赤い風船

海乃マリー

赤い風船

肌をジリジリと焦がすような強い日射しと、熱気を帯びたアスファルトで、まるで蒸し風呂に入っているかのように汗が吹き出した。


額の汗をハンカチで拭いながら、航平はどこまでも続くような青空を見上げた。


あの日もこんな暑い夏の日だった。真夏の青空から連想的に浮かび上がる断片的な記憶。


汗ばんだ掌。

湿った白い糸。


あれは、三歳ぐらいだっただろうか。

父と母と僕の三人で何かのお祭りかイベントにいったのか、はっきりとは覚えていないけれど、道端で配られていた風船をもらった。


「お兄ちゃん、何色がいい?」

赤い帽子を被ったお兄さんがしゃがみこんで人懐っこい笑顔で僕の目を覗き込んだ。


「赤がいい!」

僕は宙にふわふわと浮かぶ風船の束を眺め、胸を踊らせながら大きな声で答えた。その当時、戦隊モノの赤のヒーローが大好きだったから。


「おっ、いいね。俺の帽子と一緒だ」

風船のお兄さんは、いたずらな瞳でニッと笑って僕の手に風船の糸を手渡した。


「わぁー。ありがとう!!」


持ち手の糸の先は輪っかになっていて、その輪っかに指を通してぎゅっと握った。ピンと張った糸を上に辿っていくと、僕の頭よりも高いところに赤い風船が浮かんでいる。


家にあるいつもの風船はこんな風に浮かばないから、宙に浮かんだ特別な風船が嬉しかった。

僕は浮足立ちながら、父と母と三人で帰り道を歩いた。


と、その時、飛んできた鳩が目の前を歩いたので、僕はすかさずいつものように走って追いかけた。


「こうちゃん、はなさないで!」


「あ……」


僕の手からはなれたのが先だったか

母の大声が先だったかはわからない。


赤い風船はふわりと舞い上がり、上へ上へとぐんぐん昇っていった。

僕はあっけに取られながら赤い風船を目で追った。

赤い風船はやがて豆粒のように小さくなり、真っ青な空に吸い込まれていった。


あの風船は、どこに行くんだろう。


宇宙まで飛んでいくのかな?

海とか山に行くのかな?

それとも、外国に行くのかな?


赤い風船が僕が知らない遠い世界へと

冒険の旅をしている様子を想像した。


太陽の光に反射してキラキラ光る赤い風船。

おうちに帰って、僕と一緒に遊ぶのも楽しいけど、

沢山の世界を見て一人旅するのも楽しいだろう。


「バイバイ」

僕は小さく呟いた。



遠くで声がする。

『あーあ、せっかくもらったのに』落胆の響き。

『ちゃんと手に括り付けてやれば良かったのに』

父が母を責めている。

『そんなこと、言われても……』不満の色。

『あんたがちゃんと持ってないからいけないのよ』

母の中で渦巻く不満や怒りが声に乗せられて、僕にぶつけられた。僕はその衝撃に殴られたような痛みを覚え、驚いて我に返った。


「うゎーーーーん」


僕は現実に引き戻された。

僕が手をはなしたから、いけないんだ。

せっかくもらった風船を無くしてしまった。

僕が手をはなしたから、父が母に怒った。

母もイライラしてる。


「もう一回新しい風船もらってこようか?」

母は泣きじゃくる僕にそう聞いてくれたけど、そんな気分になれなかった。


「いい……もう、いらない」


空っぽになった僕の掌に、さっきの糸の感触が残っているまま、僕はとぼとぼと帰り道を歩いた。


あの赤い風船は冒険に出たはずだったのにな。

あの時感じた楽しい旅は違ったのかな?


さっきと何も変わらない真っ青な空を見上げると、遠くの方に小さく赤い点が見えるような気がした。


さっきの想像の続きが浮かび上がる。


ぴかぴかの赤い風船は一人旅してる。

海を渡って僕の行ったことがない外国の景色を見てキラキラ輝いてる。


ああ、やっぱり大丈夫だ。


やっぱり僕が最初に思った通り、赤い風船はどこまでも続く青空を自由に飛び回りながら、楽しい旅をしていた。












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