Adagio - Allegro molto(6)

「よう似とるけどちょっとちゃうな。俺が思うに、あいつの戦っとるのは人のエゴや。弱いもんや気にくわん奴を徹底的に叩きまくって、自分の歪んだ価値観しか信じいへんアホみたいなエゴ、そういうもんとあいつはずっと戦っとる。本名を隠さんのもそういうところやろ? 俺の親でもせやったけど、ヘイト三昧の世の中で、本名を隠さんっていうのはどんだけの勇気と覚悟がいるんか、俺にはとても想像つかん。あいつのそういう強さが俺にはごっつ羨ましくてな、ホンマにすごいな思うとる。俺が俺でいる――いや、俺以上のものであるためには、ミファの強さがどうしても必要なんよ。何度断られても、ダメ元やっても、ミファが他の男を選ぶまで、俺は絶対に諦めんつもりや」


 タダさんは吸い終わった煙草を足で地面に押し潰した。潰された煙草の残骸はゆっくりと体を捻らせて、そのまま地面の上で永遠に動かなくなる。

「はあ、そうっすか……せいぜいご自身で頑張ってください。つか、なんでそんなことを僕に話すんですか。僕には全く関係のないことですけど」


「俺がええ奴やって勘違いされとうないねん。こう見えて俺はごっつ嫉妬しいでな、可能性あるもんは小さいうちに摘んでおくのが俺の信念なんよ。それをアルくんにも教えときたかっただけ」

「それは信念っていうよりもエゴでしょう。自分よがりのそういうエゴが、ミファの嫌いなものなんじゃないですか」


「ははっ、そうかもしれんな」と、夜の暗闇にタダさんの笑顔が仄かに灯る。「人一倍負けん気強いのは分かっとる。でもそれが俺のやり方やからしゃあないねん……じゃ、俺はここで帰らせてもらうわ」

 原付に跨り、ヘルメットを被ってタダさんは帰っていった。僕は吸い終わった煙草を携帯用の灰皿に入れ、地面に残された一本の煙草を拾おうとして、やっぱりやめようと手を止めた。


 ――他人のものまで、バカバカしい。


 外大オケに入りたいという夏紀さんの声が、砂糖水となって脳内に注ぎ込み灰色の脳細胞に溶けていく。甘美で誘惑的で淫靡な香りのする砂糖水、甘すぎて脳の細胞がとろけそうだ。夏紀さんが外大オケに来ればややこしくて面倒なことになるのは明らかで、タダさんの思い、ミファの心情を考慮すれば断った方が無難なのだろうけど――糖を餌にして細菌が繁殖するように、なにかしらの抗えない欲求が僕の心を徐々に蝕んでいく。妬み、劣等感、怒り、僕なりのプライド、もしくはこれもミファの嫌うエゴなのか。自分の欲求が何なのか、本当は何をしたいのか、そんなの別にどうでもいい。今一番望むのは、この欲求に逆らうことなく行動することだ。僕の道に開けられた穴を、自分の力で塞ぐことだ。


 自分の力で、行動で、崩れる道を立て直せ。


 鞄からスマホを取り出して、粟崎さんへ迷いなくLINEした。

『クラリネットに入部したいっていう人がいますが、お願いしてもいいですか』


 きっと粟崎さんだったら断らない。それは運命の道に穴を開けてくるものへのささやかな反逆心であり、自らのエゴに負けてしまった、取り返しのつかない僕の罪でもあった。

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