Largo(2)

「おお、ホンマや――って、どこにもあらへんがな」と、大して面白くもないボケにもおじさんは丁寧に応えてくれて、食卓の端っこに置いてあった眼鏡を掛けた。「亜琉もちょっとはボケに慣れてきたか? バリバリの関西人まであともう一押しってとこやな」

「僕にはお笑いのセンスが絶望的に無理です」


「そんな寂しいこと言わんとき。な、亜琉、これ見てみい」と、おじさんは僕のパン皿を避けながら、新聞をこちらに向けて広げなおした。「城西大と外大の統合が決定したって。正式にくっつくのは再来年やな」


『城西大と城西外国語大学が統合へ 城西外大は外国語学部に』――おじさんの指がトントンと叩かれた紙面には太字ゴシックが大きく踊り、無機質な文字のダンスに僕の視線がしばし止まった。



 城西大(大阪府S市)と城西外国語大(同府M市)が、〇〇年十月に統合する方針であることが二十日わかった。来年三月に基本合意を交わす予定で、統合後の名称は城西大学となる。学生数は計約二万三千人になる見込みで、国内有数の大規模な統合となる。城西外国語大学は専攻語、研究外国語、方言などを含め六十言語、少数民族の言語も十五あるが、少子化に伴う運営資金の減少により、多言語教育の維持が困難となっていた。統合による学生数の増加で、二十五の専攻外国語を持つ城西外大の特色を生かし、文系領域を強化するとともに、より幅広い言語教育を期待する。城西大も「城西外大の専門的な領域を取り込むことで、文系分野や将来のキャリアへの選択肢に幅が拡がるだろう」と高く評価。両大学は昨年五月から協議を続けてきた……



 城西外国語大学がなくなる――その事実を淡々と伝える新聞欄の文字列を、文章を、単語を、文字を、意味を、一つ一つ脳裡へ付箋を貼るようにして、僕の目が何度も新聞の上を往復した。


「統合のこと、亜琉は知っとんたんか?」

「いや……外大の経営がかなりヤバいとか、統合先を城西教育大学とうちのどっちかで迷ってるとか、それっぽいことは噂で耳にしてましたけど、まさかホントに……」とそこまで口にして、一つの事実が水に浮かぶ氷のようにして頭へ浮かび上がってきた。


 ――学舎は……外大の学舎とサークル活動は、いったいこれからどうなるんだろう。


 外大の管弦楽団は、そのままの形で無事に存続できるんだろうか――?


 一つの懸念は不安という得体の知れない物質となって霜のように脳裡へこびり付き、新聞記事の付箋が霜で焼かれたように縮れていく。クーラーの風がやけに冷たく感じられて、足のつま先から血液が失われるように全身が凍えてきた。

「外大キャンパスはそのまま残すって書いてるけどな」と、おじさんは顎へ手をやりながら、僕の黙考を読み取ったかのような発言をした。なるほど、『城西外大のキャンパスは城西大外国語学部として継続する』という文句が最後に付記されている。その一文に安堵して、足の凍えが剥がれ落ち、足の指先にじんわりと温もりが取り戻された。


「ということは、あくまでも統合は形だけで、城西大は城西大、外大は外国語学部キャンパスって形で併用するんですよね」という僕の希望的観測を、おじさんは「どうかねえ」と一蹴する。


「残念やけどな、大学であれ企業であれ、統合っつーもんはそんなに甘くはないもんやぞ。あの辺り一帯、モノレールを通すからって鉄道会社が土地をバンバン買い占めとって、ベッドタウン開発が物凄い勢いで進んどるからな。大学の敷地も買い取ったら鉄道会社は開発進む、大学は金が貰えるで、ともにウィンウィンの関係や。そう考えると大学移転もあり得るかもしれんなあ」

「じゃあ、外大が完全に消滅するってことですか? 学舎も、学祭も、もしかしたらサークルだって……」

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