援軍

 雪山を駆け下りる。

 足元が悪く、何度も足を取られた。

 だが蜘蛛の魔物共は数を頼りに俺達を包囲し、詰め寄ってくる。


「っ、魔法の効果は使うなよっ、雪崩が起きる!」

「分かってる!」


 計算外だったのは、この不安定な地形でこそディトレインの力が存分に発揮されたことだ。

 木を蹴り、坂道を駆け上がり、敵集団を薙ぎ払っては舞い戻る。

 蜘蛛の糸、魔法も、彼女の動きを捉えきれない。おかげで絶望的と思われた逃走にも可能性が見えてきた。


 一方で、俺はトゥエリを守りながら逃走を援護しているが、既に盾を喪失していた。

 糸に絡め取られれば切断するのも困難だ。

 防具も、持って行かれるままに手放している。

 そうまでして逃げ続けても敵は離れない。

 親玉のアラーニェは悠々と下山してくるが、子蜘蛛は獰猛に襲い掛かってきて俺達を食おうとする。

 その食欲たるや、俺やディトレインが処理した同族を喰い始めるほどだ。


「ディト! 魔法が来る!」

「っ、にゃ!?」


 物凄い速度で戻って来たディトレインを受け止めて、一緒になって転がりながら、なんとかトゥエリの作った障壁の内側へ転がり込んだ。


 紫色の、液体がそれへ飛び付き、飛び散って匂いをまき散らす。

 むせ返るような甘さに意識が遠のいた。


「っ、ぁ、っっ――――」

「大丈夫っ、浄化します!」


「~~っ、すまん!」


 アラーニェの毒か。

 男というだけで問答無用の幻覚に堕としてくる。

 不快なだけならともかく、この蕩ける様な快楽の感覚はどうしようもなく俺の意識を犯してきた。

 浄化はされて、幻覚は消えた筈なのに、抱き留めたディトレインの身体が欲しくて仕方なくなってくる。


 頬を叩き、意識を保つ。

 くっそたれの馬鹿野郎が。こんなことで仲間を失ったら後悔してもし足りない。


「うおー、なんか固い感触が」


 気付くな馬鹿!


「にっはは! 今ならロンドさん誘惑しほーだーい!」

「本気で死ぬから止してくれ。逃げるぞ!」


 あの魔法、どうやら子蜘蛛にも効果があるらしい。

 オスだのメスだの見分けは付かないが、共食いが更に激しくなってきた。


 これならいけるか、そう思った所でアラーニェが飛び上がる。


 周辺の木々をなぎ倒し、粉雪を巻き上げ、女の肢体を晒した蜘蛛の化け物が笑い声をあげて俺を誘った。

 違う、これは笑っているように聞こえているだけだ。

 あの声も、誘う様に見える顔も、それがリディアのものに見えているのも、全て幻覚だ。


 しっかりしろよロンド=グラース!!

 このまま仲間を死なせるつもりか!!


「っっっ、っ!!」


 左腕へ思い切りパイクを突き刺して正気を取り戻す。

 痛みがあれば、まだ耐えていられる。


「お前らはそのまま逃げろ!」


 引き抜いた、俺の血がついたパイクで脚に斬り付ける。器用に逃げられ、何一つ効果はない。だが、側面へ回り込んだ俺をしっかりアラーニェは捕捉してきた。


 そうだ。来い。俺がいいんだろ。男を誘惑する最悪の化け物。なら、この状況で一番に欲しい得物は俺の筈だ。


 左腕が回復されていくのを感じながら、再びパイクで一突き。

 当たらない。

 本当に機敏だ。

 こんなの、ミスリル共はどうやって狩って


 ぁ――――――――――――――――――――――――――――あーーー、


 っっだから! 一々靡いてくるなよクソ蜘蛛が!


「悪いが好みじゃないんでなァ!!」


 深く踏み込んで突き出す。

 当たった。

 が、当たっただけだ。

 まるで刃が立ってない。

 鋼鉄の如き糸を吐き出す魔物だから、皮膚まで全部鋼鉄製ですってか。なら脆い部位を狙い、っと!?


