分岐点①

 ザルカの休日もそろそろ終盤だろうって言われ始めた早朝にそれは起こった。

 期間中はギルド内の客室や救護室が解放されるから、普段よりも人が多くなる。そんな中、荷運びのクエスト期間が昨日で終わっていた俺は新しくいい仕事がないかと顔をだしたんだが。


 「リディア……君には失望したぞ」


 ゼルディスの吊し上げが始まっていた。

 いつもの奥まった所じゃなく、並ぶ机の間で立ち話。

 話をしていてそちらに流れたんじゃなく、やってきたリディアに野郎が食って掛かってる印象だ。

 

 頭を掻いて、また酒場待機で話でも聞いてやるか、なんて思っていた俺は、続く言葉に凍り付くことになった。


「我々全ての冒険者が必死に戦っていた中、君が誰とも知らない男と会っていたという話を聞いた。確かな情報だ。以前から君の単独行動は目に付いていたが、まさか仲間を見捨てて男遊びに呆けていたとはな」


 ギルド内にざわめきが広がった。

 この手の荒れた時期に男女が睦み合うなんざ珍しくも無いが、対象がリディア=クレイスティアとなれば話は別だ。

 多くの男共が憧れて、けれど触れる事の叶わない堅物として有名な彼女。

 憤るというより、下世話な興味を呼んでも仕方ない。


「なんとか言ったらどうなんだ! 信じていた仲間に背いてっ、一人肉欲に溺れていたんだろう!? 謝るくらいしたらどうなんだ!!」


 次いで、密告人が分かった。

 例の役立たず神官だ。

 今もゼルディスの腕を抱いてリディアを笑いながら見ている。


 あの時か。疲れのあまり変装もせずに店へやって来た。普通なら明日への準備とか、自分の体調を整えるので誰もが手一杯になる中、なにもせずキャーキャー叫んでいるだけの神官なら下世話な行動も取れるだろう。


 どうする? つっても、ゼルディスの野郎がドンドン話を飛躍させてるだけで、周りの反応は懐疑的だ。

 そりゃあ、事実はどうあれ、あのお堅いリディアが男遊びをしていたなんて言われても、前の俺だって信じないだろう。

 第一見られて拙そうな場面では、マスターが表に出ていて覗かれたとは思えない。


 上手く返してやれば。


 リディアは頭が回る。

 どうせ女の証言だけで、はっきりとした証拠すら無いんだからな。

 適当にはぐらかしてやればそれで話は――――


「ぁ…………」


 駄目だ。

 さり気なく歩いて横顔を覗いた途端に分かった。

 アイツ、思わぬことを言われて頭が真っ白になってやがる。酒場じゃ見る事もない無表情だが、直感的に理解出来た。

 今のアイツはザルカの休日を乗り越えることに必死で、てんで余裕を持てていない。日々大量消費される魔力を回復させる為、寝る間も惜しんで祈りを捧げている筈だ。いつ倒れたっておかしくない身でどうにか自分を支え、誰も死なせないようにって戦場に立ってきた。


 だから、今の彼女には何も言えないことが分かった。


 なので俺は、すぐ隣で飲んでた奴から問答無用で酒瓶を取り上げ、口に含んだ分を手首へ、そして残りを頭に被る。

 カッとなってた分が冷えてちょうどいい。


「…………その沈黙は肯定と取るぞ。っ、まさか君がそんな恥知らずな事に及んでいるだなんて……! ふざけるなっ!! あの――――」


「よぉおおっ、こんなところに居たのかよォ……! リーディーアーさーん? ははははは!」

「きゃっ!?」


 完全に思考が停止していたらしいリディアは、俺に絡まれてなんとも可愛らしい悲鳴をあげた。が、すぐにこっちの顔を見て顔を赤らめる。……その反応はなんなんだ。まあいい。


「待ってても中々来てくれねえからこっちから来ちまったぜえ。ったくよお、あぁ、お前だから特別なんだぜえ? 言ったろう。いい話なんだ、感謝されたいくらいだぜ。あぁでも、金とかそういうのよりよ、もっと分かり易く感謝してくれてもよ」


 言いつつリディアの胸元へ手を伸ばす。

 周囲の視線なんぞ知った事か。どうせな。


「おい。その汚い手を離せ」

「ァん?」


 止める奴が居る。

 ゼルディスは冷え切った目で俺を見て、掴んだ手を握り込んで来た。


「痛っ、痛てえ!? くそ!」


 マジで痛い!

 なんだこいつっ、その細腕でなんでそんな馬鹿力が出るんだよ!?


