分岐点②

 ここしばらく張り詰め続けていたからか、それとも夜遅くまで行為を繰り返していたからか、深い眠りから覚めてみたらすっかり昼過ぎになっていた。


「おはようございます、ロンドさん」

「すまん……寝過ぎた」


 一緒の部屋で眠るのもいい加減慣れてきたもので、既に着替え終わっていたトゥエリが木窓を開けて、外の空気を入れてくる。

 冷たい、が、温かい。

 季節が大きく変わりつつある。

 冬は遠く去り行き、もうじき春が辿り着くだろう。


「身体、拭き上げますよね? お湯を貰ってきます」

「いや水でいい。そこまでしなくても、もう十分温かいからな」

「はい」


 ギルドから支援を貰っているとはいえ、贅沢三昧は今後に響く。忠告を受けたのもあるし、いつまでもぶら下がっては居られないよな。


「これ、私の使っている石鹸です。よろしければどうぞ」

「いいのか?」

 受け取った石鹸からほんのりと良い香りがする。

 トゥエリから感じるものと同じだ。

 こんなもの、購入すれば幾らになるんだか。

「自作したものです。また作れますから、どうぞ」


 また器用なことをやっているな。

 灰とかから作れるのは知ってるが、香りまで付け加えるとは。


 有難く身を清め、さっぱりした所で服を探す。昨日脱いだのはどこにやったか。


「服でしたら、棚の上に置いてあります。すみません、昨日着ていたものは既に洗濯をして、裏に干してしまっています」

「そうか。そりゃあ、助かった」


 大抵二日三日着回した上で、溜め込んだ分を洗濯屋に押し付けるもんだが、神官ってのは働き者なんだな。

 一応言っておくが、俺の二日三日はむしろ綺麗好き、潔癖とか言われる類のものだからな。普通は一週間以上そのままで、肌を磨く事すらしない。


 実家じゃ湯舟が当たり前だったから、身綺麗にする習慣が付いてるんだ。

 それでも冒険者なんぞやってたらある程度は妥協するようになる。


「うん?」


 言われた通りに寝台横の棚を探すと、服の脇に小袋が添えられていた。

 前にリディアから貰った匂い袋だ。

 色々とあって返そうとは思いつつ、そのままになっていたもの。たしか、適当に棚の中へ放り込んでおいた筈だが。


 まあいいか、と綺麗に畳まれた服に着替える。

 トゥエリが寄って来た。


「ふふ……襟元が乱れてますよ」

 首元に手が伸びてくる。

 繊細な少女の指が俺の服を正し、うん、と頷く。

「おう。すまん」

「いいえ」


 嬉しそうに笑って、桶を手に部屋を出ていく。

 戻って来た時には食事を抱えていた。


「そんなに急いで次々動かなくても平気だぞ。今日はもうゆっくりするつもりだ」

「そう、ですか。いえ、でも、食事は必要ですから」

「まあ、そうだな」


 温かな豆のスープと固いパン、ふやかして食べればそこそこいける。

 ちょっと薄めたみたいなエールを飲んで食事を終えた後は、放置していた装備の点検に移った。

 武器や防具だけじゃない。

 遠征用の背嚢や天幕も、帰りに見た感じだとかなり摩耗していた。

 ベルト、靴、穴の開いたズボン……は塞がっていた。


「す、すみません……勝手に装備を弄ってしまって」

「いや助かる。裁縫なんて出来たのか」

「応急処置程度です。生地が摩耗しているので、またすぐ破けてしまうと思います」

「買い替えるか。盾もまた壊れちまったし、装備類は一度鍛冶屋に一通り見て貰うか? あ、毛布を干しておかないと、と」

「……はい。干してます」


 すぐ近く俺の作業を見ていたトゥエリを見て、さっぱりした頭を掻いてから言う。


「自分のこと、やってていいんだぞ。色々と有り難いが、俺も俺でちゃんと自分の事はやれるつもりだ」

