Scherzo. Molto vivace(7)

花火の触手が次第に短くなり、戦う気力を失った炎の球はその身を赤く姿を染め、力尽きて二つ同時に地面へ落ちた。タダさんの口元の白い歯も光を失い、会話が沈黙に引きこもる。プツンと途切れた話の繕い方に迷いながら次の線香花火に手を伸ばした、丁度そのとき――

「そんな隅っこで何やっとるん」


 ミファの声がしてこちらへやって来た。後ろには夏紀さんも付いてきて、「男二人で線香花火? わあ根暗やね」と、小さな火花を散らしていた僕たちの静かな戦いにストレートな感想を寄せた。

「日本文化の素朴な魅力が分からへんような奴は、あっち行っとれ」

「ひっど、タダハルはいつも私にばっかりキツう当たって。昔からそういうとこ、変わっとらんな」


 口が悪くも親密さを匂わすような掛け合いに、「なあ、朝から気になっとったんやけど、二人って知り合いなん?」と、ミファが不思議そうな声を放つ。幸か不幸か、ミファののんびりとした表情と親密さ具合を見るに、夏紀さんがタダさんの元カノとはまだ思い当たっていないらしい。その事実に幾ばくかは安堵しながらも、いつどのようなタイミングで里見さんから真相を耳にするのだろうかと思うと、落ち着いて話すことなど出来るはずもなく、一刻も早くここから離れたい気持ちに駆られてくる。タダさんも前髪をしきりにかき上げていて、長い前髪の裏から現れた細かい眉間の皺は見るからに気まずそうだ。そんな僕たちの心配事などどこ吹く風で、「私ら同じ中高の同級生やったんよ」と言いながら女性二人が揃って腰を下ろし、マズいことに四人での仲良し線香花火大会がこの場に始まってしまった。


「ミファちゃんって在日コリアンなんやろ? 国籍は日本と韓国、どっちなん」

「あんなあ、夏紀、そういうデリケートなことを平気で訊くなや。そういうのが夏紀のアカン癖や。友だちにも嫌がられるやろ。ちゃんと直しとけ」


「ええんや、タダさん」と、ミファは華麗な舞いを魅せる線香花火を見遣りながら、目元優しくたしなめた。「大事なことやしな、こういうことはたくさんの人に知っといてもらう方がええねん。うちはな、父親が韓国人で、母親が日本に帰化した在日コリアンやから、韓国籍と日本国籍二つ持っとんねん。でもな、日本では二重国籍ってずっと持っとったらアカン決まりやから、そろそろどっちに帰化するか決めなあかん時期になっとん」


 二つの国籍を有する場合、日本の国籍法では満二十二歳になるまでに、どちらかの国籍を選択する必要があるのだとミファは教えてくれた。

「帰化するっていってもな、手続めっちゃ大変なん。選択するにしろ離脱するにしろ、日本と韓国、どっちにも届け出が必要やからな、自分で処理するならハングルを翻訳せなあかんし、かといって行政書士に頼んだら手続きに十万は軽く超える。法務局行って、受付して、面接して、審査が認められるまで十か月くらいは見とかなあかんし、交通違反とか、親の収入とか、そりゃもう細かいことまで見られんのよ。一時停止無視をしただけで審査が降りんこともある。だから免許を持っとっても、手続きが終わるまでは車の運転を控えるようにしとんねん」


 話しているうちにミファの線香花火が消えてしまい、ああ、終わってもうた、と寂し気に呟いた。

「ふうん、めっちゃ大変やん……それでミファちゃんはどうするつもりなん」と、もう一本の線香花火をミファに手渡しながら夏紀さんが尋ねた。


「まだ悩んどんよ。そりゃあ就職とか、選挙のことを考えたら断然帰化する方がメリット大きいんやけどな。自分のルーツに関するアイデンティティが絡むから、そんなに簡単には決められへん。韓国の血が流れていることは大切にしておきたいし、かといって、日本に住んでて日本の友だちがいて、やっぱり自分は日本人やなって思うこともあるんよ。国籍の境界線がゆらゆらとブレとる感じがしてな、自分が何人かって誰かに訊かれたら、日本人でも韓国人でもなくて、うちは間違いなく『在日コリアン人』やって答えると思う」


 二本目になる線香花火は、先ほどと違って勢いが増している。ミファの大きな瞳は強く吐き出す炎の触手を喜んでいて、国境の狭間で揺れ続ける儚さをも含んでいる。この子はいつでもこうやって強い光を目に溜めながら戦い続けているのだろう。がむしゃらになりながら武器を身につけて、未来への挑戦を持っている強い光の力。あれは確か、地下鉄で一緒に帰ったときだったか……ゴールドキウィ色の爪を見ながら、いつしか目にした金色の指輪を思い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る