Scherzo. Molto vivace(1)

 外大から新名神高速道路を走って山陽自動車道、六甲有料道路とバスに揺られて一時間半、六甲の山奥に外大オケ合宿所の「六甲山カントリー」はある。ここは宿泊用の和室、食堂、共同浴場に防音の多目的ホールを完備していて、夏、冬と外大オケご用達の合宿所となっている。大阪から六甲へ、山から山へと移動した僕たちは、同じ山奥といえども庶民的な大阪とはまた違う、ほんの少しセレブちっくな六甲風味のマイナスイオンを肌いっぱいに感じながらロッジへ入った。所定の和室へ荷物を降ろし、リードを濡らすために洗面所へ向かうと、「おお? やっと来たな、ういーっす」と、ここにあるはずのない声がして、トイレから出てきたいつもの顎髭人物に、こんなところでまさか嘘だろ冗談じゃねえと自分の目と耳を疑った。


「キヨトさん……きみはエスパーかなんかかね。バスにも乗ってなかったはずのに、城西大オケの人がどうやってここまで移動したの」


 世の中には同じ顔が三人いると言われているが、まさかこれがそうでもあるまい。世界中のあらゆるところへ旅行できる秘密道具でも持っているのか、神出鬼没で現れるこいつの行動力は驚嘆に値する。扇田は手に付いた水を払い、水しぶきが僕の手に冷たくかかった。


「車や、車。夏紀さんから合宿情報教えてもらってな、ここまで俺が車で連れてきたんや。ま、ブイブイと六甲山ドライブがてらやな。天気よくて気持ちよかったで」

「へえ、そりゃどうも、僕たちのオケのためにご苦労さん。じゃあお役目も終わったしもう帰れよ」

「アホか、大阪から何のためにわざわざ車走らせて来たと思うとるんや。お目当てのミファさん拝まずに帰れるか。いちエキストラとして俺も参加させてもらうわ。楽器も弓もちゃあんと準備してきたし」

「キヨトの部屋なんかどこにもねえよ」

「アルの和室が一人分空いとるやんか。布団がなけりゃ廊下でも管理人のことでもええ。心配されんでも合宿代は団長さんに一括払いしたからな」


 なんとも用意周到なものである。こいつの荷物と布団は後でまとめて廊下へ放り出しておこう。

「つうわけで今日はよろしゅうな……あ、ミファさん、こんにちは、キヨトです! 城西大から自分の車ではるばるやって来ました! 今日はよろしくお願いしまあす!」


 廊下から歩いてきたミファは突然名前を呼ばれたことにポカンと口を開け、「あ、扇田くん、来とったんや。よろしくな」と、真っ直ぐに手を挙げる奇特なファンに別段驚くこともなく、無味無臭の素っ気ない声で返した。


「いやあ、こんなとこでもミファさんと会えるなんて、ご縁がありすぎるっちゅうか、神様のお導きっちゅうか、これはもう運命かなあ、なあんてねー、ぐっふふ。宜しければ俺とLINEの交換でも」


「なあアル、合宿には粟さん来いへんのやろ? ラフマニノフのファーストはアルが代吹きするん?」と、顎髭男からの危険な誘いをさらりと無視してミファが問いかけた。

「うん、僕でよければ」

「セカンドはどうするん」

「うーん、まだ決まってないけど……」と言いながら、ミファの後ろから現れた人物を見て息が詰まった。


 夏紀さんだ。当たり前だけど、夏紀さんがここにいた。


 和室から出てきた夏紀さんは、袖がレースで派手に膨らむ半袖と白いパンツを身に付けていて、まるで代官山か自由が丘でショッピングを楽しむような華やかな出で立ちで、Tシャツ、ジーンズがお約束のお気楽外大生スタイルとは全く異質の高尚的なオーラを放っていた。アイラインを強めに引かれた一重の双眸が、綺麗な半月の姿になって「こんにちは」と僕を見る。僕の狼狽えにミファも気が付き彼女を見る。ミファの目線が彼女にまぐわう。

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