「…………はい。すみません」


 目に見えて落ち込んだトゥエリを見て落ち着かなくなる。

 なんだろう、この妙な罪悪感は。


「いや、本当にやってくれたことは感謝してる。男一人だと細かな所は大雑把になるし、見てくれる奴が別に居るとやり忘れも減るからな」

「よ、よかったです。ふふっ」


 それから彼女は俺が動くのに合わせて近くに居続けて、適当に何かを話したかと思えば、じっとこちらを見詰めていた。


 これは。


 ……ちょっとばかし、拙いか。


    ※   ※   ※


 逃げてきた。

 ここ最近ご無沙汰だった例の酒場だ。

 だけど早く来過ぎたせいか、リディアの姿はない。


 というか、いつも居る訳じゃないしな。


 悪い酒になっているのを感じつつも強いのを舐め、冷えた皿を横目にため息を落とす。


 拙い事になった。

 俺もそうだが、トゥエリが。


 なんとなく、分からないでもないんだが、そうなっちまったかと自己嫌悪と反省で押し潰されそうだった。


「あれは…………もう完全に……だな」


「何の話?」


 くだを巻いていた俺の背にのしかかってくる、容赦のないこの重み。


「よう。雪山じゃ世話になったな、神官さん」

「はぁーい。お世話しました、戦士くん」


 やってきたリディアを見てほっとする。

 俺も俺で、ここでの愚痴り合いが癖になって来たんだろうな。


「……うん?」

「どうした?」

「ううん。なんでも」


 なんだよ。

 俺の疑問には答えず、隣に座ったリディアが酒とツマミを注文する。

 今日はあんまり抱えてる感じじゃないな。


「なんか悩んでる?」


 一杯目を受け取りつつ、けれど口を付ける前に問うてきた。


 そうなんだよ、実はな、なんて言おうとして、なんでか言葉が出なかった。

 さっきまで、コイツの顔を見るまでは相談出来る気で居たのに、どうしてだろう。


 昼まで眠りこけていた癖に、妙に頭が重い。


「……あぁ、いや」

「まあ無理もないか……パーティメンバーが一人、亡くなったんだもんね」


 そいつはある程度ケリを付けた。

 問題無い、と軽く流せるもんでもないが、きっとアイツなら今頃納骨堂で大宴会を開いてるだろう。


「ごめんなさい。間に合わなかったよね、私」

「それは言うな。後悔は勝手に背負うもんじゃない」

「うん……ごめん」

「いや。アイツを悔やんでくれてありがとな」


 ずっと気にしていたんだろうな。


 けど、ディトレインの死はパーティのものだ。俺と、トゥエリとで背負って、ちゃんと墓まで連れて行った。全て納め切れたかは分からないが、明日を見れるようにはなってきているんだ。


「もう一人の子は、例の神官なんだよね? 大丈夫だった?」

「そっちのパーティメンバーから何か聞いてないのか」

「あの二人なら、本人に聞けばいいだろうって、何も教えてくれなかったの」


 こういうのは慈悲と言っていいのかどうなのか。

 先に知っていて貰った方がこっちの傷は浅く済みそうなんだが。いや、折角黙っていてくれたのなら、そのままにしておくべきか。


「………………まあ、なんとかなった」

「そっか」


 けど、問題はその後だ。

 どう切り出したもんか。

 相手を間違えているような気がしてならない。かといって他に相談できるような奴に心当たりはない。ないんだ。


 なんて、俺が言い訳と上手い切り出し方を考えていたら、酒を煽ったリディアが冷え冷えとした声で言った。


「で、その神官ちゃんと、同じ部屋で過ごしてるのね」

「っ、!?」


 なんで分かる!?

 神官特有の、何か術的なものなのか!?


