匂い

 調査を始めて三日、天候に恵まれたのもあって村周辺は概ね浚い終えた。

 二箇所、小規模ながらスノーリーフが生えている場所を発見し、ディトレインがその匂い嗅ぎ分けられることも証明され、村は大いに沸いた。

 戻ってくる度に凱旋でもしたような歓迎ぶりで、食事や酒も惜しまず提供してくれた。俺がまだまだ気が早いと言っても聞こうとせず、まあまあ余っていますからと押し付けてくるんだ。


 この地域の冬は短い。

 もう半分以上は過ぎているから、心配性のアーテルシアもそろそろ安心して引っ込んでくれる頃合いだ。


「こっち! こっちの方に同じ匂いが一杯するよ!」

「待てディトレイン。この先へ行くには帰りが不安だ。日帰りが難しくなる」

「うーん、でもこっちなんだよーっ」


 冬が終わればスノーリーフは枯れる。

 種子を飛ばし、次の積雪に備えて眠りに付くんだ。

 種は種で良い香辛料になるんだが、薬効があるのは花弁と葉らしいから、種に栄養を吸われて枯れてしまうと商品価値はがた落ちになる。


 焦る気持ちは分かるが、もうちょっと着実にだな。


「日没にはまだ余裕がありますから、もう少し奥へ行ってみませんか?」


 悩んでいた俺に、トゥエリが意見をくれる。


「天気もいつまで続くか分かりませんし……それに、毎日あれだけ歓迎されてしまうと、成果を出さない訳には」

「実際そういう脅しも含んでいる、くらいに思っておけ。村の人間だって必死なんだ、強かなくらいでないと生きてはいけない」


 悪く思う必要はない。

 俺も、トゥエリも、ディトレインだって、そういう場所で生まれ育った。何が原因で飛び出したか、はそれぞれだが、分からない話でもないだろう。


 高く頭上から降り注ぐ陽の光を浴びながら、ここまでの道を振り返り、この先の道を見る。やや吹き上がってくる風から見るに、谷間になっている感じはするな。


 一応常に野宿の可能性を考えて、天幕などは持ち込んでいる。

 休憩もしっかり取っているからメンバーの体調はすこぶる良い。


「すんすん、あれ?」


 ディトレインが吹き上がる風に身を晒しながら首を傾げた。


「ねえロンドさーん」

「どうした?」

「匂いがする」


 うん?