 アラーニェの脚が木の盾を貫通して左腕を突き刺す。

 子蜘蛛に取り付かれた。

 背中の肉をごっそり持って行かれる。引き剥がそうとした所で更に別の奴が飛びついて、伸ばした腕へ食い付かれる。拙い、このままじゃ。


「にゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 極大の爆発が直近で巻き起こり、問答無用で吹き飛ばされる。

 あまりの爆音に聴覚が掻き消えた。

 だが、怯んだ蜘蛛が逃げて行ってどうにか生き残れた。


 腕は、まだある。

 音が繋がった。


「ロンドさん!」


 背中の傷が癒えていく。トゥエリか。

 体内に入り込んだ毒がまたぞろ幻覚を見せてくるが、必死に腕を噛んで意識を保った。

 くそう、血が。


 ディトレインは奮戦した。

 もう雪崩れも構わず魔法効果を使い、片っ端から小蜘蛛を粉砕し、アラーニェへも肉薄する。

 鋼鉄の皮膚も獣族の膂力と爆発の威力には敵わなかったのだろう、脚を吹き飛ばし、身体を真っ赤に染め上げ、けれど。


「ぁ……………………」


 唐突に、駆け込んでいたディトレインが静止した。


 アラーニェの毒だ。

 男に特別効き易いってだけで、女が無効化出来てる訳じゃなかった。加えてディトレインの鼻は鋭い。通常よりも効き目が強いんじゃないのか。


「俺はいいっ、ディトレインを!」

「わか――――っっ!!」


 アラーニェが奇声をあげて魔法を乱射する。

 脅威だったディトレインを無力化出来て、今度はそれを癒す神官に狙いを定めたんだ。


 多重に張られた障壁が瞬く間に粉砕され、庇い出た俺の半身が焼け焦げ、肉が吹き飛ぶ。それでもどうにか踏ん張り続けた。


 ちょっとでも気を抜けば意識を持って行かれそうだ。

 回復はされているが血が抜け過ぎた。

 挙句幻覚は常に俺を襲ってきて、今にも快楽に負けてトゥエリを押し倒したくなっている。痛みも興奮も、とうに頭の許容量を超えていた。まどろみにも似た弛緩の中で、けれど敵を睨み付けて立ち続ける。


 この一瞬、瞬きの間にどれだけ意味があるんだろうか。ボロボロになった時に限って、そんな事を考える。


 結論なんざいつも決まってる。

 仲間を庇って立つのがタンクだ。

 俺にこの化け物は倒せない。

 状況を動かす力が俺には無い。

 だが、一秒でも、二秒でも長く時間を稼ぎ出すことは出来る。


 後は仲間を信じるだけ。


「ディトォっっ!!」

「っ!?」


 繋いだ時間でトゥエリの浄化が届いた。

 覚醒したディトレインがこん棒を手にアラーニェへ襲い掛かる。


 特大の爆発が巻き起こり、今度こそ奴の上半身が吹き飛んだ。


「やった!!」


 崩れ落ちていくアラーニェ。

 周りを囲っていた小蜘蛛共が僅かに動きを止める。


 そうして、


「っ――――っっっ!?」


 最後の最後で、アラーニェの脚に胸を貫かれたディトレインが宙にぶら下がっていた。


「ぁ………………………………よかった」


 子蜘蛛達がディトレインへ殺到する。


 トゥエリが悲鳴をあげながら回復を掛けた。

 だが。


 だが。


「敵を掃討しろ!! 掛かれェ……!!」


 声が来た。

 空を舞い、芝居掛かった声で号を叫んだ男が頭上を抜けていく。

 虹の光が煌めいたかと思えば、そこら中に湧き出していた子蜘蛛共が片っ端から塵となって消滅していく。


「あっ、あああああっっ!!」


 その余波があった訳じゃなかったが、死んだ親にまで食い付いていた子蜘蛛共が、ディトレインのぶら下がっていた脚を食い千切って塊ごと雪山を転がり落ちていった。


 背後から駆け上がって来た冒険者達が俺達を追い越し前へ出る。


 ある者は紫電と共に槍を振り回して。

 ある者はただ漆黒の剣で。

 ある者は白銀の弓を手に光の矢を放ち。

 あるいは杖を手にした魔術師が茨の檻を築き上げ、氷雪で包み込み、放った光球から生み出された光の筋で切り刻み。

 またある者は遠吠えと共に肉体を変容させ敵へ吶喊し。

 逃げる子蜘蛛を謎の球状生物が喰らい付いて増殖を続け。

 

