帰還
踏んだ雪がシャリシャリと音を立て、地面との隙間を雪解け水が流れていく。
風はまだ冷たいが、陽射しは熱く、日向に居れば心地良い。
木の枝から雪が溶け落ちた。
ドサリと大きな音を立てて、近くで穴を掘っていたリスが驚いて逃げ出す。それに驚いた
強い風を受けて、更に高く、飛んでいく。
「見えたな、クルアンの町だ」
冒険者の町。
俺達にとっての第二の故郷。
随分な長旅になったが、ようやく戻って来れた。
「どうだ、トゥエリ。見えるか」
振り返って問い掛ける。
すぐ近くに居た彼女がフードを取り、目を細める。
白い吐息が町へ向けて流れていった。
「はい。ちゃんと見えてます、ロンドさん」
※ ※ ※
まだ街道は雪に埋もれていたが、気の早い若造の商人達が行商にやってきているらしい。市壁を越えただけだっていうのに、気温が一気に上がったような気がした。
「それじゃあ、俺らはここで」
「気を付けて帰るんだぞ」
今日までしっかり護衛をしてくれていたミスリルの二人が片手を挙げて去っていく。
「ああ。世話になった! 今度奢らせてくれっ」
一人は家へ、もう一人はきっと酒場だろうな。
気持ちの良い奴らで、ここまでの道中でも随分と助けられた。
あれこそ冒険者ってもんだな。
振り返るのは一度だけ、後はもう風の向くまま。
運が良ければまた会えるだろうよ、ってか。
まあギルドは同じだから、その内顔を合わせるだろう。
「俺達も行こう」
「はい……ディトレインの埋葬、ですね」
「……そうだ」
諸々の処理は先に戻った受付嬢がなんとかしてくれている筈だ。
後は火葬したディトレインの骨を、ギルドの共同墓地へ納めてやるだけ。ついでに酒を買って行こうか。手持ちは少ないが、アイツは飲めない癖に酒が大好きだったからな。
俺の袖口を掴んだトゥエリと共に、活気を取り戻し始めたクルアンの街中を行く。
冬が終われば音が増える。
声が行き交い、笑い声も聞こえてくる。
様々なものが動き出していく、そういう季節の節目の上を、俺達も歩んでいく。
「――――だからよ、ギルドってのは互助組織なんだ。助け合いが大事ってことよ。お前らはまだ稼げない。俺は稼げる。まあ今の内は面倒を見てやろうって、そういうことだよ」
入口で新人を捕まえてご高説をぶってた野郎の頭にぽんと手をやり、奥の受付へ歩いていく。
途中、飲んでた年嵩の冒険者が陶杯を掲げた。
「ディトレインに」
気付いた他の連中も同じように掲げてくる。
「ディトレインに」「ディトレインに」
「勇敢だった獣族の娘」「あぁいい奴だった」「俺達の誇りさ」「酒が好きだったろう? 持ってってくれ」「今から埋葬か」「あぁ、後でな。邪魔はしない」「ディトレインに」「誇りある冒険者に」
トゥエリが目を丸くしているが、ニクスの時も似たようなことはあった。
アイツも長年ギルドに属していたからな。良かれ悪しかれ、人との関りは増えていくものだ。
塞ぎ込んでたお前は見る機会が無かっただけだよ。
「おかえりなさい。用意は出来ています。それと、これを」
差し出されたギルドのランク章を受け取る。
俺達のものじゃない。
今回、難易度の詐称があった中、ディトレインはアラーニェなんていう化け物を撃破にまで持ち込んでいる。
一応は俺達もまとめて昇格なんて話もされたが、あれは彼女の功績だ。
パーティ一緒に、ていうのもアリだとは思うが、改めて今回は力不足を感じさせられた。下手に昇格なんてして、高難易度へ挑めばああいうことになる。なら、まだまだシルバー以下で力を付けなくちゃならない。
トゥエリもこれには同意していた。
実力以上の名声なんて得ても、その先でもっと力があればと嘆くだけ。
弱いんだ、俺達は。
「見ろよ、ディトレインの奴、カッパーから一気にミスリルだ」
「はい。あの子、ずっと目標にしてるって言ってたから、喜ぶと思います」
異例の大出世だな。
こいつも骨壺に入れて埋めてやろう。
きっとアイツ、墓の中で先輩ら捕まえて自慢し始めるぞ。
「お前にも世話になった。その内、礼をさせてくれ」
「はい。ですけど、今はちゃんと休んで下さいね。ギルマスはもうしばらく黙らせておきますので」
「ははっ、黒輝の竜殺しがざまあないな」
他の連中にも礼を言って、そのまま共同墓地へ向かった。
クルアンの町を見下ろし、魔境のある東を睨み付ける、高台の墓地だ。
かつてこの地が、魔の蔓延る領域だった時代より戦い続けてきた者達の墓が立ち並んでいる。
