月夜の少女
まだまだ俺が駆け出しだった頃、強がって酒をかっ喰らい、いずれは竜殺しになってやると大言壮語を謳い回っていた。
その日も確か、パーティの先輩から説教を受けて、憂さ晴らしに飲み歩いてたな。
「ちょっとお、そこ私の練習場所なんだけどお!」
気持ち良く壁に俺がどれだけ偉大な冒険者になるかと説法していた所、リュートを背負った少女が文句を付けてきた。
「なんだとぉ? 俺は冒険者だぞお!」
我ながら当時は粋がってた自覚がある。
故郷を飛び出し、一旗揚げる。
そんなことばっかり考えていて、吟遊詩人の詩みたいに振舞ってみては酔い潰れる毎日。
腕はへっぽこ、体力は昔からあったが、気が短くてよく喧嘩もしていた。
「名乗るだけなら誰でも出来るわ! 冒険者だって言うなら、ちゃんと強いんでしょうね!!」
「あったりまえだ! 女だって容赦しねえぞ!」
「あらそう! そんな千鳥足で。やれるもんならやってみなさいよ!」
「上等だあ!」
ぼこぼこにされた。
正直言って、当時の俺は弱すぎたし、メイリーは腕っぷしがあった。
後々知ったことだが、普段からこの態度で周囲に接していたから、男共相手の喧嘩にも慣れていたらしい。
だが女に負けるなんて思いもしてなかった俺は心底消沈した。
泣き叫んでも容赦なく殴り付けてくるメイリーが怖くて、本当に殺されるかと思ったんだ。
「男がビービー泣いて情けないわね! 弱っちいのがいけないの! 強くなればいいのよ!! ふんっ」
泣き叫ぶ俺を放置して、メイリーは壁際へ腰掛ける。
背負っていたリュートを抱え、演奏を始めようとしたんだが。
「あ………………そこ、さっきしょんべんした」
「きゃぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!」
またぼこぼこにされた。
金を巻き上げられ、近くにあった湯屋でメイリーが身体を洗う間、俺は女物の服を買いに走らされた。
なんでそこで逃げなかったのか。
多分、逃げたらあの暴力女が髪を逆立て追ってくるって思ったんだろうな。
それくらい当時のメイリーはおっかなかった。
結局その件ですっかり彼女の舎弟になった俺は、毎日のようにその練習場所へ通うことになった。
「……演奏は綺麗なんだね」
「でしょう! 私、才能あるからっ!」
本人はあんなにも暴力的なのに、という皮肉を込めた俺の想いは届かなかった。
実際、当時から結構上手かったと思う。だけど演奏が細かくなる部分で何度も彼女は失敗していた。
まだ体が完全に大きくなっていないのに大人と同じリュートを使っていたから、指が届かず間に合わないんだ。
飲み水を差し入れ、食べ物を差し入れ、たまに湯屋へ行く金も巻き上げられ、まさしく舎弟として過ごしていた俺は、どうにかしてメイリーの強さを学べないかと思案していた。
当時世話になっていたパーティメンバーは感覚的な奴が多くて、どうやれば強くなれるのかってのを誰も説明できなかった。
やってればその内出来る、それがいつもの結論で、俺は不満だった。
だから、同じくらいの歳で、俺よりも強かったメイリーを研究しようと考えたんだ。
というのは今思うと言い訳だ。
まあ俺も若かったからな。
女相手に負けたのが悔しくて、相手を過剰に持ち上げる、そんな所だろ。
演奏しているメイリーが綺麗だったってのも、まあ事実ではある。
「そんな風にじっと見られてるとやり辛いんだけど」
「えっと、どうしたらいい?」
「あんたも練習しなさいよ。冒険者なんでしょっ」
きっと、何度も失敗するのを聞かれたくなかったんだろう。
けどその日から、俺とメイリーは同じ場所で、自分の特訓に励む様になった。
※ ※ ※
あれから随分と経った。
俺は相変わらずシルバーなんぞやっているが、メイリーは当時師事していた二代目ローラから認められ、三代目として鍛えられつつ宮廷楽士にまで上り詰めたという。
「あっ、まだこの湯屋残ってたんだあ! うわボッロ! というか小さっ、私よくこんなとこ使ってたなあ」