「分かるわよ。今のロンドくん、女の匂いがぷんぷんしてるもん」


「……………………え?」


「全く、なんか最近舐められてる気がするなぁ。別の女の匂いをさせてこんな所来るなんてさ。私、そんな感じなんだーって。ふーん、って感じ」


 それはその、確かにディトレイン的に言えば匂いが移る様なことはしたが、ちゃんと洗い流してきたし、今日は特に清潔な筈だろう?


「ロンドくんって、結構身綺麗にしてる方だけど、それでも大雑把な所もあるし、まあ……それ自体は別にいいんだけど」

「……いいのか?」

「うるっさいわねぇ、今はいいの。大体何よ、いい香りの石鹸の匂いまでさせちゃって、服なんてしっかりアイロンまで掛けてさ、幾ら君でもそこまで身の回りに気を向けたりしないでしょ」


 だから、別の女がそれらをしたと。


 ちょっと寒気がした。

 え? 女って、そんな些細なことで別の女に気付いたりするの? ちょっと匂い付けてただけだよ?


「マーキングね。今その子に自覚があるかは分からないけど、自分の使ってる石鹸使わせたり、服やら何やら、相手のものに自分の手を入れる事で近寄る他の女をけん制しているの」


 なにそれ怖い。

 トゥエリはそんな子じゃないと思うんだが。


「分かってないわねぇ……男を改造したがる女は嫉妬深いわよ。自分の付けた匂いを別の誰かが上書きしてくると、すぐに反応して怒り出すの。しかもマーキングを許し続けていると、最後には監禁して全部自分のものにしようとするかも知れないわね」


 と、そこまで聞いて腑に落ちてくるものがあった。


「…………つまり、お前がそうだってことか?」

「…………………………………………はあ!?」


「いやだって、前に匂い袋とか貰ったし。今だって別の女の匂いに滅茶苦茶怒ってるだろ」


「ちーがーいーまーすーっ!! なにそれっ、うわあっ、というか匂い袋返してよっ! あげたんじゃないからねーっ!」


 はいはい、と受け流しつつ、立ち上がろうとしたリディアの腕を掴む。


「………………なによ。はいはい、嫉妬深い女ですよーだ。というか、他の女の匂いさせて誘うのなんて最低なんですけど」

「それについては謝罪しかないんだが、俺も俺で切羽詰まってるんだよ。正直お前くらいしか頼れる相手が居ない。嫌だってんならそっちは求めないから、せめて酒くらい付き合ってくれ」


 心底参って頼み込むと、ふくれっ面のリディアがなんとか席に座ってくれた。

 私、不機嫌です、って顔をしちゃいるが、ちょっとだけ頬が赤くなっている。


「…………戦士くんがそこまで言うのって珍しいよね。何があったの」


「多分、内容もお前に聞かせると怒られるんだろうけど」


「もぅ……分かったから。怒らないから、言ってみて」


 つまりはだ。

 細かい所には触れないまま、俺は事情を打ち明けた。


 おそらくは当たっているだろう、トゥエリの俺に対する気持ちなんかも含めてな。


    ※   ※   ※


 「最っ低! クズ! 馬鹿! 下半身の奴隷! バァーカ!」


 めっためたに罵られること数分、リディアは再び立ち上がった。


「待った待った! 怒らず聞くって約束だろう!?」

「限度がある! 傷付いた女の子手籠めにしてっ、む、夢中にさせてっ、挙句アンタはっ!」


「そこは仕方ないだろ。現実的に、俺ら底辺の冒険者にはお前らみたいな力はないんだ。今回だってそれを思い知った。余裕が持てるのならそれでもいい。けど、実際には無理だ。小さな判断の遅れで死人が出る。固執も執着も、好きも嫌いも、そういうのは全部、パーティを崩壊させる原因になる」