 凄まじい速度で、凄まじい力で、あれほど苦戦した子蜘蛛の大軍が蹂躙されていった。数の問題じゃない。戦いの質が違い過ぎる。それを改めて思い知らされた。


 その支えとなっている者の姿を見た時、俺は最初、これも幻覚なんじゃないかと思った。


「リディア…………」


 展開する仲間達に加護を届け、的確に戦場を形成し、敵を殲滅していく。

 まるで彼女を中心とした一つの生物のようにも思える動きに圧倒されつつも、動かない身体でずっとディトレインの姿を追っていた。

 まだ生きてる?

 もう死んでる?

 生きているなら、彼女なら、もしかしたら。


 いや………………何を考えているんだ、俺は。


 それから追加で数体のアラーニェが出現したが、アダマンタイト級を複数含むパーティ相手にどうこう出来る筈もなく、本当に呆気無く、敵は殲滅されてしまった。


    ※   ※   ※


 「終わったな。帰るぞ、リディア」


 言い捨てて、本当にゼルディスは帰っていった。

 村へ寄るだとか、後始末をするだとかいう思考は無いらしい。

 どこかに野営があるのか、呼ばれたリディアは無表情のまま、気遣わし気に俺達を見ているが。


「すまない……助けてくれたことの礼をしたいんだが、仲間が一人、山の下へ落ちていった。まずはそれを確認させて欲しい」


 既に俺達はリディアによって回復を受けた。戦闘中だっていうのに、トゥエリとは比べ物にならないほど素早く、苦痛なく、完璧な治癒だった。

 仲間の誰一人アラーニェの毒にやられた様子も無かったのは、なにかそういうものへの対策もしてあったってことか。


 血が抜けちゃあいるが、そんなことはどうでも良かった。


「それなら、私も」

「いや。手遅れだ」

「っ……」


 言い出したリディアに首を振る。

 そうなったのを、はっきりと目視した。


 人死にを嫌う彼女を気遣ってやりたいが、今はどうにもならない。

 トゥエリを支え、なんとか下山して行こうとしたら、長槍を持った軽装の男と黒剣を持った重装備の男が寄ってくる。


「同行しよう。まだ討ち漏らしがいるかも知れない。姉さんは他の連中と一緒に戻っててくれ」

「だけど……」

「大将の機嫌を損ねると、村の方が面倒になる。毎度調整役を任せて悪いが、姉さんにしか出来ない事だ」

「安心してくれ。俺達でしっかり護衛する」


 ミスリル二人の護衛とは、随分と豪勢なもんだ。

 彼らが来てくれた理由、それを薄っすらと考えながらも、不安定な雪の山道を降りていく。


 気付けばここは、村へ向かう途中にも通った場所だ。

 あの時はディトレインも一緒で、延々と続く道に泣き事を言っていたか。


「トゥエリ、お前は戻っても」

「っ、ぁ……いえ、わ、わた、し、も……」


 リディアと一緒に戻って貰えば良かった。

 戦闘中でも錯乱することなくしっかり役割を果たしてくれたが、この先は酷いものを見ることになる。

 だが、帰した所で結果は変わらない。

 また現実を受け入れられないまま前のようになってしまうのであれば、せめて一緒に居てやる方がいいんだろうか。


 くそっ。


 ようやく上手くいきかけてたってのに。


「あれか」

「待ってくれ、数匹残ってるな。処理してくる」


 そうして。


「ぁ…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぁ、ぁーーーー……」


 トゥエリの心が、完全に壊れちまった。





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