Scherzo. Molto vivace(5)

 夏合宿の醍醐味、メインイベントといえば、真っ先に思いつくのが晩まで続く地獄のトュッティ三昧ではなく、花火大会である。合宿係によって十袋ほど用意された手持ち花火は、団員たちが思い思いの好みのものを手にして炎の彩りを楽しんでいた。一人ポツンと脇に外れていた夏紀さんにミファが花火を手渡して、二人並んで花火をしている。マニュキュアの見せあいっこをしながら、夏紀さんはスイカ色、ミファはゴールドキウィ色で、互いに綺麗だ、可愛いとはしゃいでいて、爪の色一つですぐに仲良くなれる女の子の繊細な感覚に不思議な思いを抱く。すげえすげえと騒ぐのは、いつもの金管軍団かと思いきや、間山と扇田コンビだ。似た者同士のこの二人、僕の知らぬうちにこの一日で急速に親睦を深めたらしく、先端から激しく炎を噴き出す花火を機械的に上下に振りながらタダさんの指揮の物真似をしていて、ガハハと大口で笑う姿とふざけ具合が近所で遊ぶ小学生レベルだった。


 みんなの輪から外れた僕は、線香花火の束を手に取って背を丸めてしゃがみ込み、その中の一本をロウソクの炎に垂らした。花火の先に燃やされた、黄色く震える丸い粒から炎のドレスが弾けだして、暗闇に魅せている淑やかな花火のダンスを目の奥へ含みながら、今日の演奏を顧みる。


 ――思うように全く吹けなかった。ソロどころか、旋律一つさえ。


 そもそも、僕のような陰気で内向的な奴には、オーケストラのファーストなんて向いていないのではないか……華やかなファーストは粟崎さんに任せて、くっ付き虫のように彼女の下へへばり付いて万年セカンドをしている方が、きっと自分の性分に合っている……などと、微かに灯る炎を手にしながら意識は草むらの影へと静かに落ちていく。気が沈むほどに花火の優雅な舞いは消えてゆき、丸い炎は勢いを衰えさせ、地面へポトリと赤い実を落とした。


「おお? アルくん、線香花火なんて意気なもんやっとるやんか。俺にも一本やらせてえな」

 煙草を一服所望するような、朗らかな誘い声にゆるりと顔を上げると、憂鬱の元凶である指揮者タダさんが僕にいつもの白い歯を見せていた。色男というのはすごいもので、暗闇の中であっても歯が白く浮いて見えるらしくて、僅かな光でさえも前歯で圧縮して発散させてしまうという特殊技能に、尊敬の念すら抱いてしまう。

「タダさんだったらこんな貧弱な線香花火じゃなくて、あっちの派手な花火の方がお似合いですよ」


「ええやん、こうやってしみじみ君と話すのもたまにはな」と、わざと強調して撥ねつけた物言いを気にすることもなく、タダさんは地面に置かれていた線香花火を一本取った。花火を手にするタダさんの右手の人差し指には金色の指輪が光っている。はて、この指輪、トゥッティ中にはしていなかったはずだけれど、いつの間に身に付けていたのだろうと、男の身に付けるジュエリーというものにほんのりと好奇心を覚える。タダさんが僕に向き合うようにして膝を抱えてしゃがみ込んだので、男二人の線香花火なんて不健康すぎるというか気持ち悪いし、すぐにやめてほしくて、あっちに行けと言わんばかりの態度で僕は反射的に向きを変えた。


「なんや、えらい素っ気ないのお。ファーストを思うように吹けんかったんが、そんなに悔しかったんか」

 図星を指されたことで動揺するも、「そんなことないです」とムキになってそれを押し返した。

「なあ、外大オケでアルくんの演奏してきたもんってなんやった?」

「マイスタージンガーと、それから屋根の上の牛。どっちもセカンドです」


 なるほど、とタダさんは小さく首を上下に振って、「経験不足か。オケのソロっちゅうもんをまだ知らんのやな」と偉ぶって感想を漏らす。その答えは上位に鎮座するものが有する余裕に溢れていて、泰然自若な態度に反発心を感じないわけもなく、普段は奥へ引っ込んでいる負けず嫌いの性分にチカチカと黄色いランプが点灯した。たとえ相手が指揮者であろうとも、年上であろうとも、勝ち目のないイケメンであろうとも、僕にだってなけなしの意地というものはある。線香花火いざ勝負と、タダさんと僕の花火が同時にロウソクの炎へかざされ、静かな戦いの火蓋が切って落とされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る