第2話
差し迫っているタイムリミットと重くのしかかる人の重さを体感しながら一人だけで現状を支える命綱のワイヤーの操作に気を張りながら握る拳に力を込めてゆっくりと上に前進していく。
「人ってやっぱ重いよな」
そう呟いて同体で結んだロープが外れて落ちていない事を確かめつつ結んでいるローブを切っていっそ身軽になった方が助かる確率はあがるだろうかと少しだけ邪な考えが過る。
ただ気を失っているわけではないのでその気持ちはちゃんと抑えてまた一歩上へ。
しかしこのままのスピードで進んでも脱出には確実に間に合いそうにないのをじりじりと感じていると隣の壁がゆっくりとだが下に降り始めた音がした。
「お、これは」
それに気が付いてからはただ上に上るのをやめて先ずは動いている壁側までワイヤーを操作して体を徐々に近づける。
その間に少しでも上に自分の位置を動かしながらついに壁が自分の位置より下に過ぎたタイミングでこれまで内側に張っていたワイヤーを壁との隙間に滑り込ませて張るとワイヤーに体重移動を掛けながら壁に貼り付けて支えにした方を一旦外して振り子の様に一気に壁の外側に体を飛び出す。
勢いに揺られながらもすかさずさっき外したワイヤーを今度は外側の壁に張り付ける。
それを軽く引っ張り手ごたえがあるかを確認してから横側のワイヤーを回収。
流石に勢いを完全に殺せなかったので思い切り体をぶつける事にはなったがそのすぐ向こうではついにレーザーの放射が始まっていた。
「間に合ったのか・・・」
その事には一旦、安堵するが次は安全にこのまま降りなければならない。
「・・・上に行くよりは楽か」
そう呟いてワイヤーの揺れが多少収まった後でバランスを安定させるためにもう一本を張り直すと操作を再開させた。
「・・・生きてる」
電脳世界から無事に戻ってくると地面に寝かされていた。
ゆっくりと体を起こしてから改めて周囲を確認すると防御壁が直ぐ後ろにある事が分かった。
どうやら脱出した場所からかなり近くにいるらしく一か所だけ開いている箇所が見えたので近づいて行く。
それがさっき自分がシステムに入り込んで無理やり下げた場所だろうと思うがフルフェイスはもう何処かに行ったのだろうか。
そもそも良く分からない間に協力関係みたいになっていたがフルフェイスはやはり何かを知っていたのだろうか。
そんな事を思いながら完全に下がり切った壁の間から見えたのはもうただの大きなクレーターになっていてここにさっきまで自分がいた大きな施設があった面影は無くなっていた。
本当に跡形もない・・でもさっき目の当たりにした施設で起こっていたことを鮮明に思い出せる。
だが、それが事実でも・・・
「正しく証拠隠滅って感じだろ」
後ろからそう声を掛けれられて振り返ると逃げたと思っていたフルフェイスが何故かそこに居た。
「逃げたのかと思ってた」
なので素直にそう言うと、
「心外だな」
と言って何処かで調達してきたらしい固形食とゼリー飲料を渡された。
同じモノを持っているのに気づいてどうするのかと思っているとフルフェイスに手を当てて少し長い黒色の髪が風に揺れてフルフェイスが地面に転がった。
「・・・女だったんだな」
「もしかしてこの格好でお前、男かもしれないと思ってたのか」
フルフェイスにセーラー服(上下紺色)白のハイソックスにローファーと言ったコーディネートだった訳だが多様性の可能性も考えて性別については保留にしていた部分がある。
「いや、何を着るのかは人の自由だろ」
「お前、そう言いながら結局差別してるだろ」
そう軽く言ってゼリー飲料を口にして絞りだしている。
「ところで証拠隠滅ってこの施設は裏でなんかやばいことでもしてたのか」
似たような施設は他にもあるがここで犯罪じみた計画でも人知れず企てられてもいたのだろかと思ったが、
「・・そういう事じゃなくて、さっきあったことを無かったことにしたって意味」
やはりそれは違うみたいでさっきあった事とはつまり、
「あのゾンビ化を無かった事にしたって事か」
どんな事実でも証拠が残らなければ意味がない。
「へぇ。そこは分かるんだ」
そう言って特に驚いた様子もなく中身が無くなって薄くなったパックのキャップを閉じるとゴミになったそれを新しくできたばかりのクレーターに放り投げた。
「で、だ。お前なんであそこにいて無事だったんだ」
ゴミが放物線を描いて落ちていく間に抜かれたレーザーの筒が喉の先に当たった。
「なんで・・て聞かれてもそれは・・・分からない・・」
唐突の詰問にたじろくが自分でもそれはよく分かっていない。
あの時、何が起こっていたのかそして何で自分以外ゾンビ化していたのか今考えてみてもそんな事分かる訳がない。
それこそたまたま一人でいたとか、ゲームをしていたからとか。
あの時の状況を思い返してみてもそれらしい答えは得られない気がした。
「わからない・・ね」
先ほどより喉に筒の当たりが強まるのを感じながら兎に角もうこれ以上言える事が無いので何度か頷いてみせる。
それで納得してくれると良いがどうだろうか・・
「まあ、そうだよな」
そう思っていたが疑ってかかった割にはあっさりと筒を喉から離して、
「とりあえず親父からの刺客ではなさそうだな」
そう言って一人で勝手に納得したのか筒をしまうと今度は固形食の封を開けて齧りだした。
「父親・・しかく・・」
どうやら疑念は晴れたようだが言われた意味が分からずにそのまま聞き返すように言うと、
「考えすぎかな」
自分だけが解決したみたいにすっきりとした感じで固形食も食べきるとまたゴミになった包みを丸めてクレーターに投げ捨てた。
「結局何なんだ」
聞かれている事も聞いている事も何一つ分からないので諦める様に自分もパウチの栓を捻って開けて中身を啜る。
「あ、それともうニュースは見たかな」
不意にそう聞かれてここが事件現場になっているはずなのに未だ静かな事に気が付く。
「・・レーザーまで照射されたのに野次馬もまだ来ていない」
壁の外に出れた今であれば問題なくネットにも繋がるはずなのでデバイスを起動させる前にフュージョンモード(デジタル空間移行)はオフにする。
そうして画面に映し出されていたのは何故か無くなった施設ではなく自分の見慣れた顔と名前だった。
「なんだこれ・・」
思わず言葉を失ってその内容に顔から血の気も引いて行く。
指名手配 シアン 男性
この顔に注意!
