Adagio - Allegro molto(4)

「別に否定しとるわけやあらへん。ただな、自分が学んどる言語のこととか、留学生の数なんて俺らには大したもんやないっちゅうことや。音楽の質を高めるために、あなたの国籍なんですかーなんて逐一確認しいへんやろ? 音楽を作るのに大事なんは、国やなくて人が作る音を見ることやよ」


 二枚まとめて箸に挟んだ肉を取り皿へ乱暴に突っ込みながら、タダさんは荒々しい声を夏紀さんに返す。「そこまでムキにならへんでも」と、それに応える夏紀さんは、タダさんの苛立ちに動じることもなくスイカ爪で二本目の缶を開け、優雅な動作で口へ運んだ。扇田が「夏紀さんってどこの学校やったんすか」と二人に尋ねて、手にしたトングをカチカチ鳴らす。


「城西大付属な。部活は違ごっとったけど。私は吹奏楽で、タダハルは写真部」

「写真部!」と、タダさんを除く全ての人間が同時に口を揃えた。

「バイオリンしとったし、カメラやったら手を怪我しいひんやろ」と、タダさんは三枚目の肉を取り皿に入れた。


「そんなん言うて、ホンマは運動オンチやったくせに」

「うっさいねん」とテンポよく掛け合う二人の様子は友人以上に親密なようでもあり、一定の距離を保っているようでもあり、これはどう考えてもアレだよなあと、頭の中でどうのこうのと余計な妄想をしていると――


「お二人ってさあ、なあんか匂うなあ。どうなんすか、実際のところ」と爆弾投下したのは、やはり間山だった。

「さあ、どうなんやろね。タダハルは成績優秀やったし、生徒会長もしていてかなりモテたから、倍率は高かったんよ――なあ、タダハル?」


 夏紀さんはガムテープほどに粘着力のある視線をタダさんに投げかけた。粘着視線を避けながらタダさんは肉を真剣に選んでいて、取り皿には五枚目になる肉がこんもりと盛られている。期待に添うような答えがもたらされなかったことに少なからず不満を覚えたようで、夏紀さんは肉の山に粘着視線の跡を残しながら剥がした視線を僕に貼り替えた。


「瑞河くんの専攻語は何なん?」

「僕っすか? 僕は城西大の工学部です」

「え、ホンマに?」と、一重の目が綺麗に開いた。「城西大の人でも外大オケに入れるん?」

「外部者はダメだとか、そういう規則は特にないんで」

「へえ、そうなん。じゃあ私もそっちに入っていいん?」


 夏紀さんの生温い声が僕の意識を中断させた。今の言葉、冗談だろう――間山の箸からカルビ肉がするりと落ちて、タダさんの目玉がまん丸になり、扇田の焼いている肉が焦げてきて、「ええーなんで?」という女子の声が飛んできた。「夏紀、城西大オケ辞めちゃうってこと?」


「だってなあ、城西大にいてもつまらへんねん。人数多すぎて内部競争激しいし、外大オケやったらすぐメインに乗せてもらえそうやし」


 すぐにメイン。この言い方に引っ掛かりを覚えながら、カルビをゆっくり咀嚼する。


「……入団できるかどうかなんて分かりませんよ。メインなんて僕でさえ乗れてないのに。外大オケだってクラリネットは人数が間に合ってますから」

「そうなん? でも城西大よりかは全然マシやろ?」


 全然マシ。引っ掛かりポイントが二つに増えた。


「無理や無理。アルくん、こんなん耳塞いどき。人数足りへん弦楽器ならともかく、うちのクラリネットはみんな巧いし人材も豊富やからな、期待せんと諦めろ」

「そんなん分からへんやん」と、頭ごなしに否定してくるタダさんに夏紀さんが頬を膨らませた。「な、ダメ元でもええから、いっぺん団長さんとパートリーダーに訊いてみて。お願い、瑞河くん」と、夏紀さんは温められた砂糖水のような声を出しながら、スイカ爪の手を合わせて僕に懇願してきた。僕には特に断る理由も見つからないし――タダさんのことは知らないけれども――はあ、と気の抜けたような息をスイカ爪に返しておいた。


 夏紀さんの皿には、最高級肉シャトーブリアンがまだ残っている。肉の表面は乾燥していて、使い古した消しゴムのようにすっかり冷えきっていて、折角の高級肉が台無しだ。肉の食べ比べをいくつかしたけれど、特別高級なシャトーブリアンよりも、霜降りサーロインよりも、普段から食べ慣れている格下カルビが僕は一番好きだった。

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