ、はあっ!」


 ここまで矢が二連続で飛んできたことはなかった。

 一つだと断定していたつもりはないが、ここへ来て札を切って来たか。相手は暗殺者、流石に仕込みが多い。


「さあ完成の時だ! この俺の作品を穢した罪は償ってもらうぞっ、冒険者ァ!」

「はっ、はっ、はっ、はっ!」


 盾を落とし、右腕を地面に付いて、支えきれずに崩れかけたのをどうにか耐えて、左手で地面に突き刺さったままのパイクを掴む。


「はっ、はっ、はっ…………」


 奥歯を噛んだ。

 キリキリキリキリ、目の前で悠長に矢を番えてやがる阿呆へ何か言ってやりたいが、息が苦しくてそんな余裕もない。


「はぁっ、はっ……………………はぁ………………………………」


 月が陰った。

 再び世界は闇に落ちる。


 それはきっと暗殺者の世界だろう。


 けどな。

 ゆっくりと息を吸った。


「くたばれ、くそばか」


 パイクを突き出す。

 奴は避けない。

 闇を照らすこん棒を叩き飛ばし、仕込みのダマスカス鋼の短剣を無力化し、毒で息も絶え絶えな戦士を前に、何を怯える必要があるのかって、調子にのって両腕を広げてやがった。

 これを霧化で受け止めて、すべての足掻きを終えた俺を殺そうってんだろう。


「っ、っご、が……ぁあ!?」


 ずぶり、と矛先が闇烏の鎧を砕いて暗殺者の心臓を刺し貫く。

 ゆっくりとゆっくりと、味わう様に。

 そうして捩じり込み、血抜きの穴から暖かな感触が流れ込んでくる。実に臭い、人殺しの血が手を汚す。


「な、なぜ、ぇ……ぇぇ?」


 長年使い込まれた、古ぼけてちっぽけなパイク。

 そんなものに破られたのが信じられないんだろう。


「教えてやろうか、お寒い芸術家気取りさんよ」


 奥歯に仕込んだ解毒薬が回って来た。強烈過ぎてあまり使うなと言われたブツだ。リディアの解毒の神聖術と合わさって、過剰に効果が出るから、むしろ長期的には状態を悪化させるって話だが。


「今年のザルカの休日で出てきた将軍ジェネラル級がな、最上級の神官が張った障壁すらぶち壊すオリハルコンの装備を持ってたんだよ。こいつは、そのほんの一部を刃金に加工して取り付けた、俺のとっておきだ」


 討伐には何ら寄与しなかった俺だが、僅かなりとも関係はしていたからな。

 ランクの昇格点やら、名声やらは貰わなかったが、戦いの中で欠けた僅かなオリハルコンを報酬として頂戴した。


 オリハルコンは加工が難しい。

 随分待たされたが、少し前にようやく届いたブツだ。


 これも、すぐに質草として持って行かれるがな。


 ほんの一欠けら、小石程度の量だが、これだけでちょっとした豪邸が建つほどの値になるらしい。もしかしたら一生手にすることはないかもしれない、多くの冒険者が夢見る希少鉱物。

 まあ、メイリーの命に比べれば安いもんだ。


 あっさり倒れていく、ひょろひょろの暗殺者を見送って、俺も壁に凭れ掛かって救助を待つ。


 息を一定に、

 意識を損なわず、

 じっと、雲の晴れた月夜を眺めて。


 あぁ、やばいな、死にそうだ。





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