「だからっ……~~っ、だからって……!」


 トゥエリはおそらく、俺に惚れている。

 処女だった。

 心を壊すほどに弱っていた時、一番に寄り添ったのが俺だ。

 二つ揃えば、夢見る少女の出来上がりだ。


 敢えて悪し様にでも言ってやろう、それぐらい今の状況は拙い。


 リディア達でさえ、役立たずの神官一人と女連れのパーティリーダーに辟易しているくらいだ。それで済んでいること自体が凄まじいとしか言えない。


 トゥエリに今のまま俺の支援をさせれば、おそらく別のパーティメンバーよりも多く意識を裂いてしまうだろう。

 どれだけ自制させようとも、それは確実に起こり得る。

 かつて俺が彼女を叱りつけ、ニクスと決別する原因になったことであってもだ。


「俺はパーティ内に恋愛感情を持ち込むのは厳禁だと思ってる。そいつは悲劇しか持ち込まない。だから、トゥエリとはここまでだ。ただ、今の彼女にそれを受け止められるのかが分からない」


 だから、悩んでいる。

 俺の中で既にパーティの解散は決定事項だ。


 今の関係を続けても、互いに不幸にしかなれない。

 冒険者である以上、割り切れる関係でなければ肉体関係なんて持つべきじゃない。引き摺られて死ぬのさえ当人だけとは限らないんだから。


「そんなの……トゥエリちゃんが可哀想だよ」

「一応、お前の所で面倒見てくれないかとも考えたんだが」

「駄目ね。そんな状態で、挙句最低男に捨てられたその子を見て、ウチのクズリーダーが喰い付かない理由がないわ。絶対に駄目。ギルドでも遭遇しない様にしないと拙いくらい」


 お前の中のゼルディス評が日々最低値を更新し続けているように思えるんだが、そっちのパーティも大丈夫なのか……?


「私の事はいいから。でも……そっか、ううん…………でもなぁ……」

「俺で出来ることがあったら教えてくれ。なんでもする」

「本当になんでもする?」

「覚悟は決めた」


 決めたと言ったのに、心底疑わしそうに睨まれて頬をつねられた。

 結構痛いぞ。


 はぁっ、とリディアは強くため息をついて、こちらを睨んでくる。


「だったらアンタ……しばらくここ、立ち入り禁止だから」


    ※   ※   ※


 トゥエリとはパーティを解散した。

 散々泣かれ、懇願され、あまりの動揺ぶりを見ている内に、またあの時に戻ってしまうんじゃないかと不安に襲われもした。


 けれど長い長い話し合いの末に、どうしても俺の意思を動かせないと知ったトゥエリは、自ら首を絞めたような声で。


『わかりました』


 そう応じて、部屋を出ていった。


 そうして今。

 地下への階段を上がって来たマスターが俺を見て、胸元をコンと叩いてから近くの樽へ腰掛けた。俺も習ってその隣に座る。


『――――――――――――――――――――――――――――!!』


 案外声は漏れないもんだ。

 女二人のヤケ酒を盗み聞くつもりはない。

 ただ、リディアが上手くトゥエリを引き込んでくれるのか、そもそもリディアの方が大丈夫なのかとか、下手な心配をしていたんだが。


「揺れますね」


 マスターが小さく笑う。

 どうやらいつも揺れていたらしい。

 地下の造りは結構しっかりしているが、上の家部分は年代物だ。


 もしかしたら、最初期に造られたものかもしれない。


 まあ、今はそんなことどうでもいい。

 色々あったが、どうにか今回も一人だけは守り切れた。いや、守り切れた、なんて勘違いも甚だしいか。


 それでも二人の怒声を聞くに、意味はあったんだと思いたい。


 困ったことに、俺の安住の地は一つ、失われちまったんだがな。


「っっ、今夜はちょっと冷えるな」


 呟くと、どこに隠し持っていたのか、マスターが小さな酒瓶を差し出してきた。

 有難く頂戴し、酒精が喉を流れ落ちていくのを感じながら、


「あぁ。まあ、悪くはないさ」


 立ち上がって、ふらりと街中を歩き始めた。



















トゥエリ編、完。


次はローラ編。陽気な吟遊詩人が登場します。

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