 トゥエリと見合って、ディトレインの所まで歩いていく。

 何も感じない。敢えて言うなら、鼻水が凍りそうだってことくらいだ。


「依頼書にあった匂いだよ。いい匂い。分かんない?」

「分からんな。トゥエリは?」

「私も……全く感じ、っくち」


 可愛いくしゃみだな。

 二人して見たら拗ねられた。


「わからんな。村での匂いならともかく、こんな村から離れた場所に依頼書からした匂いがするっていうのは」

「おいしそう。なんか甘い感じ」

「甘い、か」


 少なくともスノーリーフの匂いではない。

 目的のものとは違うのなら、敢えて近寄るべきじゃないだろう。そう思って引き返すよう言おうとした時だ。


 人の声を聞いた。


「っ!!」


 耳を澄ませる。

 また聞こえた。

 はっきりと言葉になっていないが、確かに、必死に何かを呼ぶような声だ。


「どうしたんですか、ロンドさん?」

「聞こえないか?」

「え?」


 ディトレインを見るが、彼女も首を振る。

 耳の良い獣族で聞こえなかった? だがあんなにもはっきりと聞こえて……。


「まただ。女の声がする」


 ダレカ。タスケテ。ダレカ。タスケテ。


 息も絶え絶えで、今にも死んでしまいそうな女の声。

 それが一瞬、リディアのものと重なる。


「ロンドさん!!」

「っ!?」


 横合いからトゥエリにしがみ付かれた途端、意識が雪山へ戻って来た。

 首元を撫でる寒風に身を縮め、視界がはっきりする。


「しっかりして下さい! ロンドさん!!」

「あぁ……すまない。今、はっきりした。っ、俺はどうなってた」


 立っている位置が違う。

 ディトレインを追い越し、坂道を降り始めようとしていた。


「急にぶつぶつ言い始めて、声を掛けても反応してくれませんでした」

「っ、くそう。悪かった。すぐにここを離れよう。ディトレイン?」

「うん、わかったにゃ」


 まだじっと坂の下を見詰めていたディトレインに声を掛け、俺達は出来るだけ素早く、慎重に来た道を引き返した。


 あれはなんだったんだ。

 幻覚? 迷宮にはその手の魔物も居ると聞くが、中層の深部まで行かないと出くわすことはない。無論、半ばまでしか踏破したことのない俺が知る相手じゃない。


「トゥエリ、結界を張れるか? 何らかの精神攻撃を受けた可能性がある、早めに浄化して欲しいんだが」


 雪道を進みつつ話を進める。

 俺が殿、真ん中にトゥエリ、先頭をディトレインが固めている。


 知らず武器を抜いていた。

 盾もある。防具もしっかり着込んでいるが、革製のものだ。鉄製のものでは肌に張り付いて取れなくなるから、防御面は最低限にしてあった。


「ごめんなさい。私では移動しながらでは。一度どこかで立ち止まれれば浄化だけでも」

「匂いが追ってきたにゃ」


 ディトレインがこん棒を手に後ろへ回ってくる。


「待て。まだこのまま先へ。ここは地形が悪過ぎる」

「駄目、追い付かれる」

「っ、くそ!」


 道幅は広くとれているが、右は急斜面で木々が群生し、左は崖。

 奇襲を受け易く、留まるには向かない地形。


 すぐに武器を構えて警戒するが、まだ敵の姿は見えない。


 だがディトレインには知覚出来ているらしい。

 荷物を投げ捨て、申し訳程度の防具も外して攻撃態勢を取る。

 その背に、俺がそっと触れた。


「絶対に出過ぎるな。俺達三人でパーティだ。三人一緒に戦って、そうして、生きて帰るんだ。いいな」

「うん。うんっ、ちゃんとやる。皆守る。トゥエリも、ロンドさんも、大好きだもん」


 トゥエリが杖を掲げ、光が俺達を包む。

 一緒に浄化もしてくれているらしい。この辺りの手際の良さは、ちょっとリディアのやり方に似てきた気がするな。


「一発、かましてきていい?」

「敵が分からない。確実にやれる相手か見極めてからだ」


 音が来た。

 カサカサと、何かが蠢いて寄ってくる。


 あぁ、これは、最悪だ。


 まだ見えない敵を、ギルドで聞いた体験談から推測する。

 獣族の感知出来る匂い。そして男にだけ作用した幻覚。この無数の足音に、スノーリーフが大群生するほどの魔力源がある場所とくれば、もう。


「アラーニェ。幻を見せて男を誘い込み、喰らうと言われる蜘蛛の魔物だ。しかもこの様子じゃ、卵が孵化しているな……食料の乏しい冬にどうして産卵なんぞ始めたのかは知らないが、討伐するならミスリル以上の実力者が必要になる」


 勝てない。

 一番高くてシルバー程度の俺達じゃ、逆立ちしたって勝機は無い。

 幻覚だけでも厄介なのに、軍団として攻め寄せてくる魔物だ。しかもアラーニェ本体は様々な魔法を用いてくる上、吐き出す糸は鋼鉄並の固さで、絡め取られたら抜け出す術はない。


「撤退するぞ。荷物は全て放棄。村へは戻らず、下山する道を取って引き剥がす。それ以外に俺達が生き残る道はない」


「でもっ、村の人達は!」


「連中はコレを分かっていて俺達に依頼した可能性が高い。でなければ、依頼書に匂いが付いている筈がないだろう」


「じゃあ……見捨てる、って、ことですか」

「見捨てる」


 感情論に振り回されている場合じゃない。

 仮に戦ったとして、俺達まで犬死にするだけだ。

 判断を誤るな。

 俺達は冒険者。

 英雄じゃない。

 吟遊詩人の詩のようにはいかないんだ。


「パーティリーダーは俺だ。指示には従って貰う。文句なら、ギルドへ戻った後で幾らでも聞いてやる。だから、今は逃げろ」


「来るっ!!」


「逃げるぞ!!」


 前のめりになるディトレインの首根っこを掴んで後ろへ放り投げる。

 同時に腰元から袋を取り出し、前方へ投げ付ける。たんまりと薬草や香辛料を詰め込んだ魔物避けだ。どれが効くのも分からないから片っ端から行く。


 キシャァァァァァァァァァァアァアアアア!! と、女の顔をした蜘蛛の化け物が叫びをあげ、雪山に姿を現した。





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