Adagio - Allegro molto(2)

 日本人形の化身はかがみ夏紀という名をしていて、城西大オケの三回生、僕と同じくクラリネット吹きらしい。リビングに置かれた楕円形のテーブルを囲むようにして、僕たち三人は焼かれた肉をベソベソと口に運んでいた。合コン主催者であり焼肉奉行でもある扇田は「いっぱい食べてなあ」と四人掛けのテーブルでせっせと肉を焼いている。一人暮らしにも関わらず、リビング兼ダイニングの部屋は十畳もあり、他に部屋が三つもあるようだ。


 床に置かれたCDラジカセからは、ドヴォルザーク交響曲第九番「新世界より」が静かに流れている。新天地アメリカへ移住したドヴォルザークが、故郷ボヘミアを偲んで作った曲だ。


「なあ、キヨトって家って僕の近所だし自宅通いも出来んだろ。なんでこんなマンションに住んで無駄遣いしてんだよ」

「おお? このマンション、俺の親のもんやからな」と、肉を焼きながらごく当然のように扇田は明かす。親は不動産を経営していて、マンションやら土地やらかなりの財があるらしく、山ひとつとペンションも数棟所有しているとのことだ。「扇田くんと一緒にいると楽しいんだよねー美味しいものをいっぱいご馳走してもらえるから」と周りの女子たちがはしゃいでいて、黄色い声が扇田の頬を優しく撫でてはその筋肉を緩めている。準備された肉はカルビどころかサーロイン、ミスジに最高部位のシャトーブリアンなんかもあったりして、参加費用一人二千円にしてはありえないほどの贅沢三昧バーベキューで、霜降りシャトーブリアンを目の前にして格上生活水準にくらくらと眩暈を覚えた。


 隣のタダさんはというと、凝り固まった緊張感が鱗のようにして全身にこびり付いていて、お行儀よく正座をしながら黙々と肉を食べ続けている。夏紀さんと何某なにがしかの事情があるのは明らかで、その何某かというのはタダさんのことだしボンクラな僕にだって薄々分かる。それでも本人のプライベートなことだしむやみに立ち入るのも図々しいだろうと口にしなかったのだが、そんな僕の配慮なぞどこ吹く風なのが間山という人物で、「夏紀さんとタダさんってどんな関係なんっすか」とノンアルコールを口にしながらあけすけに尋ねてきた。


「中高と同じ学校やったんよ」とタダさんの代わりに答えたのは、ダイニングの四人掛けテーブルでビールを飲んでいる夏紀さんだ。真夏の水道から流れてくる生温い水を連想させるような、おっとりとした喋り方をする人だ。


「ホンマけえ、夏紀さんと知り合いなんて世間は狭いのお」と言いながら、顎髭友人はプレートに肉を置いていく。そろそろ食べごろかな、と、周りにいる女の子たちが肉の焼き加減を確かめて、焼けた肉や野菜を僕たちのテーブルに運んでくれた。城西大オケの二回生と三回生で、名前が村上さん、金田さん、渡辺さん。二人はバイオリン、一人はビオラだ。


「ねえ、タダハルさんは外大で何語を習ってるんですかあ?」と、村上さんか金田さんかのどちらかがタダさんに訊いてきた。いつものごとく名前を覚えるのが苦手なもんだから、夏紀さん以外の三人の顔と名前を繋げる糸が絡まり合って、顔の紐を引っ張っても名前の札が出てこない。


「英語科やで」とタダさんが答えると、すごーいという歓声が即座に返ってきた。この「すごい」というのは、国際的な場で広く活躍できる英語を学ぶ姿勢にいたく感銘を覚えた、という学術的な理由ではなく、英語科ってよく分かんないけどイメージ的にカッコいい、のレベルに近いと思う。


「じゃあいつかはアメリカとかオーストラリアなんかへ留学もするの?」

「まあ、そういう奴は多いな」

「いいなー私は絶対ヨーロッパ、イギリス推し。いつかは行きたーい。ね、外大って留学生が多いんでしょ? オケにはいないの?」

「音楽は多かれ少なかれ金が掛かるからな、楽器するような余裕のある留学生なんて外大にはおらへんで。楽器を持っていって留学先で練習しとった奴はおるけど」

「なあんだ、残念。金髪男子のバイオリン弾きなんて最高の萌えシチュなのに。外人さんが弦を弾いてる姿ってさあ、ちょっとイイ感じだよね」

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