思い出話なんぞに華を咲かせていたからか、ついかつての練習場所へ足が向いた。
湯屋といっても湯を提供してくれるだけで、石鹸や手拭いは自前が原則。しかも広さは俺の宿の一室よりも狭い。
「ねえっ、一緒に入ってみる?」
「襲うぞ」
言うと右拳が出てきた。
「返り討ちだっ」
「ははっ。流石に、昔のようにはいかないな」
しっかり受け止めた小さな手を見る。
昔は同じくらいだったが、今じゃあ俺の方がずっとデカい。
「ロンドも大きくなったってことかな。あんなに泣き虫だったのにさっ」
「お前は……縮んだか?」
「うっさい! 縮むもんかバーカ!」
脚を蹴られた。
全く痛くないが、乱暴者なのは相変わらずか。
それとも懐かしい景色に心が童心に戻っているのか。
「最初見た時は驚いた。なんかすっごく老けてたから」
「……俺、そんなに老けたか」
結構昔のままな気分だったんだが。
「あの頃はちっちゃくて泣き虫で、私が言えば何でも従ってくれる可愛い子だったのになあ」
「そりゃどうも、姉御」
比較対象が悪すぎる。
もう倍近く歳を重ねたんだぞ。
「でも一目で分かったよ。あぁロンドだって。でもアンタ、中々私に気付かなかったからさ」
「悪かった。昔馴染みと飲んでたんだ」
「私の方が付き合い長いもん」
そりゃそうだがな。
「俺もすぐに分かった。いや、見た目ってより、演奏でか。昔よりずっとずっと上手くなってたが、なんとなくお前だなってよ」
「そっか」
頭突きをされる。
それで前へ駆けていった彼女が、真っ暗闇の森へと進んでいくのを、少し遅れて追い掛けた。
月明かりが綺麗だった。
風は穏やかで、葉の擦れ合う音が耳を撫でると、不意にあの頃へ戻ったような気分になる。
崩れた市壁の一角、かつての小さなクルアンを囲っていた名残りの前で彼女は振り返る。なんだかとても、幻想的に思える景色だった。
「ねえ、ロンド――――」
見惚れていた。
いつか仰いだ彼女の笑顔。
気が強くて、努力家で、自分の才能を信じ、そして成し遂げた女。
その胸に、ストン、と矢が突き刺さる。
「――――――――――――っ」
理解が追い付かなかった。
だが背後から何者かの存在がふわりと俺の身を包み、首元を撫でた。冷たい刃物の感触。そのまま首を裂かれるかと思ったが、何者かは小さな笑みだけを残してまた背後へ消えていった。
後にはただ、静寂だけが残った。
倒れたメイリーへ駆け寄る。
「おい」
揺さぶる。
「おいっ!!」
閉じていた目が開く。
伸びた腕が俺の頭を抱き、優しく撫でてくる。
「メイリー!!」
「もう……、そんな叫ばなくても、聞こえ、てるよ……」
「くそっ! 死ぬな! 意識を保てっ、絶対に助けてやる!」
「ごめ、ちょっと、油断……して、た」
「だからっ!」
こぽり、と血の塊が吐き出されて、身体が真っ赤に染まっていく。
待て。
待て。
まだ、
幸いにも何者かは襲撃を続けることも、こちらの邪魔をするつもりもないらしい。
だから俺は、
※ ※ ※
「リディア!! 居るか! リディア!!」
メイリーの身体を抱え、いつもの酒場へ駆け込んだ。
「っっ、ロンドさん!?」
「……そこの机に寝かせて」
幸いにもトゥエリと二人で飲んでいる所だった。
良かった。
これで。
「杖がない……トゥエリちゃん、ごめん、ギルドに行って私の杖を持ってきて。コレ、私のランク章だから」
「はい!!」
横たえたメイリーにはまた息があった。
本当に微かで、今にも零れ落ちてしまいそうな命。
それを猛然と光が包み込んでいく。
その傍らでマスターから桶の水を受け取ったリディアが頭から被る。
豪快過ぎるほどの酔い覚ましだが、笑っていられる余裕は無かった。
「大丈夫なのか……」
「わからない。ごめん、集中するから」
「あ、あぁ……」
血が抜け過ぎてる。
どれだけ優れた神官でも、体力を取り戻すのは本人次第。
「毒の可能性もある」
「分かってる」
頼む。
メイリー、生きてくれ。
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