ローラ編

静寂に揺蕩う

 歓声に笑い声に時々怒声。

 酒場の音なんざ聞き飽きてるが、人が大勢集まってそれぞれに騒いでいるこの雰囲気が俺は好きだった。

 久しぶりに会った冒険者仲間と飲みに出掛け、普段行かない酒場へ乗り込んで早一刻、いい具合に出来上がって来た連中の武勇伝を聞きながら、ふっと意識が外れた時だ。


 爪弾くようなリュートの音を聞いた。


 胸の内にジンと熱が灯る。

 いい音だ。

 決して自己主張しない、今みたいに飲みの雰囲気から意識が外れ、一人心を安んじている時に初めて気付く、ささやかな演奏。


 吟遊詩人が居たのか、気付いていなかった。


 音の出どころを探っていくと、一段上げられた場所にそれらしい恰好を見付けた。


「……………………」


 手にしていたエールを置く。

「はは」

 吐息が抜けていって、しばらく仲間との会話も忘れて聞き入った。


 一人、また一人と、彼女の奏でる音に捕まっていく。

 あれ? なんて周囲に意識を向けたらもうそこまでだ。


 あまりにも繊細で、芳醇な音に心を捕まれ、耳を傾けてしまう。


 然程時間はかからず、あれほど騒がしかった酒場が静まり返っていた。誰もが彼女の音を聞く。派手でもなく、壮麗でもなく、ただ静かで、いつか幼い頃に聞いていた母の子守歌みたいな優しい演奏。


「……誰だ?」


 仲間の一人が身を乗り出してその姿を見る。

 年の頃は、俺達とそう変わらない。

 ただ、随分な美人だということは分かる。

 椅子に腰掛け、組んだ脚の上にリュートを置いて、細く長い指先で音を奏でる吟遊詩人。

 詩が無いから、そう呼んでいいものかは分からないが。


「ローラだ」


 誰かが呟く。

 胸元の首飾りに気付いたらしい。

 竜の意匠はこの町では珍しくないが、本物の竜鱗を用いたものなんて他にない。


「ローラ=ジョングルトゥスか……! 北方の、宮廷楽士になったって聞いてたが!」

「帰ってきたのか。クルアンのローラが」

「クルアン? ここ出身なのかい?」

「知らないのかよっ。吟遊詩人のローラと言えば、その歌声で竜の怒りを鎮めたなんて言われてる伝説上の人物だぞっ」

「おっさん飲み過ぎだ。何十年前の話だよ」

「だから伝説じゃそうなんだって……!」


 騒ぐ客達と、続く演奏。

 けれど本人にも丸聞こえで話すものだから、壇上でローラが笑いだした。


「あっははは! ごめんねおじさま、私は三代目。そのローラは多分、初代の話だよ」


 快活で通りの良い声だ。

 吟遊詩人はそうでなくては。


「だったら、竜を鎮めたってのは本当なのか!?」

「どうだろうねえ。時期的に言えば、ちょうどこのクルアンの町が二匹の竜に襲われた頃だから、もしかしたらそういうこともあったかもしれないけどね」


 彼女が胸元の首飾りを手に言えば、一同は大きく感嘆し、唸った。

 この町で生きていて、その話を知らない者は居ない。


 竜殺しドレゴンスレイヤー


 そいつはこの町で最高に誇りある名だ。


「しかしローラは宮廷楽士になったって聞いたぞ。それは先代の話なのか? お前さんはどうしてここへ?」


 ローラはリュートを鳴らし、興味の尽きない客達へ笑ってみせる。


「私の話なんざいいからさ、詩を聞いておくれよ。私が誰か、知ってるんだろう?」


 吟遊詩人ローラは一同を見回し、気の強そうな笑みを浮かべた。

 断りなんていらない。

 もう既に、全ての客が彼女の詩を聞くつもりでいる。


「それじゃあ最初は、この町の起こりから詠おうか。はじまりの詩、冒険者ディムの物語をさ――――」


    ※   ※   ※


 店は大盛況。

 町の起こりから現在まで、どこかで耳にして聞き飽きていた筈の物語も、演奏や詩が良ければここまでのめり込んでしまうのかと、ついつい酒が進んでしまった。


 少々飲み過ぎたと、金を少し多めに置いて店を出た。

 仲間達はまだ少し飲んでいるらしいが、俺はちょいと風に当たりたくなった。


 酒場は丘の半ばに造られていて、毎度通うには向かない立地だ。

 高所は貧乏人の住まい。毎日毎日労働に出掛け、このキツい坂道を登って帰ってくる。水を汲むのさえ一苦労だろう。

 ただ、今はここから見る景色が心地良い。


 大通りには篝火が焚かれ、遠く市壁には正規兵の姿が見える。

 ほとんどはすっかり闇に落ちているが、まだまだ人の活気が伺えた。どこかから笑い声が弾けたのは、別の酒場からか。

 クルアンの町には本当に酒場が多い。

 そいつを好む冒険者が大勢いるってことだ。


 ふと視線を町から空へ。

 今日は満月か。

 ルーナ神の瞳とも言われるそれは、魔物の暗躍を許さない。

 きっと、穏やかな夜になる筈だ。


「途中で抜け出すなんて酷いなぁ」


 なんて物思いに耽っていたら、後ろから背中を叩かれた。


「おう。出世したそうじゃないか、メイリー」

「今はローラだよぉ」


 飲んでいるらしい。

 近くの樽へ飛び乗り、手にしていた陶杯を煽る。

 浮いた足をパタパタと揺らして、俺を手招きしてくる。肩を竦めて遠慮させていただいた。

 どうせ玩具にされるのは目に見えてるからな。


「こっちにはいつから?」

「少し前」

「北に行ってたのか。先代は」

「一年くらい前にね」

「そうか……」


 最後に会ったのは七年か八年か、ちょいと曖昧だが。


「こっちは平和だねぇ」

「今年はザルカ神がサボったおかげで大変だったがな」

「働き詰めは辛いんだって。許してあげなよ」

「そうだな。俺達だって休みは必要だ」


 軽口を叩き合い、差し出されたので同じ陶杯から少しいただく。

 良いエールだな。


「流石、有名吟遊詩人様は飲んでる酒も上等か」

「はははっ、崇めるがいい!」


 肩に背負ったリュート一つ、後は鍛えた歌声と人々を沸かせる語りの上手さで世間を渡り歩く。

 吟遊詩人は冒険者に並ぶ、跳ねっ返り共の憧れだ。


「そっちはどうだったの? そろそろオリハルコンくらいになっといてくれないとさあ?」

「生憎とまだまだシルバーだ。ゴールドの壁は分厚くてな」


 笑いながら言うと、樽から飛び降りてきたローラに頭突きをされた。

 実は結構小柄な奴だ。だから脇腹へ良い感じに当たるんだが、そのまま俺の腕を首巻きみたいにして潜り込んでくる。


「生きててくれただけで十分。冒険者ってすぐ死んじゃうから」

「なんとかな。それより、本当に宮廷楽士の話はどうなったんだ。先代から引き継げなかったのか」

「ちゃんと引き継いだよー。でも相手の方が先に消えちゃったの」

「なんだそれは」


 空になった陶杯を置いて、適当に歩き始める。

 少々酒場がうるさくなってきた所だ。


 月明かりを頼りに道を行き、なんとはなしにまた空を眺めた。

 良い月だ。

 ローラ……メイリーと会ったのもこんな月の夜だったな。





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