「まあ、ドンマイ シアン君」
そう言われてもう一度ニュースを確認しても何故かフルフェイスの情報もこの場所での事も何も記事になっていない。
にもかかわらず自分だけが指名手配にされる異常事態これは一体。
「・・・ハッキングの履歴・・が残っててたとか」
そうだとしてもあの状況で助かるにはそれしかなかったというのに。
それにそれならせめて施設の情報も載ってしかるべきだろう。
「取りこぼしがあればいずれにせよこうなるはずだった訳だし」
「それじゃあなんでお前の名前は無いんだよ」
もし本当にそうであるのならこの記事にフルフェイスの素性も乗ってしかるべきはずなのにそれがない理由が何かあるとでもいうのだろうか。
「名前ねぇ・・」
フルフェイスが何か言おうとしたそのタイミングで地面に軽く何かが当たって弾ける音が足元近くでした。
「人気者はつらいね」
いつの間にかまたフルフェイスを被っていて軽口を言われたが言い返す気にはならずにデバイスをそっと閉じる。
撃ったのは間違いなくニュースを見て駆け付けたであろう一般人で今のは幸い殺傷力の低い玩具の弾みたいだがこれから襲ってくるかもしれない全員が同じような装備で来てくれる保証はない。
「暇人どもめ」
忌々しくそう言ってはみても普段だったら自分だってこのニュースを暇つぶしに追いかけるくらいはするかもしれない。
さっきみたいにネットから監視カメラにアクセスして写り込んだそれらしい画像を解析して情報をリークする。
そうやって得た情報を元に捜査協力と傘を被った奴らが今まさに自分を追い込まんとやって来ている訳だ。
それでは本物の警察や自衛隊は来ないのか勿論そんな事はない。
直ぐに行動する暇人と違い逮捕する為により確実な準備はしているはず。
「捜査協力って便利な免罪符だよな」
そう言いながらフルフェイスが気楽そうに言って自分にも向けられている弾に当たらないように軽くかわしている。
フルフェイスが言う免罪符とは、
・殺傷力の低い武器での攻撃の許可
・逃走中の容疑者の情報を個人でも発信する許可、等がある。
つまり今、自分の情報や健康は法的に守られない状況に成ったという分けだ。
こうなってくれば最早ここに留まっている理由は無いので、
「じゃあな」
フルフェイスにそう告げると行く先も分からないまま走り出す。
別に巻き込まないためとか、かっこつけたつもりでも無いがフルフェイスがそもそも自分と行動を共にするとは考えてなかった。
「何だ冷たいじゃん」
だから自分と同じ方向に走り出して付いてくるなんて全く想定していなかった。
「お前、疑ってたんじゃないのかよ」
さっきまでしていたやり取りからも想像できたがフルフェイスがまだいたのは自分を尋問するためだったはずなのでそれも既に終わったとなれば自分にもう用はないはずだ。
「いや、あと一応の確認。出頭する気」
軽い感じで聞かれたがそう質問されるとは思ってなかった。
別に自分は何も悪いことはしていないはずなので指名手配は何かの間違い。
だったらそれを自分から訴えに行って疑いを晴らすのもありなのでは、
「・・・自首はくれぐれもお勧めしない」
考え込んで沈黙したのを肯定と捉えたのかフルフェイスからのアドバイスは自分が選ぼうとした答えの否定だった。
「えっ・・」
どうしてと続けそうになって不意にフラッシュバックしたのはなんの躊躇もなくゾンビ化した人に向けて銃を撃っていた姿だった。
そして今は自分ヘ向けて軽い発砲音が後ろから迫ってきている。
向けれれている銃はどれも本物でこそないが殺傷能力が低いだけで死なない保証は無い。
そんな時、フルフェイスに弾が当たって弾かれたモノが自分の顔近くをかすめた。
多分たまたまとか不意のタイミングだと思うがこれがもし実弾だったら・・。
そう思ってしまったとたん体が鉛の様に重く感じた。
「それともここで死ぬ気だったのか」
そっちからいろいろマイナスな事を聞いたり言ってきたりしたはずだがその事については気にしてはくれないらしい。
「とりあえず隠れるか・・」
そう言ってフルフェイスが急にまた腕を引っ張って走り出したと思えば壁際の細い隙間に先に押し込まれてその後からフルフェイスも詰めてくる。
道の先は更に細くなっているのでここを無理やり進むのは不可能だった。