 演技の必要もなく怯んだ俺を見て、ゼルディスの野郎はリディアを庇い立つ。


「リディア」

「………………」

 おい返事返事。視線を送ると、ハッとしたリディアが結局言葉もなくゼルディスを見た。頭真っ白は継続中か。

 そんな中、英雄サマは気持ち良さげに前髪をかき上げて見下してきた。

「過ちを詫びよう。君がこんな程度の男に靡くとも思えない。どうやら彼女の勘違いだったようだ。それについては後程、という所だが」


「っるせえ! テメエ何様だ! 俺の女だぞ!」


 言った途端、無表情だったリディアの頬が赤くなった。

 止めろ。そういう反応は違う。見られたら面倒だろうが。顔は隠せ。


「っは! 何かと思えばシルバーランクか。チンピラ同然の輩なぞリディアの名を呼ぶこと自体烏滸がましい。あぁ、先ほどは彼女の胸元へ手を伸ばしていたな。その不敬だけで万死に値する」


 ええっと、なんだっけ。半ば聞いてなかった。

 おこがどうとか、ばんしーがどうとか、無駄に小難しい言葉を使いたがる奴だな。とりあえずおこなんだな、分かった。


「上等だ! じゃあテメエはなんなんだよっ! ひょろひょろの癖しやがってっ、ド新人かオイ!」

「ははははははは! 見るがいい」

「なっ!? はあ!? そ、そいつは!」


 正直アダマンタイトのランク章なんて見た事ないんだが、分かってることにしよう。


「ひっ!?」


 怯えて見せた俺に野郎が悠々と一歩を踏み出してくる。

 それに合わせてまた下がる。

 なんだか最高に気持ちよさそうな顔をしてるが、後ろで庇われてる筈のリディアの目が寒気を催すほどの冷たさに達しているぞ、お前。

 おかげで怯える演技をする必要もないんだがな、俺も。


「去れ。次その顔見掛けたら、我が虹剣が跡形残らず消し飛ばしてくれる」

「ちぃっ、おぼえてやがれ!」


 流石に消し飛ばせるのは事実だろうから、気が変わらない内に俺は逃げた。

 うん、おぼえてやがれって言葉、一度言ってみたかったんだ。


    ※   ※   ※


 「ごめんなさいっ!!」


 その日の夜、いつもの様に変装してやってきたリディアが平謝りしてきた。


「いいや、勝手にやったことだしよ、気にするなって」

「でも、私なんか頭が真っ白になっちゃって……もっと上手く切り抜けられたよね、絶対」

「あぁそれは見たら分かった。だからまあ、仕方ないってことよ」

「そっか……見て分かったんだ……」


 じっとこちらを見詰められ、こっちもつい息が詰まる。

 あんまり意識しない様にしているんだが、やっぱりリディアは美人だ。とんでもなく美人だ。だから、そんな奴に頬を染めて見詰められるとな、流石に俺も勘違いしちまうというかだ。