他のギルドの墓もここにあり、皆、戦い抜いて、今は身を安んじている。
いつか魔が西方へ溢れ出した時、再び目覚めて俺達を助けてくれるんだと。
墓守りに案内され、目印となる竜骨から削り出した大きな石碑の足元へ潜る。納骨堂は、沢山の蝋燭に照らされていた。
妙な匂いも、荒れた様子もないのは、墓守りがしっかり仕事をしてくれている証拠だ。
階段を二つ降りた所でふと壁面へ目をやる。
巨大な二匹の竜が町を襲い、戦う冒険者達が描かれている。
一匹はウチのギルドマスターが仕留めたが、もう一匹は手傷を負って東へ逃げた。いずれ戻ってくるその時に備えよと、壁画に文字が刻まれていた。
今じゃあ二つも東に砦が出来て、ここいらじゃ迷宮から湧き出したの以外姿を見る事があまりない。
でも、そうだ。
今回、どうしてあんな所にアラーニェなんていう特級の化け物がいやがったのか。
もっと北の方から流れてきたって話だったが、あっちは魔物というより人間同士で長い事戦争をやっている筈だ。迷宮が発見されたって話もとんと聞かない。
「ロンドさん……?」
「あぁすまない」
考えても仕方ない。
今は、ディトレインを休めてやらないとな。
※ ※ ※
納骨を終えて、いつもの食事処でようやくの一心地。
道中の食事は冴えないものばっかりだったから、すっかり胃が縮んじまっていた。
食って、飲んで、やる事の無い店主を冷かして、そうしてまた、飲む。
「っ、いきます!」
「おう、無理はするなよ」
目を瞑ったまま陶杯を煽り、トゥエリの白い喉を何度も酒が通り過ぎていく。まだ一気には飲めないんだろう、ゆっくりとではあるが、着実に酒精がトゥエリの身体へ流れ込んでいった。
「っっぷはあ、はぁっ、っ、はぁぁぁ……」
「はは。そんな一気に飲もうとするとラーグロークに連れていかれるぞ」
「……え? なんですかソレ」
飲みっぷりの良過ぎる奴を連れ去る宴会の神について説明してやると、トゥエリはなんだか不満そうにしてまた酒を煽った。
「私は慈愛の女神ルーナに仕えていますから、大丈夫ですっ」
ぐびっといって、陶杯を空にする。
「もう一杯!」
「無理すんなよ」
「ロンドさんも飲みましょうっ。ふふ、私、飲める気がします」
そりゃあ慣れてない奴の勘違いだ、とは思ったが、ようやく安心して酔える環境に戻って来たんだ、湿気た事を言うより後の面倒を考えてやればいいか。
付き合って、一杯二杯と重ねていった。
「だいたいっ、ロンドさんの早とちりなんですよぅ……っ」
出来上がったトゥエリが持ち出した話題に、俺はまたかと首を引っ込める。
散々抱いた後で気にするのも馬鹿みたいな話だが、一応はと確認と詫びのつもりで言っただけなんだが。
「わらしとニクスは同郷なんれすっ。お兄ちゃんみたいな感じだっただけで……別に好きとかそういうの無いれすからあっ!」
ぐびぐびぐび。
「分かった。それは痛いほど分かったから勘弁してくれ」
「分かってないですぅ……! ロンドさんは遠慮し過ぎなんですぅ! ふふふっ!」
干して干して、更に干して。
「ロンドさんのことは尊敬してます。どうしようもなかった私を叱ってくれて、その後で面倒まで見てくれて……貴方だったから私は戻って来れたんです。他の人なんて嫌です。ねえ、ねえ聞いてますぅ? ふふっ」
折角対面へ逃げてたのに、回り込んで身を寄せてくる。
村でも散々味わった身体だ。
状況は状況として、これ以上ないってくらいに堪能したと、今なら言える。だから余計に拙いんだってことを理解して欲しい。
「ふふっ。ロンドさぁーん。ふぅぅっ」
「あまり調子に乗ってると痛い目を見るぞ」
「きゃーっ、えっちー!」
なんでしがみ付いてくるんだよ。
神官って、色々溜まりやすいんだろうか。
抑圧とか大変そうだよな。色々と。
「うひひ。おひげじょりじょり。じょりーっ」
玩具にされ、笑われたり、怒られたり。
でもまあ、戻ってきてくれたんだと思えば、成すが儘になるのも悪くはない。
これで未だに夜中飛び起きることもあるんだから、完全に吹っ切れたとは言えないだろうしな。
でも確かに、一歩一歩、踏んでいけているんだと思うことにするよ。
「ねえ……ロンドさん、今夜」
「分かった。落ち着くまで、好きに寄り掛かってろ」
「……はい」
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