Adagio - Allegro molto(3)
「あー分かる、分かる。デイヴィッド・ギャレットとか、クリスティアン・スヴァルフヴァルとかね。見た目ってさあ、すっごく大事。顔の美しさって不思議と音にまで影響するんだよねー。タダハルさんってバイオリンなんですよね? めっちゃ聴きたーい」
「冬の定演はプロの客演指揮者呼ぶから、俺はバイオリンで出演すんよ」
「やったあ! タダハルさん目当てに、次もエキストラで参加しますからあ」
冬のエキストラ枠に予約済みの紙を勝手に貼り付け、女子が咲かせる黄色い小花がタダさん中心に溢れかえり、僕と間山は花一つ咲かぬ荒野で肉を静かに食していく。間山の虫の居所が悪いかどうかなんて眉間の皺にも明らかで、人生で何度あり付けるか分からないシャトーブリアンの旨さだって、こいつはきっと半分も味わえていない。そんな気配を察してか、金田さんか渡辺さんのどちらかが、お花畑の外にまでやっと話を広げてくれた。
「ねえねえ、間山くんはどんな言葉やってんの?」
「俺? 俺はポルトガル語」と、間山は眉間の皺をようやく消した。会話の切れ端を投げた女子は、すごーいと軽く打つ相槌にポルトガル語というものへの関心の薄さを滲ませて、ビールを一口飲んだ。
「ポルトガル語でこんにちはって何て言うの?」
「Olá」
おお、これは貴重な体験だ。外大に来て初めて間山のポルトガル語を耳にした。女子と一緒に僕の耳も間山の発音へ傾ける。
「へえーじゃあさ、さようならは?」
「Tchau」
「ありがとうは?」
「……Obrigada」
「あ、そうだ、あなたを好きです、なんてちょっと聴きたいかも」
「……Eu amo Você、かな。悪り、この話題はここでお終いな」
「ええ? なんでよー、折角なんだからさあ、ポルトガル語ってやつ、もうちょっと聞かせてよ」
「んー……また今度な」
話をここで一旦切り上げ、間山は箸と取り皿を持って立ちあがった。僕も一緒に付いていく。肉奉行・扇田の仕事は順調に進んでおり、テーブルの上の大皿にはキャベツに玉ねぎ、エリンギといった野菜類や、四角く均一に切られた肉が山積みになっていた。
「すごいよねえ、外大って。ロシア語とか中国語とかドイツ語とか、そういうメジャーなやつだったら第二言語でもあるけどさあ、外大だったら私たちが知らないのもいっぱい習ってんでしょ? 普段の練習でも変な言語があちこち飛び交ってたりして。城西大の私らが聞いてもさっぱり分かりませーんって、アハハ」
シャトーブリアンは既に食べつくしてしまったけれど、残ったカルビとサーロインでは形や薄さ、脂の付き方が微妙に異なっていて、肉のランクが見た目から違う。背筋を伸ばしたような張りのあるサーロインに対して、カルビは脂身で縮んでいる。タダさんへの「すごい」がサーロインなら、今の「すごい」はカルビ以下だ。
「あんな、外大を何や思ってんの?」と反応したのは、格下カルビを食べてるタダさんだった。「言語は自慢するためのもんやない、学ぶためにあるもんやで。遠く離れとる相手の知識を、文化を、その理解を深めるために言語を学ぶんよ。俺らには日本語っつー言語をちゃんと持っとるのに、みんなが理解できん言語をわざわざ披露して、オケの練習を混乱させるわけあらへんやろ」
正座を崩して胡坐をかいていたタダさんは、立ちあがって女の子の群れから抜け出し、肉選ばせて、と僕たちの輪に入った。
「タダハルは相変わらず理屈っぽいんね。興味本位から他国を学ぶきっかけが生まれることもあるんやから、こういう話題があってもええんやないの」
扇田の横でビール缶を飲んでいた夏紀さんは、飲み切った缶をテーブルに置いた。細い指に付けられたマニュキュアは、爪の先へ濃くなる赤のグラデーションが塗られており、唇やカットソーの色とお揃いだ。と思ったら、そのマニュキュアには黒い点々と緑の縁取りが付けられていて、スイカの模様になっていた。ビールの泡に濡れる唇が僅かに横へ広がって、未熟なままの笑顔が夏紀さんの顔に残っていた。
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