「ここ、行き止まり」
さんざん言っていた割にはフルフェイスだって道を間違っているじゃないか。
そう続けて言ってやろうと思ったがフルフェイスは進もうとはせずに後ろを振り返って何かをうかっがっていた。
「まあ。見てな」
こちらの動きはここに来るまで隠れたり遮蔽物は特に無かったので相手からは良く見えていただろう事から狙うなら今絶好のチャンスだと思う訳だがフルフェイスは逆にそれを利用して何かをするつもりなのだろうか。
そう思って見ているとフルフェイスは徐に逃げ込む際に打ち込まれて壁に当たって地面に落ちた厚めのゴム弾を手に取ってその感触を確かめる様に何度か握るとくるりと壁側に向き直って、
「あの辺りかな」
そう呟くと親指を他の指で握り込んで拳を作りその上にゴム弾を乗せていた。
次の瞬間それは元の弾速と変わらない速さで指から発射された。
直撃したのかどうかは分からなかったが、
「・・うわ・・」
と少し上ずって叫んだように籠った声が聞こえたのでどうやらかなり近くには着弾させたらしい。
「さあ、次」
今度は小さく丸いプラ製の弾を数発程同じように乗せて散弾銃の様に弾いた。
それはさっきみたく相手を直接狙ったのではなく壁に跳弾してどこかへ飛んで行った。
「当たるかなー」
再びゴム弾を手でもてあそびながら楽しそうに言って直ぐに、
「調子にのってるんじゃねーぞ」
そんな叫び声を上げて最初にゴム弾に当たった奴が逆上して隠れるのをやめてこちらに特攻をしてきていた。
それを確認してフルフェイスが顔が見えないのに笑ったきがした。
「良いね」
相手の気概を買ったのかそれとも自分の都合のいいフィールドに来たことに狂喜しているのか表情は相変わらず見えないが手にはいつの間にかレーザーが握られていた。
そしてそれをこれ見よがしに相手に見えるように掲げるとスイッチを入れた。
それを確認して相手も武器を持っている事に気が付いたそいつはそのまま突っ込むのはやめて改めて銃を構えた。
「はん、射程ならこっちが有利だ」
そう言って再び何発かゴム弾を撃ち込まれる。
それが虚勢かあるいは後ろ側の援護射撃を狙ってあえて言ったのかは分からなかったがゴム弾の後に銃撃は続かなかった。
「当たらなけれな意味ないね」
フルフェイスはその挑発にあえて乗るようにして体を壁から滑らせて飛び出した。
相手もそれを見逃さずすかさず引き金を引いて後を追うがフルフェイスは宣言の通り全ての弾を避けていた。
「ほら、当たらない」
そう言って再び一発ゴム弾を弾き飛ばした。
「あが・・」
相手が呻いたのは目の保護にしていたゴーグルに見事に着弾したからでその衝撃かあるいは痛みかで手にしていた銃を取りこぼしていた。
勿論その隙を見逃すはずもなくフルフェイスの次の攻撃が迫っていた。
「終わり・・だね」
流石に施設で見せたように体を切る事はしなかったが直ぐ近くでレーザーの光に照らされたそいつは既に戦意喪失していた。
まあ、もともと遊び感覚でここへやって来たのだろうから訓練とかもされていないのでこれでこいつは今後こう言いた事は出来なくなるかもしれない。
まあ、本来その方がいい気がするが・・。
フルフェイスが交戦にでてからほぼ一方的な展開だったせいかいつの間にか他の輩も撤退を決めたのか銃撃は完全に止んでいた。
「君も帰ると良いよ」
そう言って銃だけ遠くに蹴り飛ばすともう振り返る事無くこちらまで戻ってきた。
「さて、そろそろ移動しようか」
軽く汚れを手で払って立ち上がるが警察や政府が危ないのなら自分はどこに向かうべきなのか。
こちらに背を向けて走り去って遠ざかる姿を見送りながらあいつは帰れる場所がちゃんとあるんだなと少し羨ましく思った。
自分は元の場所に行けば確実に警察に捕まるだろうからそれは出来ない。
「あ・・荷物も取りに行けないのか・・・」
そこで初めて現状のままどうにかしないといけない事に気が付く。
調達自体は簡単だがその行動は当然危険なのだろう。
「さあ、いくぞ」
こちらが新たな問題に気付いている間にもやはり行動を共にするらしいフルフェイスが迷いなく歩き出していた。
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