「あっ、怪我してない? あいつ馬鹿力だから、手首とか」

「あぁ。実は結構痛みがあるから、回復してくれると助かる」

「わかった!」


 それで態々杖を持ってきてたのか。

 前に変装してコボルド討伐に協力して貰った時も、杖だけはいつも使っているものを持ち込んでいた。

 神官としての仕事には妥協しない奴だな。

 おかげさまで俺の手首は元通り、むしろ前より調子が良くなった気さえする。


「おー、ありがとな。流石アダマンタイト様、カッパーとかシルバーの神官じゃあ、時間も掛かるし、痛みとかもな」

「治すことばかり優先してると、淀んでた流れが戻った時に痛みが来るの。そこを上手く調整してあげるだけで回復は素直に通るよ」

「ほう。是非下々にも教えてやって欲しいくらいだ」


 そっかな、なんて言いつつリディアは俺の手首を確かめるみたいに触診してくる。

 しかも完璧主義だ。

 治ったって言ってるんだから、信用してくれてもいいのによ。


 と思ってたら、何故かおもむろに俺の手を胸に当てた。

 がっつり掴ませる感じで。


「…………それは何か、アダマンタイト級の診療方法だったりするのか」

「え? いや……えぇとぉ、ギルドで触りたそうにしてたから、かな?」

「いやそういうつもりはなかったけど」


 なんで半眼で睨んでくるんだよ。


「いかがです?」

「まあ、すばらしい感触だな」

「これがちゃんと分かるなら、手首もしっかり治っていることでしょうねえ」

「よし飲むか。素面の奴が言ってるの聞く堪えないわ」

「あーっ! もうっ、乗ってよ!? なんか自分でやってて恥ずかしくなったんだからさあっ! 情けとかないの!?」

「いいからぐびれ」


 ダン、とカウンターに陶杯が叩き付けられる。


「っぷはあ! やーん、戦士くんのえっちー。いつまで触ってるのお?」

「お前が離してくれないからな。まあ、俺も敢えて手放す理由もないんだが」

「えっちー、きゃははは!」


 なんて一頻りふざけた後、結局最初の一杯しか飲まなかったリディアがカウンターに頬杖をついてこちらを見る。


「ホントに助けてくれた」

「あん? いや、そういうんじゃないだろ」

「じゃあなによぉ」

「いや………………なんだろな」


 限界と見たら連れ出してやる。

 そう言ったことを忘れてた訳じゃないが、もっと衝動的だった。

 言葉にするのはちょいと気恥ずかしい。だから、行動ってもんがあるんだろうけど。


「あぁそうだ。あの後さ」


 俺が悩んでいたら、先に気を取り直したリディアがギルド内の状況を教えてくれた。

 防衛は今まで通り。

 絶好調で暴れ回ったゼルディスのおかげで誰の犠牲も出なかったらしい。好きになれない奴だが、そこは純粋に讃えてやりたい。犠牲者無しは良い事だ。

 夜は魔物も迷宮に戻るから、今頃は正規兵がようやく仕事をしている状態だな。


「だけどアイツ、夜になって戦士くんのこと探り始めてさ」

「おいマジかよ」

「あーでも大丈夫。それぞれの判断は分からないけど、ギルドメンバーの誰からも君の名前は出なかったから」

「それって俺、知名度低過ぎですかってことか」


 まあ分かってる。

 大多数の冒険者からは歯牙にもかけられてないのは事実だろうしな。ただ昔からの顔なじみは居るし、受付嬢に聞けば確実に俺の名前が出る。

 黙っててくれたってことか。

 それは割と、本気で助かった。


「アダマンタイトに目ぇ付けられたら、もう終わりだからな。他所のギルドへ逃げる事も考えてたよ」

「うん。良かった。流石にそこまでになったら、もう私が養ってあげようかと思ってたところだから」

「止めとけ止めとけ。お前はもっと、自分の為に稼ぎを使え。でなきゃ割に合わないだろうが」


 笑いながら言うと、じっと睨まれた。

 だからよ。


「まあでも、流石に潮時かもな」

「えっ……」

「リーダーに顔が割れたんだ。あの後も普通に会ってるって分かったら、揉めるだけで済むかねぇ。気持ち良く成敗したから、隅でこそこそ生きてる分には見逃してくれるだろうけど」

「あ……ええと……」

「すぐにとは言わない。けどな、根本的な部分を解決出来ないのは……敢えて言うが、お前の弱さが原因でもある。いっそ飲んで暴れて、野郎の顔を引っ叩いてやるくらいの事はしてもいい。それを認めてくれる、ちゃんと分かり合える仲間を作っていくんだ。その協力ならしてもいい」

「っ、で、でもっ」

「ザルカの休日はまだ続く。これを乗り越えたとしても、冒険者としての人生は続くんだ。寿命で死ぬまで今のメンバーを支え続けるつもりか?」


 キツい事を言っている自覚はある。

 ここはリディアにとって逃避の場だった。

 だから思う存分吐き出して、明日を頑張る力になるならそれだけでも構わないとも思った。

 ただ、見ちまったから、聞いちまったからな。


 限界を超えて張りつめているこの女をどうにかしたい。


 例えば、なんてことも考えちまうが、それじゃあ今まで耐えてきたコイツの誇りはどうなる。

 リディア=クレイスティアは冒険者だ。

 俺なんかと違う、歴史に名を残してもおかしくない、偉大な神官だ。

 夢を押し付けたいんじゃない。

 他ならないリディア自身がそう望んでいるのならと。


「少しずつでいい。俺も発覚しないよう手は尽くす。その間に、お前の理解者を増やしていければ、ゼルディスがどうゴネようと上手くいくようになる。いいか、ギルドっての互助組織だ。俺ら下っ端だって、上位パーティ様の稼ぎにぶら下がってるだけじゃない。お前が神官で居るのなら、そう出来るように協力する。協力させる。馬鹿野郎をぶっ飛ばす力があれば……もっと話は早かったんだがな」


 本当に限界と感じたら連れて逃げてやる。

 その上で、手を出す瞬間まで傍観者で居るんじゃなく、彼女が望む形になるよう努めてやる。


「それにな、俺だって夢見たんだよ。勇敢で、恰好良い冒険者ってのによ。だからお前に飼われてやることは出来ない。十五年もぶらぶらしてきたが、最近ようやく腹が決まってきたんだ。誰かさんのおかげでな」


「もう……っ、もぅ…………!」


 ぽろぽろと涙を流すリディアを眺めながら、改めて思う。

 俺もまた冒険者だ。

 ランクなんざ関係無い。

 今思えば、あの日憧れた奴だって、今の俺と似たような低ランクの冒険者だったんだろう。それでも夢は変わらないさ。


 お前みたいに、俺ももっと自分を研ぎ澄ませて、強くなりたい。


「ふふっ。本当に……ねえ、ロンドくん」

「急に呼ぶなよ、こそばゆい」

 俺の名前を甘く食むみたいにもう一度唱えて、

「なら、もう一つだけ甘えて良い?」

「おう。なんでも言え。明日に無理の出ない奴でな」


 リディアは大きく息を吸う。

 震える喉を抑えつけるほどに一杯吸って、張りつめさせて。


 今までずっとそうしてきたみたいに。


 けれどやっぱり、甘える声で。


「明日からザルカの休日が終わるまでの間、私と一緒に戦って欲しい」





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