Allegro con fuoco(2)

 二週目の土曜日、今日は泊まって行かないかと、珍しく間山の方からお誘いが来た。僕の外大オケの演奏会が今回で最後だということを耳にしたらしく、一緒に食事をしようとのことだ。腕を振るって美味しいもんを作ってやると張り切っていて、練習の後にいつものオンボロ外大寮へと足を運ぶ。黒光りする虫たちがコオロギの楽器を借りてミニ演奏会でも始めるような、ゴミと埃の溜まる台所で何を作るのだろうと、不安八割、期待二割の複雑な心境を抱きながら間山の部屋で二十分ほど待っていた。「ほい、出来たぞ」と言いながら、エプロン姿の間山が運んできたのはスパゲティだ。赤唐辛子とニンニクの効いたペペロンチーノで、塩コショウだけの単純な味付けが意外に美味しくて、二人で黙々と五分で完食してしまった。旨かったよと素直に褒めると、だろ? とこれまた僕以上に素直な返事が戻ってきた。


「めったに食えない俺の絶品手料理だぜ。また外大に来いよな。スパゲティ食いに」

 演奏のためにと口が裂けても言わないのが間山である。合宿には参加しようかなと答えると、やっぱりやめとけ来るんじゃねえと笑われた。


「間山くんはポルトガルへ留学しないの?」

「金がねえよ。でも来年の夏休みに、ぶらりとバックパッカーでヨーロッパ行こうかなって思ってる。それなら安く済むからさ。フランスへ留学してる中学んときの友だちがいて、フェイスブックで知ったんだけど、久しぶりにそいつとも会おうかなって」

「へえ」


 その友だちはフルートを勉強しているとのことで、間山の知り合いに音楽家を目指す人がいたなんて意外や意外である。すげえじゃんと感嘆すると、まあなと、またもやご機嫌な態度を寄越された。相も変わらず調子のいい奴だ。いつものようにダラダラとゲームをしながら部屋で過ごし、煙草を吸いに外へ出て、そのまま間山は大浴場へ行き僕は部屋に戻って横になる。床に置かれたテレビでは僕の知らないドラマをやっていて、名前の知らない俳優さんの話し声を聴き流しながらスマホの画面を立ち上げた。


 ――ああ、そういえば、今日はおじさん帰ってこないんだっけ。

 守屋さんのところへ泊まると言っていたのを思い出した。LINEのマークをタップしかけた指が、透明な空気の壁に押し戻された。人と人とを隔てている、寂しさという見えない壁だ。人の壁、マンションの壁、大学の壁、国の壁……あらゆるところに壁はあって、力の足りぬ僕の体はいつも何かに押し戻される。これらの壁の向こう側に行くにはどうしたらいいのだろう? 暗くなったスマホの世界に答えは見つからない。

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